つま先で“時間”を踏む職人

横浜県

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 人類が「時間圧縮装置」を実用化してから、まだ半世紀ほどしか経っていない。それにもかかわらず、その装置は配送や交通、さらには人工生命研究や農業サイクルの短縮など、社会のあらゆる基盤を支える存在となった。

 時間圧縮とは、一言で言えば“限られた区間で時の流れを圧縮し、相対的に処理速度を上げる技術”である。たとえば、配送トラックが基地から倉庫までの道のりを数分で済ませられるなら、都市全体の物流効率は飛躍的に向上する。また、医療分野では重症患者の回復スピードを早めることができるとされ、軍事分野においては極秘で開発が進む――と、噂だけは絶えない。

 とはいえ、大規模な時間圧縮システムを扱うのは複雑かつデリケートで、誤作動ひとつで都市規模のインフラが麻痺するリスクがある。それゆえ、運用には高精度な数学モデルと巨大なサーバ群、そして最終的な“微調整”を行う熟練技術者の手が不可欠であった。だが、そこには機械だけでは補えない、どうしても“アナログ”が必要となる部分がある。

 その繊細なアナログ領域を司るのが、“時踏み職人”と呼ばれる特殊技術者だ。彼らの仕事は、稼働中の時間圧縮装置の誤差を、人間特有の身体感覚で補正し、“ほぼゼロ”に近い精度まで整えることである。とりわけ膝から下、足首、そして――つま先。コンピュータ演算ではどうしても割り切れない時間の“揺らぎ”を、この極めて敏感な部位で読み取るのだ。

 たとえば、ある一族の“時踏み職人”は、何世代にもわたって足先の神経やバランス感覚を極限まで鍛える独自のメソッドを受け継いでいる。バレエや武術の修行にも似たその訓練は、身体の細かな重心移動を完全にコントロールできるようにするだけでなく、素粒子レベルの“時空共振”を捉える感覚を磨く点に特徴がある。

 実際、時間圧縮装置が稼働する瞬間には、周辺の空間にわずかな歪みや振動が生じる。機械の演算やセンサーでは追いきれないその微細な“揺らぎ”を、訓練された足先は瞬時に感じ取り、姿勢や筋肉の使い方を動的に調整するのだ。こうして、一歩踏み込むかのような動作——いわゆる“タイムステップ”——を通じて、時間の乱れを整合させるだけでなく、ときに過去や未来の断片的な位相情報を感覚として拾い上げることさえある。

 遺伝的素質と徹底した身体訓練の相乗効果が、このような非凡な技能を可能にしていると言える。いかにAIや数式モデルが進化しようとも、完全には到達できない領域を、彼ら“時踏み職人”たちは足先というアナログセンサーで補い続けているのである。

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