文具とは何か ―ベリショーズvol.13「文具」感想文

新出既出

第1話 『不思議堂文具、再び』 すみれ さん

p.8)こんな時代だからこそ、あなたの文字で、


筆記と通信とが一体となり、物質は情報のまま送り出される。それは肉体を媒介としない霊体化でもある。しかし霊体は霊体として孤立し、明瞭な筆跡をもてないが故に、つねに疑似的外部が介入してしまうため、むしろ「個」は希薄になる。「個」とはある意味で時差にのみ発生し、手間と逡巡にその本質があるのではないだろうか。それを「手続き」と呼べば、文具とは「情報」と「個」とをマッチングする時差を生み出す手続きの機構なのである。



p.9)どうやら、この〝風筒〟。想いだけでなく、匂いまで届けてくれるらしい。


便箋に香を焚き籠める慣習を耳にしたことがある。また仏教には「薫習」という考え方があり、互いに影響し似てくることを意味する。「あの二人は同じ匂いがする」という比喩はこの効果を示している。嗅覚は風と相性がいい。思いを風にのせるとききっと匂いも攫っていくに違いない。


p.9)インク瓶のなかの、


ときめきを色に託して閉じ込めるインク便。それを再現するのにペンやノートは不要である。ときめきは言語化以前の働きであり、没入感としてしか経験できないからだ。それがインクの形式であることに象徴性がある。なぜなら、インクとは紙に形状を記すための不定形の媒体であり、それはペン先の震え如何によっていかような文字へも変化し、その連なりを読み手は体験へ還元するという、時差を前提とした手続きの用具に他ならないからだ。ここで重要なのは、文字ではなく色だ。色は匂いに似ている。空っぽのインク瓶を「透明」と表現する作者は、風と色は無色であるがゆえにいかような性質にも影響を与えないと考える。風とは無色のインクである。



p.10)えーって声が聞こえてきそうだけど、私を信じて、思い切り。中身を床に溢してみて。


タブーを破るよう命じられ、それに従うことはエロティックだ。自らを汚せ、という命令ならばなおさらだ。このような命令に従わずにいられない絶対的信頼とは、本能的服従にほかならずその甘美さは背徳と名付けられる


p.11)あったかくて、そしてはっきりした文字。


ひじょうに重要なことは、このインク瓶の詰め合わせに、メッセージカードがついていることと、そこに書かれている文字の特徴を明記している点である。「はっきりした」は客観的な形状である。しかし「あったかくて」は主観だ。文字の形が「あったかい」という感覚を、しかしわれわれは感じ取ることができる。「風筒」においても、「インク瓶」においても、「文字」は「思い」をのせる器である。



p.12)大好きな世界だけれども。少しだけ目を背けたくなって、手帳を閉じる


『日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも 』という塚本邦雄さんの短歌を思い出す。作中の彼は、ペンギンのイラストがついていたからこの手帳を選んだのだろうか? それにしてもペンギンはこの短編にとてもよくマッチする。


p.13)タバコの箱。青いパッケージだが、海でも空でもなんでもない。ただの青。


青が印象的なタバコのパッケージというと、わたしには"hight-lite"で、父が吸っていたタバコだ。また、ゴロワーズというフランスのタバコも青だった。芸術家が好むひじょうにきつい両切りのタバコだった。さて、インク瓶では「色」が象徴だった。だがこのお話における「青」はなにも象徴しない「ただの青」と切り捨てられる。



p.13)俺の手帳から、ペンギンが消えた。


ペンギンは差し出したガイドブックの、とある島のページの海へ行ったという。作者の背景から勝手な想像をはたらかせれば、このガイドブックは、非日常をいつか楽しむための旅行用なのではなく、今いる島へ移り住む前に、この島のことを知るために買ったガイドブックではないかと想定してみる。そこにペンギンを放すという行為は、だから、今ここからの逃避なのではなく、原点回帰なのだろう。手帳から消えたペンギンは、確実に、自分の心に還ってきているのではないかと思う。

 

 

p.15)包想紙っていって。想いも一緒に包むことができるらしくて。


作者にとって文具とは、「想いを届ける」補助具なのだ。しかもそれは「離れた相手に対して」用いられることが多い。そして「離れている」とは、普段会えない状態、のみならず、以前の自分自身であったり、すぐ隣にいつもいる人、であったりもするのだろう。


 今回紹介されていた文具はどれも、マジカルな力をもっていた。「想い」は見えない。だから「物」という実態を感じられる形に変えて届けるしかない。だが、形を与えたとき「想い」は確実に変質してしまうし、相手に解読をゆだねる点で不安要素が紛れ込んでしまう。だから、よりストレートに「想い」を「想い」として伝えられる文具を求めてしまう。

そのような切実さを感じるアンソロジーだった。


追記:これらの中には、デジタル化することによって実装可能な機能を含む。「風筒」「インク瓶」などはおそらく。アナログなインターフェースを採用しながら、デジタルであるようなシステムは、すでに存在するだろう。だが問題は別のところにある。「想い」を「伝える」ということだ。そして、それだけが人間にとってもっとも重要なのではないだろうか。


以上

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