●第4章:真実の結晶
研究室に踏み込んできたのは、アレクサンダー・ナイトレスだった。その背後には武装した警備員たちが控えている。
「やはりここまで来てしまったか、レイラ君」
ナイトレスは冷ややかな微笑みを浮かべた。
「愚かにもお父上と同じ過ちを犯すとは……。しかし、今回は完璧に処理させてもらう」
レイラは咄嗟にファイルを抱きしめた。証拠を守らねばならない。しかし、退路は完全に塞がれている。
「観念しなさい」
ナイトレスが手を上げた瞬間、突如として研究室の照明が消えた。非常灯だけが赤く明滅する中、混乱が生じる。
「早く!」
暗闇の中から、カイの声が響いた。レイラは迷わず声のする方向に走り出した。ジェームズも素早く彼女の後を追う。
「逃がすな!」
ナイトレスの怒号が背後で響く。しかし、カイの周到な準備のおかげで、二人は何とか研究所の非常口にたどり着くことができた。
外は夜の闇が深く、冷たい雨が降っていた。
「この先に馬車が待っています」
カイが暗がりから現れ、二人を急かした。
「しかし、カイ様。なぜ……」
ジェームズが問いかける。
「母を殺されたからだ」
カイの声が暗闇に溶けていく。
「私の実母はエターナルの犠牲となった。しかし養父は、それを隠蔽し続けている」
レイラは息を呑んだ。カイの協力の理由が、ようやく理解できた。
三人は雨の中を必死で走った。背後では警備員たちの怒声が響き、銃声さえ聞こえる。しかし、闇と雨がその追跡を妨げた。
馬車に辿り着いた時、レイラは驚愕の表情を浮かべた。そこには、法廷で父の弁護を務めているマーカス・グリーンウッド弁護士が待っていたのだ。
「無事でよかった」
グリーンウッドは安堵の表情を見せた。
「君の父は、私の親友だった。彼の無実を証明するため、私もずっと証拠を探していたんだ」
馬車は闇の中を疾走した。レイラは抱えていたファイルを開き、グリーンウッドに差し出した。
「これが、すべての証拠です」
揺れる馬車の中、レイラとグリーンウッドは懐中ランプの灯りで機密ファイルを開いた。最初のページには、「エターナル臨床試験:第三相試験詳細報告書(社外秘)」と印字されている。
手書きのメモ書きが、朱色のインクで記されていた。
「被験者No.47、マーガレット・ウィンター(享年29歳)」
1893年6月15日付けの死亡報告書。投与開始から92日目に急性肝不全で死亡。しかし、その横には別の文字で「公式死因:心臓発作」と書き加えられていた。
「これは……」
レイラは震える手で次のページをめくる。そこには同様の記録が、整然と並んでいた。
被験者No.51 ジョージ・ハリソン(享年42歳)
投与開始103日目に多臓器不全にて死亡
公式死因:既往の糖尿病による合併症
被験者No.58 エリザベス・パーカー(享年35歳)
投与開始87日目に急性腎不全にて死亡
公式死因:原因不明の突然死
被験者No.62 トーマス・ブラウン(享年31歳)
投与開始76日目に劇症肝炎にて死亡
公式死因:食中毒による合併症
すべての死亡例に、本来の死因と、書き換えられた公式死因が併記されている。そして各記録の末尾には、同じ署名があった。
「A・ナイトレス承認済」
さらにページを繰ると、一通の社内メモが挟まれていた。ナイトレスの直筆による指示書だ。
=====
日付:1893年8月24日
宛先:臨床試験責任者 ヘンリー・ウィリアムズ博士
以下の対応を直ちに実施されたし。
1. 被験者の死亡に関する全記録を、別添の公式死因に書き換えること。
2. 原本は私の金庫に保管。複写は全て破棄のこと。
3. 遺族への補償金支払いと引き換えに、守秘義務契約書への署名を取り付けること。
4. 今後の症例報告では、重度の副作用事例を「観察期間中の脱落例」として処理すること。
開発費用と時間の投資が膨大になっている現状を鑑み、エターナルの認可は予定通り来年度内に取得する。本計画に異議のある者は、直ちに辞職願を提出されたい。
専務取締役
アレクサンダー・ナイトレス
=====
その下には、開発責任者たちの署名が並んでいた。しかし、一人だけ署名を拒否した痕跡があった。検査部門責任者、カイ・ナイトレスの名前の横には、大きく×印が引かれている。
そして最後のページには、より新しい日付の文書があった。
=====
極秘指示書
エドワード・ブルーローズ法律顧問の対応について
1. 安全性の再検証要求は却下。
2. 彼の調査結果は「社外秘扱い」とし、直ちに機密文書として回収。
3. 彼の主張が表面化した場合に備え、情報漏洩の偽装工作を準備済み。
4. 必要とあらば、法的措置も辞さない。
本件は私のみが対応する。
A・N
=====
「父様は、これらすべてを……」
レイラの声が震えた。父が真実を知り、それを告発しようとした時、ナイトレスは躊躇なく罠を仕掛けたのだ。
「これは……完璧だ」
グリーンウッドは感嘆の声を上げた。
「これがあれば、エドワードの無実は証明できる。そして、テンペスト社の犯罪も明らかになる」
レイラは、ようやく安堵の吐息を漏らした。しかし、その安堵は長く続かなかった。激しい衝撃と共に、馬車が大きく揺れたのだ。
「追っ手か!?」
ジェームズが窓の外を覗き込む。後方から、複数の馬車が迫っていた。
「私が時間を稼ぎます」
カイが馬車の扉を開けた。
「カイさん!」
レイラが制止しようとした時、カイは静かに微笑んだ。
「私の母の仇。必ず討たせてください」
そう言うと、カイは走行中の馬車から飛び降り、追っ手に向かって行った。その背中は、決意に満ちていた。
「この橋を渡れば、ロンドン市内です」
御者が叫ぶ。テムズ川に架かる橋が、闇の中に浮かび上がってきた。しかし、その時、後方で銃声が鳴り響く。
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