第3話 ミツライムのエージェントたち
僕たちの旅の目的は、もともと医者を探すことだった。だけど今は、モーセの一族を探すことに変わっていた。
目的地も当然ながら変更になる。目指すところは、ミツライムだ。
「ミツライムって軍事大国でしたよね? カデシュの戦いで当時のヒルデダイトと戦争をして、この辺りでは火の七日間って言われてるんでしたっけ」
ミツライムに関する僕の認識はそんなところだ。
僕は直接ミツライムには行ったことがない。港街で聞いた噂話が僕の知るミツライムの全てだった。リッリもシェズもナタも同様だろう。
「戦争のことはよくわかりません。ミツライムとは関わらないようにしてきましたので」
モーセは海沿いを歩きながら、僕にいろいろと教えてくれた。戦争のことはともかく、
「ファラオによって壮大なピラミッドを作る計画が進んでいるようです。伐採された木材はワニの海で運搬され、ミツライムに運ばれていきます」
と、海に浮かぶ丸太がどこから来てどこへ行くのかも、教えてくれる。
「ミツライムで使う木材って、これ全部そうなんです?」
「ここまで流れて来たのものは、ミツライム側で保管されている内の一部でしょう」
「ほんの一部?」
「家屋の建築にも使われていますが、ワニを大量に集め出したのは最近のことです」
「ワニって海に浮かんでいる丸太のことですよね。ふうん」
そうなると、「これを運搬しているってことは、この辺りからミツライムまでは判りやすい道が通っているってこと?」と言える。
「その道までご案内しましょう」
モーセに言われて、
僕は頷いた。
ミツライムの首都ラムセスまでの道に迷うことはほぼないと言って良かった。
だがそうなると、
「モーセが探す人に名前はないの?」
これが気になる。「どんな人たちなんです?」という疑問だった。
人を探すにも手がかりが必要。
「ミツマの土地に住んでいましたので、四〇年も前はミツマの人と呼ばれておりました。兄はアロン、姉はミリアムと言います。二人がまだ生きて居れば私の名前を出せばすぐにわかるでしょう」
「ミツマ?」
「今でも彼らがそう呼ばれているのかはわかりません」
モーセは何もわからないとため息をつく。
「心配しないでください、それを僕たちが調べてくるんです」
僕は姿勢を良くしてしばらく海辺を歩いた。モーセの兄や姉が生きて居るかどうかはわからないが、ミツマというのは良い手がかりになりそうだ。そんなふうに思った。
同じ歩幅で歩いたモーセだが、彼にしてみればため息は深くなる。
兄や姉の名前を口にしたのは何年ぶりのことだろうか。
決して忘れたわけではない。だが歳月を重ねるにしたがって、どんどん薄れる記憶というものはある。
兄はモーセに似ていて、何をするにも視野の狭い人だった。丁度モーセが集落を放っておいてシナイ山を散策するのに似ている。モーセにとって待ち人を待つのが重要な仕事だが、残された集落の妻や子供たちは不満も出るだろう。
姉のミリアムは、モーセには優しかった。
覚えているのは美しく頼れる姉の背中だ。
「ちゃんとしなさい。背筋を伸ばしなさい」
そんな風に姉はよくモーセに言い聞かせていた。「ちゃんとしていれば、どこに出て行ったって、ミツマの人たちが悪く思われることはないのだから」それはモーセだけでなく、周囲を気遣う言葉だ。
モーセは姉を尊敬していた。あの頃はずっと姉を見ていたのかもしれない。
もう一度会うことができるならと思う。
四〇年前はすぐに会えると思っていた。
ミリアムたちが手をふって笑いながら、「会いに来たよ」「わたしたちもミツライムから出てきたよ」と言ってシナイ山に来るのを今か今かと待ち望んでいた。
しかし、あれからもう四〇年。
結局、誰も来ることがない。
モーセはここで空を見上げていた。
羊飼いはたまに空を見上げる。
大空に浮かぶふわふわの白い雲はまるで羊のように、ただただ流れて行くだけ。何を考えているともわからない。それを見るのは、羊を見るのと似たようなものかもしれない。
ただ羊と違うのは、雲のことだ。
四〇年前も、空の景色はたいして変わらない。そして世界のどこに行ったとしても、見上げれば人は同じ雲を見る。
ミリアム姉さんは、今もどこかで同じ景色を見ているだろうか。そんな風にモーセは思っただろう。
ところで、僕は考える。
「ミツマ」
僕がその言葉を口にした途端、モーセは懐かしい記憶の中に優しい人たちを思っただろう。会いたい人を思って綻ぶ顔は、どこに行ってもどんなに時間が経っても変わらないものだと思う。
僕はそんなモーセの顔を見ながら、吉報を届けることができるように頑張りたいと思った。
モーセが指し示してくれた道を辿れば、すぐにミツライムだった。
ミツライムはナイル川の下流に広がる国。太古よりナイルの流れによって肥沃な大地が形成されてきたが、ナイルの流れはは時に家屋をすべて押し流すほどに凶暴になる。知恵をつけてナイルの流れを制した民族が全ての富を手に入れる。そんな単純な歴史がその国を時代最強の軍事大国へとのし上がらせていた。
この時はファラオであるラムセス二世が統治する時代。
首都は王の名から、ラムセスと呼ばれていた。
僕たちは、危険な街道を歩いた。旅人が惨殺されて荷物を奪われている現場も見た。何度か襲われたけれど、そこはナタやシェズがいる。ナタが剣の技で追い剥ぎを追い払ってくれたから僕は無事。だからこんな事件の数々はミツライムを怖がる理由にはならないと考える。
「ギリシャやキリーズからの海路があって、首都のラムセスには凄い大きな港があるんだ。商人たちの船がひっきりなしだって言ってたよ」
僕が知る、それがミツライムの首都。
ここを越えれば、剥き出しの土壁が崩れかけたような民家がまばらに見えてくる。道の先には集落が密集して、宿泊街にでもなっているのだろう。旅人が行き交う姿が遠目に見えていた。
「ミツライムの匂いのする街。ここまで来れば安全さ」
ここにきて僕は上機嫌だ。やっとそれらしくなってきたじゃないか。
付け加えるなら、
「異国を旅するのは楽しいよ。初めて見る景色は新鮮だし、漂ってくる匂いは好奇心を刺激するし、すれ違う女の子も魅力的だし」とは、初めてミツライムの人間にふれ合う喜びの表現だ。
「そんな気分になれるか?」
ナタは意地悪な言い方をする。
「どうしてさ。僕たちの知らない世界が広がっているってすごくドキドキしない?」
「ミツライムって戦争していた国だろう?」
「戦争しているところと、ここは別だよ。カデシュの戦いだって、それはずっと昔の話だよ。今のミツライムは貿易も盛んで、世界中から財宝やおいしい食べ物があつまるんだ。イザリースになかったものだっていっぱいあるよ」
僕は、「ね?」と旅好きな賢者のほうを振り返る。旅をしてきた者同士でわかり合えると期待した。
そのリッリはというと、
「リッリは?」
僕は立ち止まってふりかえった。彼女の姿がいつの間にか見えない。
「あそこ」
ナタが指差したのは道沿いにあった白い壁の家だ。その壁の前で立ち止まっている赤頭巾がひとり。壁を触ったりつついたりしているのは、興味津々と言った様子だった。
賢者は白い壁を調べて、匂いを嗅いでみる。次に調べたいのは、中の様子だろうか。この壁にどんな意味があるのかを知りたいらしい。
「入ってみやり……」
賢者は決断し、足を踏み入れた。だがその足が実際に地面を踏むことはなかった。
「待って」
僕は急いで赤ずきんを持ち上げる。「そこ他人の家でしょ。勝手に入ったら駄目」そんな理由だ。
「むきゅう」
と、賢者は口をすぼめる。これでは賢者も形無しと言ったところ。
「ここはイザリースやエルフの里じゃないから、いっぱい違うところがあるんだから。リッリもナタもシェズもよく聞いて。勝手に他人の家に入らないこと。落ちているものは拾わないこと」
つまり僕はリッリの腕を組んで仁王立ちしていた。「場合によってはちょっとしたことで殺し合いになったりすんだから」外国には外国のルールがあると言いたい。
さらに理由を付け加えるなら、
「ほら、さっきから僕たちミツライムの軍人みたいなのに囲まれている、ひょっとして強盗と勘違いされているかも」という状況だった。
そのミツライムの軍人とは、盾と槍で武装した男たちのことだ。首回りと腰を布で覆うスタイルはイザリースのような寒い地域では見られない恰好で、露出した褐色の肌と足はむしろ武器であるかのように鍛えられている。
中でも僕が注目するのは、その集団を率いる三人の黒服だ。
兜も盾も持たず、黒いコートを羽織る三人。コートの下は三者三様で、ギリシャの貴族が着るような衣装の者、使い古されたブーツを履いている女子、兵士たちと同様に上半身露出させている戦士。黒いコートだけが共通点であるかのような者たちだった。
「お前たちは旅人か? この道を向こうから来たのか」
部隊を仕切る男は、黒い髪に無精髭を生やして猫背だった。ただコートの下、上半身の筋肉は周囲の兵士たちより硬く引き締まっている。
彼らが目を付けたのが、たまたま通りかかった僕たちというわけだ。
「すいません。僕たちは食堂や宿を探しているんです。怪しい者ではありません。陸路でここまで旅をしてきました」
これをミツライム語で丁寧に話す。
ここで僕が気を取られたのは、もう一人の黒服だ。恰幅の良い男で、頭にバンダナを巻いていた。軍隊を指揮するわけではないが、会話に割り込むと自分が上司だといわんばかりの態度があった。
こうなると、三人目の黒服の様子も確認しておきたい。
三人目の黒服。こっちは僕たちより年下の女子に見えた。大人相手に会話するのが嫌なのか距離を置いたところで、身体の向きを誰とも合わせない。長い髪を左右で束ねて、コートの下には短い剣、黒い短パン姿だ。その女子だけが古びたブーツを履いていた。
その三人の中で誰が強いかと問われると、無精髭の男だろう。
商人風の男は、槍を持っていて技術はあるのかもしれないが、腹がたるみすぎている。
女子のほうはには重い筋肉がない。力比べをして男たちに勝てるようには思えない。
だが見るべきは女子の足だ。剣の達人は足回りには特に気を遣っている。ナタみたいに馴染んだブーツを好んで使うだろうし、新しいブーツは馴染むまで時間をかけるのが普通だった。そんな雰囲気があって、僕は彼女の脚に見とれてしまう。
しかも結構可愛い顔。
だけどじろじろ女子だけを見ていると、
ナタやシェズの視線が痛い。
さらには、僕に話しかけてくる恰幅の良い黒服。彼の機嫌を損ねるのは正直なところ怖かった。
「よく生きてここに辿り着けたな。殺人鬼が出るはずだが、どうやってここまで来たのだ?」
彼らのは、いわゆる聞き込みだった。
「殺人鬼?」
もちろん僕ひとりなら、とっくに殺されて居たかもしれない。追い払ったのはナタだ。ナタ曰く、
「結構強いんじゃないか。あの蛇みたいなの」ということだが、それは内緒のこと。
「そうだ。この先で何人もの旅人や冒険者が襲われていると聞いている。だから我々が派遣されてきたのだ。お前はそういう奴らに出会わなかったのか?」
「殺されている人を見ました。それってもしかして?」
「やはりあいつらがこの先にいるのか。それで、どうやってあいつらから逃げて来た?」
「えっと? 殺人鬼さんいなかったですよ。トイレにでも行ってたんだと思います。僕たちって運が良かったんです?」というのが無難な回答だっただろうか。
ここで、
「無茶をやりやがる」と悪態をついたのは無精髭の男だった。
この真意を彼は親切に教えてくれる。
「今、ミツライム全土で子供が攫われる事件が起きている。事件を追う我々エージェントたちが何人も殺される事態だ。普通はそいつらに出会ったら生きて帰れないもんだぞ。お前らも逃げるべきだったんだよ。強引にここまで来るなんてな」
とのことだった。
いや運ではないと恰幅の良い男は発言をひっくり返した。
「我々が来たことに勘付いて、すでに逃げたと見るべきではないか」
「逃げたんですか?」
そういう解釈もあるだろう。
「我々から逃げたのでは、今から現場に向かっても、もう遅いというわけか。逃げ足の早い奴らめ」
恰幅の良い黒服は鼻で笑い始めたので、そういうことにしておきたい。
だが疑いの目はまだ僕たちにあるらしい。
ふいの無精髭の男が動いた。
「もう一つ聞きたいことがあったが、いいか?」
彼らは僕たちのことを観察していた。
「その剣、ちょっと見せてくれないか?」
と、無精髭の男はシェズの持っている剣を指差して、僕に要求した。
刀身が見えないように布で覆っている剣だ。なぜそんなことをするのかと言えば、僕たちの持っている剣が鉄で出来ているからだ。勇者といえば、鉄の剣。
でもこの時代、鉄の剣なんて金の一〇倍の値段のつく代物だった。僕たちがそんなものを持っていたのは、まさに勇者だからなわけで。
鉄の剣なんて見せて歩けば、盗賊がわんさか寄ってくるだろう。これが銅剣であれば、布を被せるのがおかしい話になる。咄嗟に野犬が出てきたから剣で追い払うなんて使い方ができない銅剣を誰が持ち歩くのか。
「え? これ見せていいのか」
シェズは赤頭巾に確認するが、
「ここはもう仕方なきや」という状況だった。
鉄の剣など庶民が持てる時代ではない。
「お前ら誰だ? 何をしにミツライムに来た」
そうなるのは当然の流れだった。
こうなると出てくるのが赤頭巾の賢者。
「ワレは各地を旅し古代の遺跡を研究する学者なり」だ。
「それで?」
言われると、僕がフォローしなくて誰がするのだろうか。
「あの、僕たち、商人なんです。ヒルデダイトのほうから鉄の剣を仕入れて売ろうと思っていたんです。学者の人もなんか一緒になっちゃって」
「ああ、あんたらは、ヒルデダイトの人たちか」
「うみゅ、これからピラミッドというものを見てみやりや」
ふふんと赤頭巾は背中を仰け反らせていた。完璧な言い訳だと言いたいのだろう。
だが、
「ピラミッドは、ファラオの墓だ。墓荒らしか?」
無精髭の男は当然の推測をした。
「ぶえ?」
リッリは頭をぶるんぶるんと振る。「ワレは研究したりや。これまでシュメールを研究してきやり。次に気になるはシュメールとミツライムの歴史的な繋がりん。歴史がわかれば新たな発見がありんや」だ。
「何を言ってるのわからないな。いや判るような気がするが、俺には興味のないことだ」
無精髭の男はいつしかリッリの背丈にあわせてしゃがみこんでいた。
しゃがむと言っても足を開いて腰を落とした姿はならず者たちと変わらない姿勢。そこに「はぁぁ」とため息が出れば、そこら辺にいるおじさんと何が違うだろうか。男の素性がここに出た。
無精髭の男は愚痴のようなものも同時に吐露していた。
「今さら現場に行ったところで手がかりが残っているとも思えないし、ここに居ても他に情報なしか。俺は今日何を報告すればいいんだ。また事件がありましたって報告して終わりか。俺はいつまでこんなことを続けなきゃいけないんだ?」
それを旅人に言うほどだからよっぽどのことだ。
さっきまでは学者魂を一方的に語ってきたリッリだが、こうなると相手の話も聞いてみようかという気持ちになる、お互いに言いたいことを言って、聞いてあげるのがマナー。
「それらは警備兵じゃないなりや?」
リッリは首を傾げた。無精髭の男は墓荒らしかもしれない旅人には目もくれず、ひたすら人攫いを追いかける姿がある。これは警備兵としては不自然だった。
「俺たちは、エージェントだ」
男は言う。「この辺で最近子供の失踪だとかが相次いでいるってんで、この事件を専門に調べているってわけさ。面倒くさいことに、俺たちで犯人を捕まえなきゃならんらしい」
男はエージェントらしからぬ態度で話す。子供が攫われていると言っておいて、面倒くさいとはどういうことか。
本当にエージェントかと思っていると、恰幅の良い黒服男が割り込んできた。同じエージェントとして志しが違うというのは腹が立つものらしい。
「おい、エージェントならもっともらしくしたらどうだ? それがファラオから任命された誇り高きエージェントの姿か?」
「俺はこういうのになりたくて、やってるわけじゃない。おたくら正規のエージェントが犯人に殺されてまくってるからだろうが」
それが無精髭の男の言い分。
「まだ殺されたと決まったわけではない。そのような態度が失敗に結びつくのだ」
「失敗もなにも、将軍様もやるきはないだろうよ。何しろここに居るのが俺だぜ?」
「ジャガール、貴様は——」
その名が無精髭の男の名前だった。
「なあ、サーム」
ジャガールがそう言い返せば、恰幅の良い男の名前も明らかになる。
そのサームに言いたいことがジャガールにはあった。
「犯人を殺さなきゃいけないというのに、逆に俺たちのほうが何人も殺されているんだ。だったら強い奴を選抜すればいいのによ。俺だぜ? 俺とお前、それにあんな小娘だ。こんな状態じゃあ、死ねって言われているようなもんだろう」
「ファラオ、いや将軍様は、お前の剣の腕前を買われている」
サームはちらっと少女を見たが、彼女については何も言わなかった。もはや戦力としては期待しない。逃げるときに囮にでもなってくれればいいという目つきだ。
少女のほうは、離れた場所で常に言葉もなくため息ばかり。最初からやる気など感じられなかった。
こんな状態にめんどくさがりなジャガールのため息は深くなる。
「あいては殺人集団だ。調べられることを不愉快に思っている。俺たちが捜査ををすればするほど、俺たちは目を付けられる。つまり、俺たちは仕事をすることで自分で、ここに馬鹿がいます、殺してくださいって言ってるようなもんだ。これを殺されるまで続けなきゃいけない。こんなのがやっていられるか?」
これがエージェントと呼ばれる彼らの現状だった。
「あのぉ」
僕が質問したのは、三人が険悪な雰囲気になったその瞬間だ。
「それって子供が攫われている事件のことですよね。子供が攫われるだけじゃなくて、ミツライムの兵士たちもそんなに殺されているんですか?」
質問した先は、ジャガール。
彼は、「そのままの意味だが?」と前置きして、結局説明してくれた。
「ここ半年くらいか、子供が攫われているんだ。こないだも二〇〇人くらいはいなくなったよな。もう三千人は超えたんじゃないか? 大問題になっていて、ファラオが事件解決にむけて俺たちのようなエージェントを組織したんだ」
「それは大変なことじゃないですか」
「まあ、大変っちゃ大変だが、居なくなったのは奴隷の子供ばかりだって話だ」
そこでジャガールは大あくびだ。「それよりもエージェントだ」と彼は言う。
「エージェント?」
「事件に首を突っ込んだエージェントが殺されている。そのエージェントが俺たちなわけで、なんで俺が奴隷のために死ななきゃいけないんだってことさ」
ジャガールが見つめる先、
サームもここは同意するところだった。
「まあそう言うな、将軍様はこの事件で奴隷が暴徒と化すのを心配されているのだ。探しているという形だけでも見せておけば、奴隷どもは俺たちに感謝する。俺たちは、この事件に深入りしなければ殺されることはない」
「形が必要なんだろ。俺じゃなくてもいいはずだ」
「つべこべ言わず、エージェントとして背筋だけでものばせと言っているんだ」
そんな会話に、僕はうんうんと頷いた。
「結構、エージェントって難しい仕事なんですね」
彼らが事件現場に急行しないのも、離れた街で聞き込みだけを適当にしてミツライムに引き上げるのにも理由があったわけだ。それはきっとミツライムのファラオには聞かれてはならないことだろう。ならばここでその愚痴を聞かせた旅人のこともファラオに伝わることはないだろう。
僕たちの存在も、彼らの愚痴と同じ場所にある。
そう思えばこそ、
僕は質問してみた。
「あのぉ、聞いてみたいことがあったんですけど?」
「なんだ?」
「ミツマって人たちが住んでいるところ、知ってます? ミツライムに居るって、噂で聞いて、ちょっと気になったので」
知りたいことは、現地の人に聞くのが手っ取り早い。それが少しおかしな質問であってもジャガールは今日のことは水に流すだろう。
ミツマとはモーセの一族の呼称。これが僕の持っている手がかりだった。
これを聞いて、
「うん?」
ジャガールは顔を歪めた。
「僕、なんかおかしいこと言いました?」
「いやそんなわけじゃないが、ミツマってのは、あれだ。奴隷なんかに何の用だ?」
ジャガールは悪びれた様子もなくその名前を口にする。
「奴隷?」
「ヒルデダイトには奴隷はいないのか? そんなに珍しいかね」
「いえ、そういうのじゃなくて」
「じゃなくて?」
ジャガールは、時々戦士の目をする。この時もそうだった。
「そう、奴隷。奴隷がどんなものか見てみたくて。僕は商売人だから、奴隷なんかも取り扱ってみたくて。儲かりますよね?」
僕は咄嗟にジャガールにあわせて笑ってみた。
「俺の尻の穴を拭いてくれるような連中だぞ」
「素敵です。奴隷ってすごい。僕のおしりも拭いてほしいくらいです」
「あんたは変わった奴だな。そんなのに期待して旅をしてくる奴なんて初めて見た」
「えへへ、何しろ商人なんで」
僕は言いながら、嬉しそうに笑っておく。傍目からは馬鹿な旅人と思われたかも知れない。それでいい。
この調子ならすぐにでもモーセとの約束が果たせるだろう。それは僕には嬉しい話で、しかし——。
これは決して奴隷を見て笑いたいという話ではない。
だったはずだが、
「ふうぅぅ」
振り返ったとき、僕は咄嗟に目をそらした。
殺気だった。
見てはいけないものを見た気がする。
黒いコート越しの冷たい目で、さっきまで離れていたところにいた黒服の女子がが僕の顔を覗き込んでいた。少女の束ねた髪の、その二本の尾が猫の逆立てた尾のように広がる気配を感じる。
「ぶっ殺す」
少女の唇がそんなふうに震えたと思った。
まずい。
「ただの好奇心です」と僕は言い訳しておく。
これはナタが慌てて走ってくるほどに緊迫していて、僕にとっては死ぬ寸前の景色のようなものだった。
エージェントの少女は、しばらく僕を睨んでから、
「ふん」
と突き放すように鼻をならして歩いて行ってしまった。何が彼女の気に障ったのかはわからない。その間、僕の心臓はバクバクと鳴り響いた。
あとに、ナタが言う。「さっそく魅力的な女の子との出会いがあって良かったな」という一幕だった。
そう、ここは異国の街並みが広がり様々な野菜や果物が集まる出会いの都。ミツライム。
僕が出会ったのは、不思議なエージェントたちだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます