第1話 雪の花

 私は雪の花を見たことがある。雪の結晶やハラハラと降る雪の様子を例えた『雪の花』と言う意味ではなく、文字通り真っ白な雪原から背を伸ばし咲く、一輪の花だ。

 背丈は十センチ程だろうか。茎や葉は雪のように白く、カンパニュラのような花は、氷のように透明で、風に揺れリンリンと音が鳴る風鈴のようだった。

 初めて見たのは、まだ幼い頃。たまたま遊びに入った裏山で見つけた獣道を抜けた先、小高い丘の上に咲いていた。

 当時の私には、その花が珍しいものだとは思っても見なかった。ただ見たこともない、綺麗な花。その程度の認識だった。

 それから十数年間、私はその花の存在自体を忘れていた。次に見かけたのは高二の冬だった。なんで裏山に行ったのか。あの獣道を通ったのかはもう覚えていない。何かの用事で裏山を通り、たまたま幼少期を懐かしみ、あの道を通ったのかもしれない。兎に角、明確な理由なんて無く、気が付けばあの丘に立ち、私は再び雪の花を目にしたのだ。

 雪原にたった一輪だけ咲く花。子供の時に見た時と全く同じ、白い雪のような葉や茎。風に揺られ、チリンと音を奏でそうな透明で小さい風鈴のような花。

 携帯で調べても出てこない、私だけが知っている花。その花はただ珍しいだけじゃなく、私しか知らない花と言う優越感に似た何かを得られる花だった。

 それから私は冬の時期になると、この花を目指し獣道を抜けた先の小高い丘に来る事が楽しみとなった。不思議なことに、この雪の花は私が行くと必ず一輪だけ咲いており、次の日に見に行くと跡形もなく消えてしまっている。一冬に一日だけの花なのだ。

 私は一人でこの花を楽しみ、誰にもこの秘密雪の花を教えることはなかった。

 そんな秘密を唯一話したのは、私が三十歳の時に付き合った同い年の恋人、一華いちかだった。

 一華は明るく誰にでも優しい人だった。屈託無く笑う笑顔がとても可愛く、あぁ。この人とずっと一緒にいるんだろうなと何となく思っていた。だからだろうか、雪の花の事を話すのも自然なことだった。

 一華に雪の花を初めて話した冬。私は一華に見せる為、雪の花を摘んだ。花は地から離れるとゆっくりと溶け始め、数分と経たないうちに消えてしまった。

 一華にその事を話すと「仕方ない!また来年だね」と笑っていた。

 次の年の冬。私はクーラーボックスと氷を用意して、花が溶けないようにした。ゆっくりと摘み取った花をクーラーボックスに入れ、一華のもとに急いだ。期待にキラキラした一華の前で開けたクーラーボックスの中には、溶けた水しかなかった。

 一華は残念そうな顔をして「今度こそは一緒にみたいね」と笑っていた。

 その次の年は、カメラを買って持っていた。食べ物に鮮度があるように雪の花は、この地から持ち去ることが出来ないことが分かった。むしろ、何故、今まで写真を撮らなかったのかが分からなかった。私はカメラ越しに見える雪の花に夢中でシャッターを切った。一華に見せるのに一番良い写真はどれか。それしか考えていなかった。

 どれくらいそうしていたのだろうか。ようやく満足の行く一枚が撮れ、私は一華のもとに向かった。今年の雪の花は特に綺麗だった。素晴らしかったと熱弁し彼女にその写真を見せようとした。

『データエラー』

 私が開いたフォルダーに何にも残っていなかった。カメラの本体にすら何も。

 ちゃんと撮れたんだ。凄く良かったんだと話す私の声を聞きいていた一華は「大丈夫。信じているから。だから私も連れていってね」と少し寂しそうに笑っていた。

 次の年の冬。私は動画を撮りながら一華に電話をすることにした。こうすればデータはすぐに共有でき、一華にも見せることが出来ると思った。

 私は雪の花の前で一華に電話をかけ、動画に切り替えた。

 だけど、一華は音声だけで動画に出てくれることは無かった。

 私は電話越しに一華に問いかけた。何故動画に切り替えてくれないのかと。そんな私の問いに彼女は一言だけ答えた。

「どうしてその場所に私を連れていって、一緒に花を見せてくれないのか」

 その声は震え、とても寂しそうだった。


 次の年の冬。

 私は雪の花を見つけることが出来なかった。その次の年も、次の年も。

 私だけが知っていた花は、私だけしか知らない花になった。

 誰かに雪の花の事を話しても信じてもらえなかった。確かに存在していたのに、それを証明することが出来ない。唯一、一華なら信じてくれるかもしれない。だけど、結局一華とは別れ、あの雪の花も見せることが出来なかった。


 何故、一緒にあの獣道を抜けた小高い丘に彼女を連れて来なかったのか。

 何故、二人で一緒に雪の花を見ることをしなかったのか。

 私だけの秘密の場所を知られる。そんな気持ちが一華を傷つけたのか。

 今は知ることが出来ない。


 もし、あの日に戻って彼女を連れてきていたのならば。雪の花は今でも咲いていたのだろうか。一華と一緒にいられたのだろうか。

 結局、それを知る術はない。

 今も一人で小高い丘に来ている私は、結局あの日に戻っても彼女にこの場所を教えることはなかっただろう。

 もしもは無いのだから。


 しんしんと雪が舞い落ちる小高い丘。今年も何も見つけられず丘を後にする私の背に、チリンと雪の花が揺れる音がした。




 ー雪の花ー


 了

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る