第2話 スタートダッシュは難しい

4月8日の朝。

俺はつい最近越してきた母の実家、その居間にいた。


この二階建ての一軒家は、三人きょうだいの末っ子に当たる俺の母が出たあと、祖父母が二人で暮らしていたのだが、昨秋、その祖父母が長男夫妻の住む関東に移ったために無人となっていた。


そこに入れ替わる形で、母と俺が入ったのである。

家はさすがに広く、以前いたアパートの一室とは比べ物にならない。


俺は意味もなく、その広い部屋を歩き回っていた。

何となく、落ち着かない。


理由の内訳は、期待が1%。残りの99%は不安である。


今日から高校に通うことになる。

その上、通う高校には受験と制服の採寸時にしか行ったことがない。

周りにいたのは、当然全く知らない人間ばかりだった。


そして、何より。

「知らない町だもんなぁ…」

思わず、独り言が漏れる。

引っ越してからまだ1ヶ月も経っていない町は、未だ俺の心身に馴染んではいなかった。


しばらくして、母が二階から降りてくる。

「おはよう、悠翔はると

「おはよう」

「今日から高校生ね。お母さんも今日仕事だから入学式には行けないけど、早めに帰ってくるようにするわ」

「分かった。こっちは多分昼までかな。とりあえず、クラスで浮かないようにだけ気を付ける」

「沈むのもあんまり良くないけどね。高校は色んな所から人が来てるんだから、みんな悠翔はるととも条件変わらないんじゃない?バーっとスタートダッシュを決めちゃいなさいな」

そう言って母は笑った。通信教材の宣伝かよ。


しかしまぁ、これから通う学校は私立なので、県内の他地域だけでなく、他府県から通学する生徒もいる。

そう考えると、母の言う通り、あんまり変わらないのかもしれない。

「どうかなぁ。まぁ、頑張ってはみる」

とりあえず、そう返した。


そうこうしているうちに家を出る時間が迫ってきたので、準備をする。


真新しい制服に袖を通すと、嫌でも自分が高校生なのだということを実感させられる。


中学は学ランだったので、ブレザーに若干違和感があるが、じきに慣れるのだろう。

家。町。高校。

早めに、色んなものに慣れておきたいところだ。


「いってきます」

「いってらっしゃい」

同じく新しい生活を始める母に見送られて、家を出た。


それから間髪入れずして、携帯が震えた。

メール。

差出人は父だった。

「頑張れよ」

寡黙で不器用な父らしいメールだった。

「お父さんも、頑張ってね」

そう返した。



私立積石つみいし高校。

創設者が城の石垣を作っていた人の子孫で、「社会の基礎を作るような人間になれ」という思いをもって名付けたという、結構歴史のある学校である。

とはいえ、通う学生にとっては由来とか正直どうでもいいことである。

クラス数は1学年12クラス。他はよく知らないが、かなり巨大な学校である。

人数が多いので色んな学生がいて、卒業後は難関大学に進学するような生徒もいれば、就職する生徒もいる。

一部の部活動は県内屈指のレベルらしい。

最寄駅からは徒歩約20分。

…ということが、事前に調べて把握している内容である。


俺はとりあえず家から徒歩10分ほどの場所にある駅から、高校の最寄駅に向かう。


乗った電車は、かなりの混雑だった。これが満員電車か…。しかし、俺以外の人は澄ました顔をしており、余裕すら感じられる。まるで、「これぐらいは序ノ口」とでも言うかのように。これが経験の差か…。


電車は特に遅れることもなく目的の駅に到着する。この正確性はとてもありがたい。

同じ制服を着た人たちが、ぞろぞろ降りていく。

さて、ここからがいよいよ高校への道だ。



…20分後。

俺は校門前で息を切らしていた。

坂、キツすぎるだろ。


駅からひたすら緩やかな坂が続き、途中からはその勾配が急になっている。

運動が得意ではない俺にとっては、地獄の坂だった。

そして、校門からは、距離は短いものの、間隔が不規則な石段が待ち構えている。

「…」

校舎前に着いた時には、へとへとだった。


校舎前には、クラス分けが張り出されている。


だが、クラスが多いので、なかなか自分の名前が見あたらない。集まっている人も多く、自分のクラスを知るにも一苦労だ。


「あ、あった。7組か」

何とか真ん中ぐらいに自分の名前を見つける。

分かれば長居は無用。即座に校舎へ向かう。


「お、多い…」

人混みを掻き分けながら、何とか昇降口に辿りついた。


下駄箱に履いてきた下靴を突っ込み、持ってきた新品の上靴に履き替える。

ようやく、俺は校舎内に入ることができた。


案内図を見ながら、教室を探す。


7組は東校舎の2階にあった。

一旦素通りするふりをして、中を覗いてみる。

(もう結構いるな…)

1クラス40人程度と聞いているので、半分近くは来ているようだ。


人見知りの俺にとって初めての教室に入るのは勇気がいるが、だからといって入らずにいつまでもふらふらしていると不審者と言われかねないので、重い足を動かして入ってみる。


黒板には、座席表が貼られている。


宮森みやもりという苗字は名簿順だと後ろの方である。座席は一番廊下側にある列の真ん中だった。


前後と隣はまだ来ていないようで、遠慮なく座る。ここで近くの人が既に座っていると、話しかけるか話しかけないかの葛藤かっとうが発生してしまう。人見知りのさがである。まぁ、話しかけた方が良いし、向こうから話しかけられたらありがたいことこの上ないんだけど。


特にすることもないので、チャイムが鳴るまで周りを観察してみようか。

…あまり人と目を合わさないように。


8時25分。

予鈴がなりました。

この時点までの観察結果を報告します。

はい。

ほぼグループができあがっています…


俺の前後と隣は、同じタイミングで来た。

どうやら同じ中学校のようだ。

つまり、俺はその同中おなちゅうグループに包囲されている!

気まずい…


その他も、「あ、何か見たことある!」のような曖昧なものも含め、とにかく何らかの繋がりからグループができ、それがくっついたり巻き込んだりして、現時点で八割ぐらいがグループに属しているように見える。


…ちなみに、「あ、何か見たことある!」の人は話の内容からするにどうやら人違いのようだ。あ、決して盗み聞きじゃないです。声でかいから聞こえてきただけなんです…


そうこうしているうちに、本鈴がなった。

俺を囲む同中おなちゅうの結界はついぞ破られなかった。


他の人に話しかければ…と言われるかもしれないが、それはかなりハードルが高い。「なんでこいつ話しかけてきたの?」と思われかねないし。


それでも話しかける人は勇者だ。素直に尊敬する。

…やっぱり、人見知りの県外人にスタートダッシュは難しい。


それに、さっきからなんか視線を感じる。こいつは誰なんだ?とか思われてるんだろうか。それともただの自意識過剰なんだろうか。


俺は絶望の中、高校生活を歩みだした。

長いようで短い、青い春を。

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