第2話 神殿からの迎え

「良かったわねポラリス。神殿からお迎えの人が来てるわよ」


 甘ったるい声音で、母がいきなりすぎることを言う。

 ポラリスは絶句した。


 あれからポラリスの生活状況は悪化していく一方だった。


 ポラリスの実家は豪華な邸宅だ。パーティーが開ける広さのリビングも、ホームシアターやサンルームもある。


 あくまでポラリス以外の者のみが楽しめる場所だった。


 ポラリスはそうした場所への立入を禁じられている。彼女はできそこないの使用人であり、家族では無いらしい。


 一応一八歳の高校生で大学受験生だ。家の面子もあって、それなりの大学に入学するため頑張っていた。

 もしかしたら外の世界に逃げられるかも、と信じて。

 


 でも。


 ポラリスは王都シレンシオの次期聖女に選ばれた。選ばれてしまったのだ。


 現聖女がとある事情で引退を考えるようになり、大水晶の許しもあって次代の聖女選出が実行されたという。


 忘れない。王都中の人々に向かって、大水晶の『お声』はポラリスの名をお告げになった。



『ポラリス・クライノートをシレンシオの次期聖女とする』



 それから程なくして正式な決定通知が神殿から届いた。聖女、聖者となる者は神殿で生活することになる。


 なので大学進学は諦めた。特例として受験費等は返金されたが、イヴォンは教育費が無駄になったと喚き、バケツでポラリスに冷水をぶちまけた。もう冷たさも感じないようになっていたけど。


 人は何にでも慣れる生き物だ。虐げられることにも慣れるのだ。


 聖女も神殿もこれからの厳しそうな生活も、はっきり言ってどうだって良かった。


 でも、そんな彼女にも。小さく花が咲くような望みがあった。


 ――リヒトさん。


 あのシャボン玉の日から結局一度も会えていない、たった一人の味方。


 今だからこそわかる。きっとポラリスはリヒトに、小さな恋をしていた。


 遊んでくれて嬉しかった。話してくれて嬉しかった。生きて欲しいと言われて嬉しかった。


 だから、願うなら会いたい。もしかしたら神殿に会いに来てくれるかもしれない。 

 一目で良い、会いたい。

 会いたかった。あい、たかった。



 通知が届いて以来、神殿からは何の連絡も無かったはずだ。


「お迎えの方が……本当にいらしているのですか?」


 ようやく絞り出した声は震える。あっけらかんとイヴォンは答えた。


「先に来る予定だったのを早めたんですって。早く支度したくして頂戴ちょうだい?」


 イヴォンはわらう。


「あの、お父様は…………」

「ベネデッドさんはお仕事ですよ。お忙しい方なのだから、ここにいないのは仕方無いでしょう?」


 ねえ? とねっとりした眼差しを向けられ、ポラリスの背筋に悪寒おかんが走る。


 ――私は、もう、要らない、子。


 いっそどこか遠くに行って消えてしまおうか、そんな思いつきと同時に。


「失礼。娘さんはこちらで?」


 キレのある、女性のハスキーボイスが凜と響く。

 かつかつとヒールの音をわざと鳴らして、声の主が姿を現した。


 オフィスカジュアルな服装の美女だ。その葡萄ぶどう色の双眸そうぼうがポラリスを捉えると同時に、引き結ばれていた口元がほころんだ。


「初めまして、クレアシオン神殿から参った。神殿長のビアンカ・ブランカだ。あなたがポラリス・クライノートか?」


「は、はい。そうです」


 若く三十代くらいにしか見えないが、どうやら神殿のお偉方らしい。

 イヴォンが文句を言われてもおとなしくしているあたり、本当なんだと実感する。


 じっとポラリスを見つめ、なぜか一度悲しげな顔をしてからビアンカは告げた。


「そうか。今日は君を保護するために来た。――守護騎士となる者を、玄関で待たせているんだ。まずは会ってくれるか?」

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