7.リリの友達


 からん、と。また扉の開閉音を背に聴く。

 すでに今の音が、客が来店したものなのか、帰ったものなのかはわからない。

 音を背に聴くだけで、リリは手にした箒をただ動かしているだけだから。

 通りに面したラヴィルの薬屋。その表を箒で掃くのが、今のリリの仕事だ。

 通りを彩る植木から落ちた葉を掃いては掃く。その繰り返し。

 ぼぉーとしたその掃きさばきに、リリが肩から下げた大きめバッグに収まるコシュール――ヒツジは「おい、リリ」と小さく呼びかけた。

 通りに人通りがある時間帯なため、大きな声は出せない。

 ヒツジの声を聞き留めたリリが、はっとしたようにヒツジを見やる。


「なに? ヒツジさん」


 同じく小さな声で応えながらも、箒を動かす手は忘れない。掃いては掃く。


「……捨てにいかなくていいのか? 山になってんぞ」


「やま……? ――あっ!」


 バッグから顔を覗かせ、短な手足でヒツジが指し示す先を追ったリリは声を上げた。

 気づかぬ間にこんもりと山になった落ち葉。その山盛りぶりに、通りを歩く人々からは二度見どころか三度見されている。

 その状況に慌ててしまい、意味もなくわたわたと周りを見渡していると、バッグから「籠っ!」と声が上がって、リリの身体がびしっと跳ねた。

 そして、落ち葉を集めるための籠を取りに、裏手の方へと急いで向かったのだった。




   *




 落ち葉を集め終え、すっきりとした店の表にふうと一息ついた。同時に、自分のわたわたぶりに肩を落とす。


「……だめだ。思ったよりも落ち込んでる」


 うまくいかないことが、リリの落ち込み度合いをさらに深くさせる。

 夢渡りの精霊として何をすべきなのか見出だせないのが、もどかしくて悔しい。

 ちらりとバッグに収まるヒツジを見やる。今の彼はぬいぐるみを決め込んでいるらしく、だんまりだ。

 ヒツジ――コシュールは言っていた。勘違いしてたことに、まずは気付けたんだ、と。

 それはつまり、彼は解っていたということだ。リリが勘違いをしていたことに。

 はあ、と大きなため息を落とした。彼は教えてくれるつもりはなさそうだ。

 自分で気付かねばいけないこと。ということらしい。

 からん、と。また店の扉が開く。

 店を出たのか、入ったのか。それを確かめるべく振り向く気も沸かない。と。


「――よっ」


 突として背後から声をかけられた。

 鬱々とした気持ちでいたからか、突然のことに肩が跳ね上がる。


「――ふ、ぁいっ!?」


 発した声は妙に上ずってしまう。

 がばっと勢いよく振り返ると、声をかけてきた人物が肩を震わせてくつくつと笑っていた。

 リリと同じ歳くらいの荷物を手にした少女。震える肩の揺れに、彼女の被るキャスケット帽から髪がこぼれ落ちる。


「なに、その反応。笑う」


 面白がる色を宿した瞳が、リリを楽しげに見やった。


「な、なんだぁ、アミかぁ……。驚かせないでよぉ」


 はぁああ、と重い息を吐きながら、へなへなと肩を落とすリリに、アミと呼ばれた彼女は顔をむっとさせる。


「なんだよ、人がせっかく声をかけてやったのに」


「そ、そうだけど、突然だったから。……うん、でも、その、ごめん……」


 今度はしょんもりと肩を落とすリリに、アミは面倒そうに顔を呆れされた。

 やれやれと肩をすくめ、店の外壁に背をあずける。

 帽子を取ると、収まっていた髪がさらりと落ちた。長めの髪を雑に手で梳くと、荷物を小脇に抱えて改めてリリを見やる。


「んで? 何を落ち込んでるんだよ。話くらいなら、このあたしが聞いてやるけど?」


 話を促すように、アミはリリの顔を覗き込む。


「うん……ありがと……。でも、どうして――」


「――落ち込んでんのに気付いたかって? そんなの簡単さ。あたしら友達じゃん」


 にっと歯を見せて笑うアミに、リリは大きく瞳を見開いた。

 今、あたたかな何かが心に沁み入った。その心地に驚いて数度瞳を瞬かせる。

 けれども、うん、という返事は、自然と口をついて出ていた。

 自分で返した返事は、じぃんとした優しい余韻を胸に残す。それはまるで、湯気が立ち上るホットミルクの味に似ている気がした。




「――そんで、なんかやらかしたの?」


「……うん。やらかした、のかな」


 リリはアミにどう説明しようかと言葉を探す。

 自然と視線は足下に落ち、通りに敷かれた石畳を小さく蹴った。

 アミはリリが精霊だということは知らない。彼女に対して秘密事があるのに、それでも友達だと言ってくれたことが嬉しかった。

 だから、できるだけアミに嘘はつきたくないなと思う。

 そんなことを考えているリリの隣で、「あっ」とアミが声を上げた。


「やらかしたそのなんかで、父さんに怒られるってびくびくしてたとか?」


 にししと意地悪く笑うアミに、リリはきょとんとした顔で問い返す。


「父さんって、誰の……?」


 今度はアミがきょとんとする番だった。

 二人の間に静寂が横たわりかけるも、通りを行き交う人々の喧騒が転がしていく。


「誰のって、あんたの……」


 アミがゆっくりと手を持ち上げ、リリをそっと指さす。

 リリはぱちくりと瞳を瞬かせる。


「え? でも、父さんって誰のこと……」


「……へ? ラヴィルさんって、違うの?」


 もしかして、ずっと勘違いをしていたのでは、と。アミはさあと血の気が引いていく思いがした。


「違うよ。ラヴィはリリの父さんじゃないし、というか、リリにお父さんもお母さんもいないよ?」


 こてん、と何でもないような顔をして首を傾げるリリに、アミはきゅっと眉を寄せた。

 その顔がリリには辛そうな顔に見えて、なぜそのような顔をするのかと、不思議に思って今度は逆の方へと首を傾げた。


「……知らなかったとはいえ、やなこと訊いた。ごめん」


 小さく頭を下げるアミを、リリはやっぱりよくわからなかった。


「いいよ、アミ。リリ、気にしてないもん」


「……うん。ありがと、リリ。――よしっ、この話はおしまいっ!」


 ぱんっ、とアミは手を一つ打ち、妙な空気になっていたそれを吹き飛ばす。


「あんたの話を聞こうっ! ちゃかすのはなしな」


 真面目な顔付きでリリと向き合い、アミは聞く姿勢を正す。

 そこに先程までのちゃらけたような気配はなかった。

 アミの話の展開の早さにはついていけないリリだったが、話を聞こうとしてくれることは嬉しい。

 なら、リリもしっかりと話さなければならない。と、気合を入れ直し、直球でいくことにした。


「――ホットミルクを渡されたら、アミはさみしいって思う?」


「……は、ぃ?」


 数瞬、間を置いた。

 あまりに予想の外側からの問いに、アミは思わず肩からずり落ちそうになった。意図を問おうとしてリリを見やる。

 が。リリの顔を見て、アミは開きかけていた口を閉じた。

 リリの顔があまりに真剣な顔だったから。


「……そのホットミルクは、リリがくれたもの?」


「うん、リリがアミに渡したミルク。寒くないようにって、あったまって欲しくて」


「ふーん、そっか」


 アミは軽く腕を組み、想像してみる。目も閉じ、その場面を思い浮かべる。


「寒いっていうのは、そこは冷え込んだ部屋かどっか?」


「……わかんない。寒い匂いがしたから、寒いのかなって、リリは思って……」


「寒い匂い――? ん、寒い雰囲気ってことか……? なら、確かにあったかい飲み物もんは沁みるかもなあ」


「湯気が立ったホットミルク渡したよ」


「……おぉ、そりゃあったかそうだ」


 想像の中で、アミもリリから湯気立つホットミルク入りのマグカップを受け取った。

 両の手で包み込むように持てば、そのあたたかさはじんわりと身に沁み入るだろう。ほっと、緩く息を吐き出した。


「んで、リリもあったまったか?」


 未だ想像の中に居るアミは、そのままの状態でリリに問いかける。

 けれども、リリは「え」と瞳を瞬かせた。


「なんでリリも? ミルクはアミの分だけだよ」


「え、そなの?」


 目を開けたアミは、まじまじとリリを見返す。


「なんだ、あたしだけしかないのか」


 ふーん、と声をもらすアミに、リリは少しだけ不安げに瞳を揺らした。

 リリが間違えたとすれば、おそらく、この辺りな気がするのだ。口を引き結び、アミの答えを待つ。

 アミが静かに息を吸った。


「だとすれば、あたしの答えは『さみしい』だな」


 どくん、と大きく鼓動を打ち、リリは直ぐ様声を上げる。


「なんでっ……!」


「だって、一人はさみしいじゃんか」


 はっと瞳を見開いた。

 その言葉は、昨夜の夢でも聞いたもの。


「誰かと一緒に居るあったかさを知ってれば、なおさらにな」


 アミは苦く笑った。


「ほら、あたしんちってさ、親の仕事が多忙期になると、あたしと生活合わなくなんだよね。あたしが起きる頃に家出るし、あたしが寝る時に帰ってくんだよ。だから、ご飯とかいろいろ、一人になること多いんだ」


 そういえばとリリは思い出す。

 アミの両親は仕事柄、多忙期とそうじゃない時期とで、生活時間の差が大きいのだ。

 だから、アミは一人で過ごすことも必然的に多くなる。

 今だって、家の手伝いの一環で薬屋を訪れていたはずだ。

 アミの家は、常備薬などをラヴィルの薬屋で買ってくれている。今日はその補充目的でアミは訪れているのだ。


「……まあ、もう慣れたからいいんだけどさ。そんでも、ご飯食べる時とか、一人はさみしくて。母さんと父さんと食べるご飯の方が、何倍もあったかくて美味しんだよね。――だから、あたしの答えは『さみしい』ってわけ」


 にっと、アミは歯を見せて笑う。

 その笑顔が少しだけ無理をしているように見えて、リリは無意識に彼女の手に触れていた。

 アミの手を包むようにして、リリは真っ直ぐに彼女を見やる。


「そのホットミルク、リリも一緒だったらさみしくない……?」


「……うん。そーだな」


 視線を手元に落としたアミも、リリの手にもう片方の手をそっと重ねた。そして。


「あたしだけじゃ、リリを仲間外れにしたみたいで、それも嫌じゃん?」


 くしゃりと笑う。リリは瞳を瞬かせる。


「仲間、外れ……」


「そーだよ。だってさ、もしもだよ? リリだけ焼き立てでさくさくしたうまいお菓子食ってんの。んで、目の前にあたし居んの。それはどう思う?」


「……それは、やだ」


 リリは小さく顔をしかめると、アミの手をぎゅっと強く握った。


「アミと分けて食べるもん。その方が絶対おいしいもん。それに一人で食べるのだって、なんかつまんないと思う」


「だろ? つまんないって思うってことはさ、一緒に居る楽しさを知ってるってことなんじゃね? って、あたしは思うんだよね」


 ――一緒に居る楽しさ。

 はっとしたようにリリはアミを見上げた。


「あたしはリリと居るの、楽しいよ?」


 口の端を少しだけ持ち上げ、ちょっと格好つけてアミは笑う。

 その言葉が、リリの身体にじんわりと沁み入る。全身で受け留めたリリは、顔を綻ばせると勢いよくアミへと飛びついた。

 うわっ、と声を上げ、アミはたたらを踏む。


「えへへ。アミっ、ありがとっ! リリもアミと居るの、楽しいよっ!」


「……なんだよ、そんなん知ってるよ」


 頬を寄せるリリの頭を、アミは優しく撫でた。

 その顔は恥ずかしそうに、それでも嬉しそうに綻んでいた。

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