第5話 ラムセスの夜
ミツライムの首都でのご馳走。それは褐色の肌の踊り子たちに囲まれ、色とりどりの果物と世界中の料理を堪能できる甘美な時間。貿易港から商人や旅行客がやってきて、一晩中賑わう街で、その時分は一層華やかになる。
「踊り子の前の席は人だかりになる。メシを食うなら、これくらい離れていたところのほうがいい」
現地の人間ならではの知恵があった。僕達を案内しておいて、ジャガールは店員を呼び止めて次々に料理をオーダーしていく。手慣れたものだ。
ここはミツライム首都ラムセスにある料亭、
すでにテーブルでは、シェズ、そしてリッリが料理に舌鼓を打つ。
僕が注目したのは、踊り子だった。男子ならどうしたって、女子の際どい姿があれば目を離せなくなる。
ジャガールはすこし笑いながら、すでにアルコールを入れていた。
「しかしどうだ、なかなかのもんだろう。俺の言うとおりに我慢してよかっただろうが。初めの一杯が格別なんだ」とは、仕事おわりの役人の台詞だった。
彼自身、いろいろ仕事上我慢するところはあっただろう。
ジャガールが饒舌になったのも、ウバル将軍やその家来たちと別行動をするようになった今この時になってから。
やっと役人どもの監視から解放されたとでも言いたげな顔がそこにあった。
「お前たちは本当に運がいいな」
ウバル将軍の前では決して出ないジャガールの台詞があった。
「運がいい?」
僕は振り返る。てっきり黒いコートの少女も一緒にいて会話する機会くらいあるかもと期待していたが、そんなものは微塵もなかった。彼女はとうに退散してしまっている。ボーイミーツガールのない世界に運なんてあっただろうか。
「運がいいさ。人攫いの下っ端を簡単に捕まえることが出来た。俺たちエージェントが数ヶ月かけてできなかったことだ。捕まえたのは下っ端かもしれないが、あいつが口を割れば人攫い集団の正体がわかるかもしれない」
続けてジャガールは祝杯だとばかりにアルコールを手にする。
彼は言う。
「それに、捕まえたところにあのウバル将軍がいた。もちろん俺たちもだ。こういう偶然が重ならなければ、お前たちがこういう場所で食事することなんてなかったはずだ。将軍がミツライム人以外にこんなことをしたのを俺は聞いた事がないからな」
ジャガールは店内を見渡す。ここが特等席だと言わんばかりの顔があった。
僕も同じようにしてみた。
天井に張った布がゆれていた。揺れるその場所に踊り子が投影され、太鼓と笛に合わせて陰影が動けば、それは燃える炎のようにも見えた。これが特等席からの眺め。
「ヘルメスも今のうちに、食べておけよ。料理、すぐなくなるぞ」
ナギは料理が来る度にシェズがごっそりと口の中にいれるのを見て、僕をゆすってくれる。
「今、僕が女の子を見ていると思ったでしょ?」
と僕はナギを見返す。
「違うのか?」
「違うよ、敵が報復しに来るって話があったじゃん。どこから来るかわからないし、いつ来るかもわからないから。一応いろんなことに警戒しておかないとね?」
僕は周囲を観察していた。女の子を眺めていたわけではないと言いたい。
だけどジャガールが首をつっこめば、全ては笑い話だ。
「報復? おいおい。ここはミツライム首都の真ん中だぞ。こんなところに連中が来れば、それこそ纏めて引っ捕らえてやるさ」
「でも人が多いって事は、紛れ込みやすくなります」
「あいつらは俺たちの仲間を何人も殺している。それでもあいつらの尻尾がつかめない。つまり、あいつらは目立つ場所や俺たちの前では殺しはやらないってことだ」
ジャガールには持論があった。
殺人には法則がある。
「でも帰るときにつけられていって裏道とかで襲われるとかってよくありません?」
「それはあるかもしれない」
「でしょ?」
「だが、お前らを狙うとすればあの縫いぐるみのような奴だ。そいつは監獄にいる。そいつらの仲間がそいつを連れ戻すとすれば、敵が来るのはここじゃない。将軍様のところだ。もし俺のところに来たら、今日は宴会だ。それ以外に何がある。酒でも振る舞ってやるか?」
この時には、もう酔いが回っていただろうか。
「でも一応忠告してもらったから」
それでも僕は、気を引き締めておこうと思う。
さてこんな話をしている内にジャガールは気分がよくなってきたようだった。
「誰だ、その忠告したやつってのは? 俺よりも偉い奴だったか? 将軍がそんなことを言ったかどうか、どうにも思い出せん」
ジャガールは僕の肩に腕を被せていた。
「将軍様からは何も言われてないですよ。だから、黒いコートを着ていた女の子のほうです」
言うと、それは彼には意外な人物として聞こえたらしい。
「あいつが?」
「はい」
「あいつが喋るなんて珍しいな」
ここで考え込むジャガール。その横で、僕は次の質問をしてみた。
「彼女の名前は何て言うんです?」
それとなく。僕はもじもじしながら——。
「あいつの名前?」
「はい。お礼を言いたくても名前がわからないと言えないじゃないですか。この際、ジャガールさんに教えてもらおうと——」
「お礼なんて別に?」
そこで、ジャガールはまた考え込む。自分でも思い出す必要があったのだろう。同僚とは言っても、まともに喋ったことのない相手。名前を呼ぶこともほとんどないらしい。
「で?」
「あれは確か、ミツマだから、ミツハだったか」
「ミツマ、ミツハ?」
「ミツハだ。ミツマの奴だから、名前は覚えやすい」
ジャガールはここではっと顔をあげた。
僕とナギは顔を見合わせる。これはジャガールにとって、なぜお前は奴隷と一緒に働いているのかと疑うような視線にも捉えられたただろうか。だからこそ彼は少し説明する必要があると感じたのだろう。
「ミツマって奴らは、ただの奴隷じゃない。その辺で医者をやっているのはミツマの連中だし、ハヤブサを調教しているのも奴らだ。金細工をやっている連中もいる。ミツマの連中は奴隷の中でも技術力がある。エージェントに採用される奴隷はあいつらくらいなものだ。ある程度は武芸の実力もあるらしい」
これがジャガールの知るミツマ一族だった。
「ミツマの一族って、もともと奴隷だったんです?」
さらに僕は情報を引き出すべく追求する。彼らの歴史を知ることができれば、モーセさんに報告する内容も増えるだろう。
だけど、
「ジャガール様」
誰かにそう呼ばれては会話も何もあったものではなかった。
この時、ジャガールはよろめくように立ち上がった。
ジャガールを迎えにきたのはミツライムの兵士だ。そのミツライムの兵士は他人には聞こえないようにジャガールに耳打ちした。だが、ジャガールからしてみれば、これは旅人には話しておきたい事案らしい。
立ち上がってから、彼は僕に聞けと訴えた。
「例の犯人が喋ったらしい。もう少し根性があるかと思っていたが口を割るのが意外に早かった。連中のアジトがこのラムセスにあって、そこに監禁されている子供がいるという話だ」
「どうするんです?」
「俺たちは、すぐに子供を救出に行くことになった。まあ、これも仕事のうちだ。将軍様にばかり頼ってはいられない。宴会はお前たちだけでやっておけ。またどこかで会ったら、今度はヒルデダイトの話でも聞かせてくれ」
ジャガールは、そう言うと振り返ることもなく店を出て行った。
彼の背中は語る。
子供を攫う集団はミツライムで大問題になっていた。だけど、その事件が解決する日はそう遠くはないだろう。
さてジャガールがいなくなってからは、話題は僕の悩みに戻る。
「へえ、あの娘、ミツハちゃんって言うんだ。いいなぁ」
僕は夢見るように机の上で妄想する。踊り子のダンスを鑑賞している場合ではなく、この名前を忘れないように努めることが先だった。できれば、次に会った時にどういうふうに声をかけるかを決めておきたい。
「それよりもあいつがミツマだったのか。だったらもう一度あいつに会ってみなくちゃな」
ナギはそれを考えただろう。
だが、
「ワレ気がついたりや」
赤ずきんの賢者は知っていた。
「なにが?」
それは僕も知らない僕のこと。
「なぜヘルメスが、そのミツハという女子に嫌われておりや?」
「それは俺も不思議に思っていたけど」
とナギ。
「実はワレは、ヘルメスがジャガールとこんな話をしているのを聞いたりや」
それを赤ずきんは知っている。
「どんな話だ?」
ナギは顔をリッリに近づけた。
僕も思わずナギとリッリにすり寄ってみる。
リッリが耳元で囁いたその会話は、ナギも耳を疑うような内容。
「ヘルメスがうへへって顔をしながら、ミツマの人にうんこを食べさせたいと楽しそうに話したり」と言う。
「なぜそんなことを」
「奴隷にうんこ食べさせるのが趣味らしき」
これを聞いては、なぜミツハが僕を嫌うのかをナギも納得したことだろう。
「違うよ、違うよ。何言ってんのさ。それなんか似てるけど、全然内容が違うから。作り話じゃないの? あれでしょ。僕がジャガールさんと奴隷が見たいって話していたときの。リッリさん適当なことでっちあげないでよ」
僕は全否定。絶叫するが、
「最初からそれはもう、どうやっても無理。生理的に二度と受け付けられない奴だぞ」
とは何のアドバイスだっただろうか。
「いやぁ」
僕は泣き崩れそうなほどに動揺していた。
思考が停止するとはこの事。考えてみれば、あの時、ミツハちゃんも僕の言葉を盗み聞きしていたに違いない。それがどのように伝わったのかを僕は知らない。これを考えたところで僕には答えが出せなかった。
気がつけば、
いつの間にか、ナギの横でリッリが寝入ってしまっていて、立とうと思っても思うようにはいかない状況。
それでも僕は立つ。
なぜなら、
この時、僕を揺すったのは見知らぬ兵士。汗ばんだ中年男性の顔が近くて、瞬間、僕は現実に引き戻されていた。
「なに?」
僕は状況を把握することに努めた。
ミツライムの兵士がいきなりやってきて、僕に囁きかけるこのシーンは何だろう。
「明日の朝、ミツライム軍は総力をあげて人攫いたちのアジトに乗り込みます。つきましては、将軍様がヘルメス様にも助力いただきたいと申しております。あなた方の剣の腕を将軍様は高く評価されているのです」
そんな話だった。
「どういうことです? さっきジャガールさんがアジトに乗り込んだはずですけど」
「ジャガール様は殺されました。しかし首都ラムセスにある敵アジトはすでに将軍様が制圧しております。ですが敵のアジトはもうひとつあったのです。将軍様は激しくお怒りになり、今回ばかりは一刻も早くエージェントたちの敵をとりたいと、翌朝の総攻撃を決断されました」
それを聞いて、
僕は頭が真っ白になった。
「ちょっと待ってください」
僕は取り乱していた。「ジャガールさんが死んだなんて嘘ですよね?」
「敵の待ち伏せにあったのです。ですからこうして今回ばかりは旅人様の力を借りたいということです。どうか、ジャガール様の無念を晴らすためにも」
「そんな話、信じられません。さっきまでここで一緒にお酒飲んでいたんですよ」
「できれば我々も信じたくはありません。ですがこれが奴らのやり方なのです」
「人攫い集団ってなんなんですか?」
僕は店の出口に向かって歩き出していた。自身で確かめない限り、誰の言葉も信じられなかった。
「他のエージェントはどうなった?」
ナギに言われて、
僕は咄嗟に通訳する。
「ミツハさんは? 彼女は無事なんですか?」と。
「エージェントたちもミツライムの戦士です。むざむざ殺されたとは考えたくありません」
「それってまだ戦ってるってこと?」
「いえ、すでに現場は将軍様により鎮圧されております。ですのでまだ死体を確認していないということです」
これを聞いて、
「行くぞ」
ナギが僕を躱して颯爽と外に出ていた。
追いかける僕は、
外に出たところで月を見る。
商店街のたゆんだ屋根の隙間に月があった。
殺戮者は情報を知ったエージェントを殺していく。それは情報を知った旅人も同じだろう。ジャガールさんが殺されたのならば、殺戮者は次に誰を狙うだろうか。
考えた時、僕は転がった桶が風に引きずられるのを聞いて冷や汗をかいた。
ふいに、
首をすくめたくなる大きな音。
木製のバケツが屋根の上から落ちてきた。誰かが置き忘れた作業用のそれがたまたま風で落ちたにすぎないのか。
あるいは——。
「もしかして、蛇?」
僕は振り返る。
次にナギを見た。僕はいざとなれば、ナギの背中に隠れるつもりだった。だけど見えたのは夜。
「何をしている?」
ナギが呼びかけた先に何かがいたと思う。
壁の上だ。
腰を沈めて飛びかかるような体勢で、僕たちを見ていたのは左右に束ねた髪を揺らす少女だった。黒いコートが夜に隠れるカーテンのようになって彼女を見えなくする。
だから一瞬、夜そのものが揺らいだようにも見えた。
「ミツハ様。ご無事でしたか」
言ったのは僕たちを案内する兵士。そこに安堵の吐息が混じって、やっと場の空気が和らいだ。
「まあね」
ミツハは猫が飛び出すような低い姿勢のまま、剣から手を離した。何事もなかったかのような顔をする。
彼女の指先の動きでナギも構えを解くことができた。ミツハのほうでも目の前に現れた武装集団を警戒していたのだろう。お互い緊張の中にあったわけだ。
「襲われたと聞いて心配していたのです。追っ手はどこです? 私も加勢します」
兵士は槍を構えたが、敵となる相手はどこにもいない。
「悪いけど、逃げてきちゃった」
ミツハはそこで背筋を伸ばすようにしてから空を見上げていた。
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