自由国   『未来』

「いい、一日ね」


 議堂のガラス窓の前で車椅子を止め、彼女はそう呟いた。その声はいつになく静かで、穏やか。もしも足があったなら、今すぐにでも窓を開き、その声を風に乗せて飛ばそうか。そんな気分だった。


 ここは自由国。転生者の楽園だ。



「議長」


 乱れのない一定の靴音。

 議長と呼ばれた女はそれを耳にして、相手の顔を思い浮かべつつ首を回した。


「例のエルフ村の件が終わりました」


 そう言って、口角を三日月のように吊り上げる。彼女曰く、それは微笑んでいるつもりらしい。


「そう、お疲れさま。首尾はどうだった?」

「概ね、成功と言ってよいかと」


 一歩前進。

 彼女の口調は異様なほどに平坦だったが、「概ね」の部分で少しだけその音量が上がった。詳しく聞いてくれ、ということなのだろう。


「想定外があったようね」

「はい。チーシャ・カリーファがいました」

「…………」


 ローラーだけの手筈だったが、やはり崇務が首をつっこんできたか。


「どんな動きだったか、わかる?」

「目立ったことは何も。事が終わってから介入し、全ての責任を押し付けられていました。かわいそうに」

「……なにそれ。ぜんぜん意味わかんない」


 議長は背もたれに極限までもたれかかり、天井を見つめる。こうすれば前頭葉に酸素が供給されて、脳が活性化する……みたいな眉唾な話を、昔小説で読んだことがあったからだ。



 チーシャ・カリーファが自発的に動くことはまずありえない。となるとやはり、その背後。トリスタン・グレイ・ドルバロムの企みが潜んでいるのは確実だ。

 トリスタンはいつだって自分、いや、自由国最大の敵だった。

 軍事、諜報、経済、外交。あらゆる政治的分野からこちらを攻撃し、今もじわりじわりと、この絶海の島国をさらに孤立させようとしている。


 去年は船が来なくなり、今年は密航船すら来なくなった。

 来年にはきっと軍船が来る。以前よりもはるかに大量で、強大な軍船が。


「……お言葉ですが、崇務のトリスタンが気づいた可能性は限りなく薄いと思います」

「自分もそう思う。いくらトリスタンでも、そこまで読むことはできないはず」


 しかし、何かあるのではと警戒してしまう。少しでもこちらが気を抜けば、そこを起点にチェックメイトの手筈を整える。それがトリスタンという席騎士プレーヤーだ。


「とにかく、注意するに越したことはない」

「ややや。困った相手です」

「ほんとにね」


 自分の額をパチンと叩く彼女に、議長は静かに頷いた。

 今、トリスタンに気づかれるわけにはいかない。自由国につくまで……いや、せめてその目前の港町。アガロースに着くまでは、絶対に。



 両手を握り、祈るように目を瞑る。


「ナカムラ……」


 彼女は気づかなかったが、その祈りの一部は声となって漏れ出ていた。



「それと、もう一つ懸念が」

「……はぁ、まだあるの?」

「ええ。残念ながら」


 間の悪い相手にちょっとした不満を感じつつも、議長は「言ってみて」と続きを促す。


「彼らの通り道に、レッテルがいます」


 議長の頭が投石器のように跳ね上がる。重みに耐えかねた背もたれが大きく傾き、そのまま後ろに転倒しそうになるが、慌ててやってきた女がそれを止めた。


「おっとっと。お気をつけて」

「ごめんね。少し……うんざりの限界が来そうだったから」


 次から次へと……想定外はトリスタンだけで手一杯だと言うのに、そちらにまで構っていられない。

 神の存在などとうに信じなくなったが、仮にいるとしたら、自分たちをとことん嫌っていることだけは確実だ。


「クロタコは無理……アーセナルも動いてくれるとは思えないし……」


 使える手札をひっくり返して探してみるが、アレをまともに抑えられる者など到底思いつかない。

 そんな議長の頭痛を察してか、横の女が糸で吊るされた人形のように肩をすくめた。


「理不尽で、気まぐれ。奴はまるで洪水ですね。やれやれ」

「災厄の転生者って呼ばれてるぐらいだからね。そんな呑気なこと言ってる場合じゃないのよ?」

「おやや、心外です。私はすご〜く良い子なので、きちんと手は打ちましたよ」

「えっ、ほんと?」


 思わず立場を忘れ、上ずった声をあげてしまう。


「本当です。ナデナデしてください」

「何したの?」

「情報を流しました。聖教会に」


 なるほど……!

 また、思わず頭を打ちそうだった。なぜその発想がなかったのだろう。これではトリスタンになど遠く及ばない。


「よくやった。えらい!」

「えへへ。もっとナデナデしてください」

「ただまあ、それでうまくいくかどうか……」


 すっと頭から離れた手を、女は不満げに目で追いかける。それを見て少し申し訳なくなったが、事実は事実。


 川から一度溢れた濁流を、元の場所に戻すことはできない。ハリケーンの進路を曲げることはできない。

 あれはそんな存在。まさしく災厄。


 果たしてこちらの小手先が、どの程度通じるか……。


「結局、祈るだけね」

「悲観的ですね。あなたに、不安などないと思っていましたが」

「その未来予知を超えてくる化け物がいるから」


 だが、状況はわずかに好転した。

 レッテルが動いたとなれば聖教会も無視できないし、トリスタンの注意も多少は逸らすことができるかもしれない。


 あとは……信じて待つだけ。


 外に顔を向けると、巨大な入道雲が見えた。灰色で、遠くの空を埋め尽くすほどのそれは、一見すると止まっているように見える。


 だが、確実に、少しずつ動いている。



 予知をして、未来を支配しているのか。それとも未来に、自分が支配されているのか。


 いつもの命題。求めても答えの出ない問いに、彼女は思わずまぶたを震わせた。


「…………」


 自分には未来がわかる。だから、人を最善へと導くことができる。たとえそれが利己的な最善だったとしても、何かを犠牲にしたとしても、やめることは決して許されない。


 自分には導く義務がある。力や知識を持て余し、独占するのは罪だ。人々の背中に糸を吊るし、自らそれを引き、そうと知りつつ残酷な結果へと落ち着かせる。



「許して……ください」


 突如襲ってきた、不安と罪悪感。

 今までは寝る前だとか、ふとした瞬間にしか来なかった。しかし事態が着々と進行しているのを実感すると、それは予想以上の重みを持ち始め、心を押し潰そうとした。


「議長……」


 背中を優しくさすられて、我に返る。


「はやく、彼が来るといいですね。待ち遠しい」

「……」


 それを、待ち遠しく感じてよいものか。義心に揉まれた彼女の心は、決して楽観的にはなれなかった。

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