食べれないということ
カミオ コージ
(短編No.4)食べれないということ
父にとって、食べることは生きることだった。
皿に盛られた料理を口に運び、噛み、飲み込む――その一連の動作が、ただ体を維持するためのものではなく、心を満たし、生きる実感を得る行為だと、父は信じて疑わなかった。
「いいか、食べるっていうのは、ただ腹を満たすだけじゃないんだ」
父はそうよく言っていた。食卓に並ぶ料理をじっくり眺め、味わい、時には思い出話を交えながら箸を進める。その姿は、まるで「食べる」という行為そのものが、父の人生そのものを象徴しているかのようだった。
☆
父は、仕事一筋の人間だった。
大手商社に勤め、海外を飛び回り、朝から晩まで働きづめだった。家のことはすべて母に任せきりで、掃除も洗濯も料理も一切やったことがなかった。
それでも父は、家族を愛していたのだと思う。「仕事で家族を支える」ことが父にとっての愛情表現だったのだ。
そんな父が家事を学び始めたのは、定年退職後15年が経ち、母と気ままに暮らしていた頃だった。二人で旅行に出かけたり、家で穏やかに過ごす日々を楽しんでいたが、母が脳梗塞で倒れ、寝たきりになったことで生活は一変した。
「まずは掃除機をかけてみて。難しくないから」
母はベッドから、父に掃除の手順を教えた。
「洗濯物は色物と白物を分けるのよ。それから、洗剤はこのくらい」
細かな指示に従いながら、父は何とか家事をこなしていった。
料理もまた、母の指導のもとで覚えた。
「スープなら簡単よ。具材を切って鍋に入れて煮込むだけで、立派な料理になるわ」
最初は野菜をうまく切れず、塩加減を間違えてスープをしょっぱくしてしまう父だったが、何度も鍋を覗き込み、母の言葉を頼りに少しずつ上達していった。
☆
脳梗塞で倒れてから2年後、母が亡くなる頃には、父は家事全般を一通りこなせるようになっていた。
「俺、一人でもやっていけそうだ。お母さんの研修を受けたからな」
そう言って母を見送った父は、その後5年間、自宅で自立した生活を続けた。
掃除や洗濯をこなしながら、父が何より大切にしていたのは、毎日作り続けたスープだった。
鶏ガラでだしを取るコンソメ、トマトの酸味が効いた野菜スープ、貝の旨味が溶け込んだスープ――どれも母との日々を思い出す、父にとって特別な料理だった。
「スープってのは不思議だよな。具材やだしが全部一つに溶け合う。それぞれの味がひとつの料理になっていく。それがいいんだよ」
父にとって、スープを作ることは単なる家事ではなかった。
それは「生きることそのもの」であり、母が教えてくれた「生きる意味」を繰り返し確かめる行為だった。
☆
だが、80代後半に入り、父の体は次第に衰え始めた。
転倒が増え、膝を痛めた父は家事にかける時間も短くなった。それでもスープ作りだけは手を抜かなかったが、ある日、ついに限界が訪れた。台所で転倒し、そのまま一晩倒れたままだったのだ。翌朝、訪れた僕がそれを発見したとき、父は申し訳なさそうに言った。
「すまんな……」
それが老人ホームへの入居を決めたきっかけだった。
海が見えるホームの部屋を見て、父は静かに頷いた。
「ここなら悪くないな」
そう呟いた父の声にはどこか寂しさがあった。だが、それ以上に自立を諦めたことへの悔しさが滲んでいるように感じた。
☆
老人ホームでの生活が始まった父は、最初こそ自立を諦めたことへの悔しさを隠せない様子だったが、次第に新しい日々に馴染んでいった。特に、ホームで提供される食事を気に入っていた。
「ここの食事は美味しいんだよ。家庭の味っていうのかな、丁寧に作られてる」
父はそう言って、出された料理を楽しみにしていた。毎日の食事は、父にとって「食べること」を再確認できる唯一の時間だったのかもしれない。
老人ホームで過ごす中で、父は一つの習慣を作り上げた。食べた食事の時間とメニューをノートに記録することだ。
朝は何時にパンとスープを食べたのか、昼は焼き魚だったのか、夕食にはどんなデザートがついていたのか――父のノートには、日々の食事が細かく書き込まれていた。
「こうしておくと、食べたものが頭に残るんだよ。ほら、後で読み返すのも楽しいからな」
ノートに書かれた記録は単なるメモではなく、父がその日一日を振り返るための時間だった。それは、父が「食べること」をただの行為ではなく、特別な出来事として捉えている証でもあった。
3年間の生活の中で、父はそのノートを何冊も埋めていった。食事を記録する行為そのものが、父にとっては小さな生きがいになっていたのだろう。
だが、そんな生活にも突然の転機が訪れた。老人ホームに入居してから3年目、父は誤嚥性肺炎を発症し、病院に移されることになったのだ。
☆
病院で医師から説明を受けたのは、父が誤嚥性肺炎で入院して数日後のことだった。
「お父様の状態では、普通の食事を続けることは非常に危険です。選択肢は三つあります。一つは点滴で最低限の栄養を補給する方法。二つ目は鼻腔栄養で、鼻から胃に直接チューブで栄養を送る方法。そして三つ目は、リスクを承知のうえで食事を続ける方法です。ただし、三つ目の場合、再び誤嚥性肺炎を起こす可能性が非常に高いです」
医師の言葉は冷静で理路整然としていたが、僕の頭の中では、それが父の「食べること」を奪うという事実に変換されていた。父にとって食べることは生きることそのものだ。それを奪う選択をすることが、どれほど重い決断なのか――その重圧が肩にのしかかるのを感じた。
僕は父に説明しなければならなかった。父が理解できる範囲で、現実を伝えなければならない。
「親父、これが一番安全な方法だよ。鼻から管を通して胃に栄養を送るんだ」
父はその言葉を聞いても、すぐには答えなかった。目を細めてじっと僕の顔を見つめた。
「胃に直接って……どういうことだ?飯は食えるのか?」
その声には、どこか困惑と不安が滲んでいた。
僕は一度視線を落とし、静かに答えた。
「……口からは食べられないけど、栄養はちゃんと入るんだよ」
その瞬間、父の顔からほんのわずかに力が抜けたように見えた。父は何かを言い返そうとしたのか、唇を少し動かしたが、すぐに黙り込んだ。そして、ゆっくりと小さくうなずいた。
そのうなずきが、本当に父が現実を受け入れたことを意味しているのか、僕にはわからなかった。ただ、目の前にいる父が、「食べること」を失うという、父にとってはあまりに大きな喪失をこれから経験しなければならない――その深さだけは痛いほど感じ取れていた。
僕が選択したのは、最も「安全」だとされる方法だった。だが、その「安全」は父にとっての幸せを保障するものではなかった。それがわかっていながら、僕には他の選択肢を選ぶ勇気もなかった。
医師の言葉を頼りに決断したことが、正しかったのか。それは今でも答えの出ない問いだ。
☆
ある日、父の商社時代の部下だったという男性が病院に訪ねてきた。
僕と彼が顔を合わせたのは病院のロビーだった。手には紙袋を抱え、スーツ姿がきちんと整えられている。その表情には少し緊張が見えた。
「初めまして。田中です。部長には本当にお世話になりました」
彼は深く頭を下げた。その仕草には、父への敬意がにじみ出ていた。
「わざわざありがとうございます。父も喜ぶと思います」
僕がそう答えると、彼は紙袋を差し出しながら言った。
「これ、部長が好きだったものです。イタリア産のパテとワイン、それにクラッカーを入れました。退院されたら、ぜひ召し上がっていただきたいと思って……」
その言葉に、僕は心がぎゅっと締め付けられるようだった。父が退院することはもう叶わない。食べることもできない。それでも、彼の気遣いを無下にすることはできなかった。
「ありがとうございます……父も懐かしがると思います」
病室に入る前、僕はそっと足を止めた。そして、廊下の隅に紙袋を置いた。父の目に触れないように――まるでそれが一つの秘密であるかのように。
袋を隠す瞬間、僕は自分が何か大きな罪を犯しているような気がした。
食べることは、父にとって生きることそのものだった。それを知っている僕が、その象徴を隠すという行為は、父の人生そのものに背を向けているように思えた。
父はもう食べられない。それを理解し、受け入れるように振る舞っている。でも本当はどうだろうか――父の中に、食べたいという思いが今もどこかで燻っているとしたら? それを僕が、勝手に否定してしまったのではないか?
袋を隠した僕の手には、何か見えない重さがのしかかっていた。
☆
病室に入ると、父はベッドの上で目を閉じていた。鼻には管が通され、その姿はかつての父とは全く違って見えた。僕が声をかけると、父はわずかに目を開けた。
「親父、田中さんが来てくれたよ」
僕がそう言うと、父はそっと彼に目を向けた。
田中さんが一歩近づいたとき、彼の表情が一瞬強張るのが分かった。父の変わり果てた姿に、戸惑いを隠せなかったのだろう。それでも彼はすぐに表情を整え、静かに口を開いた。
「部長、お久しぶりです。田中です」
父は目だけで彼を追った。そして、唇をわずかに動かしたが、声を出すことはできなかった。代わりに、その瞳が何かを伝えようとしているように見えた。
田中さんはそれを感じ取ったのか、すぐに続けた。
「本当にお世話になりました。部長のおかげで今があります。こうしてお会いできて光栄です」
父はほんのわずかに頷いた。それだけだったが、その動作には力が込められていた。
☆
短い会話の後、田中さんは再び頭を下げた。
「どうかご自愛ください」
父はもう一度頷いただけだったが、その目には、かすかに安堵のような光が浮かんでいた。
田中さんが病室を出るとき、僕も後に続いた。廊下の隅に置いた紙袋を拾い上げ、それを胸に抱えたまま立ち尽くす。袋の中には、父がまだ「食べること」を楽しみ、仕事仲間と笑い合っていた頃の記憶が詰まっている。それを隠してしまった自分が、再び胸の奥で罪の意識を覚えた。
父はもう食べられない。僕はそれを受け入れさせられた。けれど、父はどうだろう? 本当に「食べること」を諦めているのだろうか?
紙袋の重みは、単なる物理的なものではなかった。それは、僕が父から奪ってしまったもの――父が生きる中で最後まで大切にしていたものの象徴だった。
僕はその袋を見つめながら、ふと小さく息を吐いた。これが父のためだったのか、それとも僕自身のためだったのか――答えは出なかった。
語り手が紙袋を隠した行為に対して抱く「罪の意識」を中心に、父との関係性とその行動の重みを掘り下げました。この形でさらに調整が必要であればお知らせください!
☆
鼻腔栄養が始まってからの1カ月間、父は食べ物の匂いを嗅ぎたがった。そしてぽつりと呟いた。
「飯……食いたいな……」
その声には、生きたいという思いがにじんでいるようだった。
☆
1カ月後、父は静かに息を引き取った。
☆
葬儀が終わった夜、僕は台所に立ち、父の部下が持ってきた袋を開けた。
缶詰、クラッカー、そしてワイン――すべてが静かにそこに佇んでいた。それらは、父が生きていた頃の一部を、そのまま時間の中から切り取って、僕の手元に差し出しているように思えた。
缶詰の蓋を開けると、濃厚な香りがふわりと広がった。
オイルに輝く鴨肉のパテが缶の中に詰まっている。それをスプーンですくい、クラッカーにのせた。歯で噛み砕くと、舌の上で濃密な旨味が溶け出し、味覚が一瞬で支配された。
父にとって、食べることはきっとそういう行為だったのだろう。生きることと食べること。その境界線はいつも曖昧で、もしかしたら彼の中では最初から存在しなかったのかもしれない。
ワインのボトルを開ける。コルクを引き抜く音が部屋に響いた。
グラスに注ぎ、黄金色の液体を少し揺らしてから、一口飲む。軽やかな酸味が舌に広がり、その奥にわずかな果実の甘みが漂った。
目を閉じると、父がそこにいる気がした。いや、いるのではない。父の生きた痕跡が、僕の中に、静かに息づいているのだ。
「親父、これが最後の晩餐だったんだな」
そう呟くと、部屋の空気が一瞬だけ揺れた気がした。
生きることとは何か。食べることとは何か――僕はその答えを知らない。ただ、いま自分の中にある空白を、父の味わったものと同じ食べ物で埋めている。それが、父が僕に残してくれた何かと向き合う唯一の方法のように思えた。
部屋の窓の向こうに白々と夜明けの光が差し込み始めていた。
世界は変わらずに動き続ける。食べることができても、できなくても。それでも、食卓の片隅には、父の痕跡のようなものが、これからもずっと残り続ける気がした。
食べれないということ カミオ コージ @kozy_kam
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