第6話・あなた様は一体、どなたですか?
「母さんは当時、娼婦をしていたから、憲兵に迷子の届けを出しても客との間に生まれた子では無いかと、疑われるのが嫌だったらしい」
私の表情を読んだように彼は言った。
「娼婦への偏見はどこの国でも一緒だろう? あまり良く思われないからな」
「あの。あなたがお連れになった御方は、そのご両親の娘さんなのですか?」
そこで気になるのは、ディジーの存在だった。父からは家族同然に暮らしていたと聞いた。もしかしたらその花屋の両親の娘で彼とは兄妹のように暮らしていたとか?
「違うよ。彼らとは関係ない。彼女ディジーは親を亡くして……、両親が可哀相に思って引き取って育ててきた」
「訳ありなのですね?」
「んまぁ、そうなるな。でも、婆ちゃんは知っている」
「婆ちゃん?」
「あ。いっけねぇ。ベアトリスお祖母さま?」
「なるほど……」
大叔母が容認しているということは、ディジーには何か秘密があるのかも知れなかった。
「でも、あんたは母さんを蔑まないんだな? 娼婦をやっていたと聞いても何も感じないのか?」
彼は探るようにこちらを見てきた。娼婦についてどのような仕事か私も知っている。修道女には昔、娼婦だった人も中にはいた。彼女はそれを生きて行く為の手段として、選ぶしか無かったと言っていたものだ。最終手段としてそうする他なかったと私には聞こえた。そのような思いを抱えて生きてきた人を、批難する気にはなれなかった。
「どこに蔑む必要がありますか?」
質問に質問で返すようなことをしてしまった。彼は顔を歪めた。
「なかには平民ですら娼婦の息子と知ると俺を馬鹿にした。婆ちゃんには、皆に舐められては困るから、母親の素性は隠しておくように言われていた」
「そうでしたの。それなのに私に教えてくださったのは何故ですか?」
「俺さ、お姫さんは苦労知らずで、使用人に傅かれて大事にされていると思っていた。でも、あんたの手は掌にマメがあるし、俺達のような労働者に近い手をしている。あんたなら信頼できそうな気がした」
彼はエスコートした時に、触れた私の手の状態に気が付いたようだ。別に隠すつもりもなかったし、掌のことなど全然気にしていなかったから、彼の洞察力に驚いた。
「ベアトリスさまから話に聞いていませんか? 私は修道院にいたのです」
「婆ちゃんから? それは聞いているけど──」
「私はお客さまとして滞在していたわけじゃありません。他の修道女達と同じように朝、日が昇る前に起きて水汲みや、掃除、洗濯を行っていましたから。それに時折、薪割りもしていました」
「嘘だろう? あんたは大公家に次ぐお偉い貴族のお姫さんなのに? 貴族のご令嬢達は修道院では花嫁修業と称して、一時滞在しているだけじゃないのか?」
「そういったご令嬢達は、私がいたサンセント修道院にはいらっしゃいませんでした」
意外にも彼は修道院事情を知っているようだ。確かに貴族令嬢達が一時、修道院に来ることはある。大概婚約が決まった者達だ。花嫁修業の一環として修道院に数ヶ月身を寄せ、貞淑な妻の心得とやらの教えを受けるために。一種の箔付けのようなものだ。でも、私は違う。
「私はウォルフリックさまの身に起きた出来事が、自分にも関係があるように感じていました。ですから贖罪の為にヘッセン家の娘であることを捨てたつもりでした」
「あんたは何も悪くない」
「いいえ。私の罪です」
恐らく彼は大叔母から詳細は聞かされていたのだろう。同情的な目を向けてきた。彼は根が正直過ぎる。本心に蓋をして、顔に感情を乗せること無く、そつなく大公として生き延びるには難しそうだ。
その彼に思い切って問いかけてみた。再会してからずっと引っかかるものがある。
「あなた様は一体、どなたですか?」
私の真剣な問いに、目の前のウォルフリックは一瞬目を見張った。そしてハッハハと空笑いをしてから言った。
「あんた、いきなり何を言い出すかと思えば……。そうだな。あんたから見た俺は一体、何者なんだろうな?」
「どうしてですか? どうして今になって現れたのですか?」
どうしてもっと早く──と、いう思いに突き動かされて、私は腹立たしく思った。彼の鷹揚な態度が気に入らなかった。
「失礼します」
席を一人立っても咎められることは無かった。
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