第6話
真守が気付く少し前、彼らがいなくなった謁見の間で、ファンファノーラは再びソファに寝転がって頬杖をつき、新しくもらった煎餅の袋を開けていた。
「はーむ、ばりばり、やはり美味いな、もぐもぐ、煎餅は『日ノ国』に限るのう」
「陛下、煎餅がばりばりこぼれてます……」
かみ砕いた煎餅をソファにぽろぽろこぼしている主に、ウィルは呆れながら言った。
「うるさいのう、ウィルよ、おい、茶じゃ」
スカート丈の長いメイドはお盆に湯飲みを乗せて持ってきた。寝転がっている彼女のソファにあわせて屈み、お盆を差し出す。
「どうぞ」
「うんむ、ご苦労」
ファンファノーラは湯飲みの口部分をクレーンのように掴み上げて、そのまま口元まで持ってくると、寝転んだまま器用に湯飲みを傾けた。
「ずずっ、あちゅっ!」
メイドが焦るのをファンファノーラは『大丈夫じゃ』と制した後、
「ごくろうさまじゃ」
一言をお礼を言ってから湯飲みをお盆に戻すと、メイドは一礼して下がっていく。
「それにしても、陛下、思い切ったことをしましたね」
「何をじゃ? ばりばり……」
「彼のことですよ。くせ者揃いの『ブラッディセブンナイツ』を連れ戻せると、本気で考えているんですか? それに彼はクルースニク、警戒されて当然ですよ」
「普通ならな」
煎餅を掴んだ指をペロペロと舐めながら答えたファンファノーラは、
「彼は普通ではないと?」
寝転んでいた体を起き上げさせると、ソファに体全体を深く座りこませた。
「……あやつ、自分で気付いてはいないようじゃが、【誘惑チャーム】っぽい何かが掛かっておる。おお、こわいこわい、くふふ……」
ファンファノーラは全然怖がってなさそうに笑っている。
「【誘惑チャーム】って、人を操るという魔法ですか? ……ま、まさか陛下が助けようとしたのって、彼に操られていたからなのですか?」
「はっはっは、違う違う」
危機感を持つウィルに対し、ファンファノーラはあっけらかんと笑って首を振った。
「言ったじゃろ【誘惑〈チャーム】っぽい何か』じゃと」
「ぽい……とは?」
ファンファノーラは右の目尻を下に引っ張り右眼を強調させる。
「本来【誘惑チャーム】とは眼を介して、無意識に相手を洗脳することなのじゃが、奴の眼には何の魔力も感じられなかった。それにじゃ、わしもそれなりに【魔力抵抗】はあるつもりじゃ、そう簡単に【誘惑チャーム】なんぞにかかるわけなかろう――」
目尻から指を離したファンファノーラは、思い出すように続ける。
「――それなのにじゃ、奴の眼を見ていると、どこか惹かれてしまう自分がいたのも事実じゃ。【誘惑チャーム】ではない別の何かが、わしを引き寄せようとしていた。あれはいったい……なんじゃウィル、何か言いたそうじゃな?」
「……その、前にメイド達が話しているのを聞いたことがあるのですが、稀に女の庇護欲をかき立てる、『天性の女たらし』の男がいるようで、陛下はもしかし――もごっ」
飛び上がったファンファノーラは、ウィルの口に煎餅を投げ込んだ。
「たわけ! 庇護欲をかき立てる女たらし程度でいいなりになるわけなかろうが! 恋愛経験の無さを小説で補完するような奴らと一緒にするでないわ!」
やれやれじゃ、とぼやきながらファンファノーラは、再びソファの端の方ににドカッと座ると、肘置きに肘を置いて頬杖をついた。
「あくまで『惹かれる』というだけじゃ、全然抵抗出来る。現にあやつが助けて欲しいと言っていたが、わしは安易に助けようとしなかっただろうが……」
「……ばり、もぐもぐ、そうでしたね」
なるべく音を立てないようにこぼさにように、ウィルは煎餅を咀嚼して答えた。
「彼の【誘惑チャーム】っぽい何かに、陛下が惹かれていた――」
「惹かれとらん、惹かれそうじゃったけど、耐えた」
「――惹かれようとしていたことはわかりました。ただ、私は彼に惹かれているつもりはありません。これについてはどうお考えでしょうか?」
ファンファノーラは、頬杖をついている指で自分の頬をトントンしている。
「……おそらくじゃが、女のヴァンパイアだけが惹かれるのだろう。あの場に男のヴァンパイアもいたが、奴に惹かれていたのは、女のヴァンパイアである、わしとシャロンだけじゃった。シャロンも少し様子がおかしかったからのう……」
「彼女は、そうでしたね……」
「普段、あんな自己主張するような奴じゃないことと、わしのあいつに感じた印象を考えれば、女のヴァンパイア限定に惹かれると考えるのが妥当じゃ」
「なるほど……あ、だから彼なんですか?」
「察しがいいのう、ウィルよ。女のヴァンパイアに惹かれるクルースニク、あいつらを連れ戻すのにこれほど良い人材はないぞ。ふっふっふ……はむ、ばりっ」
ファンファノーラは悪い笑みを浮かべながら、煎餅を咥えて一囓りした。
「ヴァンパイアに惹かれるクルースニク、普通ではない彼ならば、もしかすると、あのくせ者達を連れ戻せるかも知れませんね。……ん?」
そこまで考えて、ウィルは気になることがあるのか顎に手を当てた。
「今のを踏まえてなのですが、シャロンを彼と一緒にさせてよかったのですか? 【誘惑チャーム】ほどではないですが、彼に惹かれているのは確かでしょう」
助けようとしていたシャロンが、真守に惹かれているのは明らかだった。
「もぐもぐ、もぽいじょいか?」
「ちゃんと咀嚼してもらっていいですか」
「んぅ? ごく、ぷへっ、大丈夫じゃないか? さっきも言ったが全然抵抗出来るし、本人も【誘惑チャーム】っぽい何かに気付いていたしのう」
ファンファノーラは両手を頭の後ろへとクロスさせて、ゴロンと仰向けに寝転がった。
「安心せい、あやつは馬鹿じゃない、聡い子じゃ、何せあやつは……」
そのまま眼を瞑るファンファノーラ。見た目だけをみればあどけない子供の寝姿だ。
「……陛下?」
「とにかくじゃ、今は見守ろうではないか、はっはっは」
心配な様子のウィルとは対照的に、ファンファノーラは楽しそうだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます