醜いと虐げられていた私を本当の家族が迎えに来ました

マチバリ

1話

「お前は本当に醜いなぁ。生きてて楽しいのか?」




 嘲りをたっぷりと含んだお兄様の言葉を背中に受けながら、私は黙々と暖炉の灰を掻き出していた。


 何を言っても無駄だからというのもあるが、17歳という年齢に見合わぬほどに痩せた腕では、灰かき棒を動かすのがようやくなので返事はしない。


 お兄様もべつに返事は求めていないのか、それ以上は何も言ってこなかった。


 ふん、と鼻を鳴らして手元の楽譜に視線を戻し、楽しげに鼻歌でリズムを取っている。




 春はもうそこまで来ているがまだまだ朝晩の冷え込みは深く、このグラス家では暖炉の火が途切れることはない。


 その分、灰が間に溜まる。だから毎日必ず灰かきの仕事が必要となる。それらは全て、この私ポーニーの仕事だ。


 なんとか全ての灰を掻き出し終わったときには額に汗が滲んでいた。


 袖で額を拭えば、手首にはまっている銀の鎖がシャランと音を立てた。


 まだ温かい灰の中に火種がないか確認して古布にくるみ、ずっしりと重たいそれを肩に担ぎ部屋を出ようとすれば、再び冷たい声が聞こえてきた。




「灰で部屋を汚すんじゃないぞ。僕はお前みたいに灰被りになんかなりたくないんだからな」


「かしこまりました」




 なるべく感情を殺した声で返事返し、私はお兄様の部屋を出たのだった。




(灰被り、か)




 灰被りとは家族が私を揶揄うときに使う言葉だ。


 何故なら私は灰色の髪に灰色の瞳という容姿をしている。


 肌も健康的とは呼べぬほどに白く、まるで頭から灰を被ったように煤けて見えるのだ。


 家族の中で唯一、灰色の私を家族は嘲りを含めて『灰被り』と呼ぶ。




 グラス家は高名な音楽家一族だ。


 音楽の精霊の加護を受けているとされ、どんな楽器も歌も完璧に演奏してみせるのだ。


 爵位は子爵と高くはないが、王家に仕える宮廷音楽家をこれまでも何人も輩出してきたこともあり国内での評価は高い。


 以前はもう一つ、精霊に愛された有名な音楽一族があったそうなのだが絶えてしまい、今ではグラス家こそが王国の音楽を牽引していると言われている。




 私のお父様であるグラス家当主はピアニスト、お母様は歌姫として出仕している。先ほど私を灰被りと呼んだお兄様は、フルートの名手で来春に音楽学校を卒業した暁にはお父様たち同様に宮廷音楽家に任命されるだろうと言われている。


 妹はまだ音楽学校に入学したばかりだが、バイオリンで非凡な才能を発揮しているともっぱらの噂だ。




『グラス家は見た目も奏でる音色も全てが黄金だ』




 それが世間がグラス家に向ける評判だった。


 言葉通り、両親も兄も妹も輝く金髪に宝石のような青い目をしており、とても見目麗しい。


 灰色の私とは似ても似つかない。




 私には彼らのような音楽の才能がまったくない。


 幼い頃、兄と妹ともにあらゆる楽器を習ったがうまく奏でられなかったし、歌おうとしても喉から出るのはアマガエルのような声だけ。


 私の演奏や歌に教師は顔をしかめ、お前に芸術はふさわしくないと首を振る。


 グラス家を愛する音楽の精霊に、私は愛されなかったらしい。


 歌がうまくなるようにと銀の鎖のお守りをもらったが効果はなかった。その鎖は今でも私の腕にはまったままだ。未練たらしい自分が時々なさけなくなる。




 いつしかグラス家の令嬢として扱われることはなくなり、今では使用人かそれ以下の扱いをされていた。


 まがいものとして産まれてきたのだから、せめて家の役に立てと言われた。


 屋根裏部屋で寝起きし、お古のお仕着せをまとい、掃除や洗濯などの雑用にくわえ、芸術家肌で財産の管理がずさんなお父様やお母様に代わって書類仕事をこなした。


 なにをしても褒められることはなく、些細な不始末ばかりを責められる。


 主人がそうであるからか、使用人たちも私を侮り、両親たちの見えないところで仕事を押しつけられ、粗末な食事を与えられる。


 一族の誰とも似ていない灰色の娘を周囲は揃って「醜い」と嘲り、音楽の才がないことを蔑んだ。




 酷い言葉を吐かれる度、心が悲鳴を上げていた。


 家族と同じ席で食事をすることを許されなくなったときは、どうして自分だけがと涙がこぼれた。


 兄や妹は楽器に触れるからと手ですらお湯で洗い、毎日のように香油でマッサージしてもらえているのに私の手はぼろぼろだった。


 本当は音楽だってもっと頑張りたかった。


 うまくできないが、楽器に触れれば心が躍ったし、楽譜を読むとその音が頭の中にはっきりと流れるのだ。


 でもどうしてもうまく表現できない。あと少し頑張れば。もう少し頑張れば。


 だがどんなに願ってもそれは許されることはなかった。


 両親は私が音楽に関わろうとするとお前には不相応だと顔をしかめ、更に私を遠ざけるようになった。




 物心が付いてから、優しく頭を撫でてもらったことも、抱きしめてもらったこともない。


 ただ灰色というだけでどうしてここまで嫌われなければならないのか。




 グラス家の娘だと周囲に知られるわけにはいかないと、外に出ることも禁じられるようになった。


 家族が揃って音楽会に出かけていくのを見送り、取り残されたときは悲しくてぽろぽろと涙が止まらなかった。


 帰宅した家族が泣きはらした私を見つけ、嫌そうに顔をしかめた。




「そんなに目を腫らして。私たちへの当てつけか」


「食べさせてやっているし寝床もあるのに何が不満なのかしら」


「本当は使用人のように鞭で打ってやってもいいんだぞ? 痛い思いをしないだけありがたいと思え」


「お姉様って本当に醜いのね。絵本に出てくるおばけみたいよ」




 ぱきんと心が折れた音がした。


 こんなに辛くて悲しいのに、私は慰めてすらもらえないのだ。


 そんな価値はないのだ、と。




 不思議なことにそれから涙が出ることはなくなった。


 ただ虚しさだけが胸を満たす日々。


 泣くことも愚痴をこぼすことない私に、家族はどんどん冷たくなっていく。


 本来ならば下男の仕事であるこの灰かきも、お兄様は面白がって私に押しつけてくる。


 灰被りには一番ふさわしい仕事だ、と。




「これで今夜も温かく眠れるといいのだけれど」




 肩に担いだ灰を見つめ私はこっそりと呟く。


 本当は暖炉の灰は外にある樽に集めていずれは畑の肥料にするのだが、私は冬の間はまだぬくもり残る灰を古布に包んだものを抱いて寒さをやり過ごしていた。


 家族が過ごす部屋には暖炉があるが、屋根裏部屋にそんなものはない。


 使用人の何人かは私の行動に気が付いているようだったが、わざわざ灰を取り上げる必要はないと思っているのか見逃して貰っている。


 冬の間は本当に灰の色や匂いが肌や髪に染みこんでいるような気になったが、死ぬよりはマシだと思う。


 ずっと、自分にそう言い聞かせていた。






 その日は朝から粉雪が舞っていた。




「教会にお菓子を届けてきますね」




 こちらを見ずに手を振る厨房の使用人たちに声をかけ、かごにつまった焼き菓子を抱え裏門から外に出る。


 雪の積もった街道を歩けば、薄くなった靴底から冷たい水が染みこんできて足先を刺すように冷やしていく。


 だが私は黙々と歩いていた。早く教会に着きたかったから。






 貴族は市井の人々に施しをすることが美徳とされており、グラス家も近くにある教会に頻繁にお菓子や布糸などを届けていた。


 以前は使用人が届けていたが、いつしかその仕事までもが私のものになった。


 外出は禁じられているがいいのかと一度だけ確認したことがあるが、使用人たちはそれを鼻で笑った。




「それはお嬢様がグラス家の人間だと知られたくないからの決まりでしょう? お嬢様は使用人として教会に行くんだから大丈夫ですよ」




 使用人のフリをしろと暗に告げられ悲しくなったが、外に出る機会のなかった私はそれを素直に受け入れた。


 裏門から出てほんの数分歩くだけの短い外出はとても楽しかった。


 教会のシスターや子どもたちは私の訪問を喜んでくれたし、家では禁じられていた音楽にも触れられた。


 オルガンは下手くそだったし賛美歌はめちゃくちゃな音程だったが、子どもたちは誰も笑わなかった。一緒に練習しようとさえ言ってくれた。


 いっそ、捨ててくれればここにこられるのに。


 本気でそう願っているほどに私は教会で過ごす時間に救われていた。






 あと少しで教会に着く。


 そんなときだった。道ばたに座り込んだ人影に気が付いたのは。


 葉っぱの落ちきった街路樹にもたれるように座っていたのは、若い男性だった。


 銀色の髪に陶器のような肌。凛々しい顔に薄い唇。長い睫毛は粉雪で濡れていた。


 まるで雪の妖精かと見紛うばかりの美しい造形に、思わず息を呑む。




(具合が悪いのかしら)




 私はもう慣れたものだが、外の寒さに身体が耐えられなくなったのかもしれない。


 慌てて駆け寄りその肩を揺らそうと思ったが、高級そうな服に灰が付いてしまうのが申し訳なく、私はそっと声をかけた。




「あの、大丈夫ですか?」


「ん……ああ……」




 どこかぼんやりとした返事に、やはり寒さで動けなくなっているのだと悟った私は思いきってその肩に触れた。


 がっしりとした男性らしい体格に、心臓がびくりと跳ねる。




「ここでは風邪を引きます。少し先に教会があるので少し休んで行かれませんか?」


「教会……? 君は天使なのか?」


「まさか」




 こんな醜い天使がいるものか。


 そうとは口に出さず、私は青年に肩を貸すと教会へと半ば引きずるように連れて行った。




 雪でずぶ濡れの私と男性にシスターは悲鳴を上げ、慌てて暖炉の前へと案内してくれた。


 濡れた上着を乾かしながら布で顔や頭を拭く。青年も私に倣うようにのろのろと上着を脱ぎ、顔や手足を拭いていた。


 ぱちぱちと薪が弾ける音を聞きながら温まっていると、青年がふう、短い声を上げた。




「ああ、温かい。ありがとう、生き返ったよ」


「そんな、私はただここにご案内しただけで」


「いいや。君が声をかけてくれなかったら、あのまま朝になっていたかもしれない。凍らずにすんだよ」




 わざとらしく肩をすくめる青年に私は思わずくすりと笑ってしまった。


 こんな風に笑ったのはずいぶんと久しぶりな気がする。




「あんなところでなにをされていたんですか?」




 お酒に酔ったか空腹かと思ったが、青年からは酒精の匂いはせず、肌つやのよさからも栄養が足りていないようには見えない。




「……実はずっと人を探していてね。手がかりが途絶えてしまい途方にくれていたんだ。だんだんと悲しくなって、座り込んだら動けなくなった」


「まあ……それは……」


「だから君が目の前に現れたとき、本当に天使かと思ったんだ」


「そんな……私のような醜い娘を天使だなんて」




 咄嗟にそう答えれば、青年は大きく目を丸くして「なんだって」と尖った声を上げた。




「君が醜い? どこがだい! 確かに少し痩せてはいるが、君はとっても美人だよ。醜いなんて言った奴がいるのかい? 僕がそんな奴、叩きのめしてやる!」




 強い口調でそう言われ、私は言葉が紡げなくなってしまう。


 はくはくとみっともなく口を開閉させ、思わず俯けば青年が大きな手で肩を掴んできた。




「それに、自分を醜いなどと言ってはいけない。人の本質は心だ。君は行きずりの僕に声をかけ、ここに運んでくれる優しさを持っているじゃないか。君は素晴らしい人だよ」




 目頭が焼けるように熱を持つ。


 暖炉の火で火照った頬を何かが伝っていくのがわかった。




「あ……」




 気が付いたときにはぽたぽたと大粒の涙がこぼれていた。


 こんなに優しい言葉をかけてもらえるなんて思っていなかったのだ。




「ああ、すまない。泣かないでくれ……ええと……」




 青年は私の涙に慌てたのか、ぱたぱたと自分の胸や腰回りを叩くとポケットから真っ白なハンカチを取り出し、差し出してきた。


 そして優しく涙を拭ってくれた。




「これを使って」


「でも、汚してしまう」


「いいんだ。命を助けてくれたお礼だよ。どうか持っていてくれ」




 ハンカチからは優しい花の香りがした。


 胸いっぱいに吸い込めば、ざらついていた心が柔らかくほぐれていくようだった。




 そうこうしていると、私の到着を知った子どもたちが押しかけてきて暖炉の周りはあっというまに大所帯になった。


 せっかくだから賛美歌の練習をしようと誰かが言い出したが、私は青年の前で下手くそな歌を披露する勇気が持てずまごついてしまった。


 それに気が付いた青年が、子どもたちに何ごとかを尋ね、すぐに訳知り顔で頷いた。




「僕はちょっとだけ音楽に自信があるんだ。よければ君の歌を指導してあげるよ」




 嬉しいが大変恥ずかしい申し出に、私は頷くほかなかった。


 何度も楽譜を読んで完璧に覚えた賛美歌を、青年の前で披露する。やはり音程はめちゃくちゃだし音の強弱も最低な表現になってしまった。


 そんな姿を青年は笑うことも呆れることもなく、真剣な瞳で見つめてくれる。




「……なるほど」




 噛みしめるような声だった。


 きっとあまりに下手くそで呆れられてしまったに違いない。


 だが、次に青年が発した言葉は意外なものだった。




「とても素晴らしいね。君は音楽をわかっている気がする」


「えっ……こんなに下手なのに」


「確かに音程はめちゃくちゃだけど……なんだろう、君の歌はずっと聴いていたくなるんだ」




 どこか熱っぽい視線に恥ずかしくなって視線を逸らせば、焼き菓子が入ったバスケットが目に入る。




「あ!」




 私はようやく自分が家をこっそり出てきていることを思い出した。




「もう帰らないと。みんな、このお菓子食べてね」




 子どもたちにバスケットを預け、私は慌てて家に帰ろうとする。


 だがその腕を青年が掴んで引き留める。腕の鎖がシャランと音を立てた。




「まってくれ。君の名は? いつまた会える?」


「あ、わ、私、は」


「お姉ちゃんはグラス家のメイドさんだよ。ね、ポーニーお姉ちゃん」




 子どものひとりが何気なくそういった瞬間、青年がざっと顔色を変えた。


 腕を掴んでいる手の力が僅かに増す。




「ポーニー……君は、ポーニーというのか?」


「え、ええ」


「そうか、そう、だったのか……この鎖……そうか……」


「あの?」


「あ、ああすまない。怖がらせたね」


「いえ」




 腕を放してもらったのが何故か少しだけ残念に思えた。


 そんなことを考えてしまう自分が恥ずかしく、私は再び青年に頭を下げるとそのまま教会を飛び出したのだった。








「勝手に出歩くなと言っていただろう!」


「きゃあ」




 帰宅した私の頬をお父様が思いきり叩く。その衝撃に、私は床に倒れ込んだ。


 はずみでポケットに入っていたハンカチが出てしまう。


 それを拾ったのは叩かれている私を眺めていたお兄様だった。




「なんだこれ? 男物じゃないか」


「あっ、それは」


「まさか外で男をたらし込んでいたのか? 最低だな。見た目だけじゃなく、性根まで醜いんだな、お前」


「お姉様って汚らわしい」




 家族の言葉に胸が苦しくなる。


 さっき、青年の前で泣いたせいか、再び涙がこぼれそうだった。


 だが泣きたくなかった。泣き顔を見せたくなかった。




「屋根裏に閉じ込めろ。しばらく部屋から出すな」




 お父様はそう使用人に言いつけて去って行った。


 お兄様はハンカチを床に落とすと、わざと踏みつけていった。


 足跡のくっきりと残った真っ白なハンカチを慌てて拾い上げる。




(ああ……)




 せっかくの優しさまで汚されてしまった。


 悲しみで心がずんと重くなる。


 そのまま私は使用人たちの手によって屋根裏の自室に閉じ込められた。


 食事は届けられたが食べる気になれず、私はハンカチと冷え切った灰を抱きしめたまま何日も眠っていた。


 このまま消えてしまえればいいのに、と。




 そんな日々は突如として終わりを迎えた。


 朝早くに家が揺れるような物音がして目が覚めた。


 階下からはたくさんの人の足音が聞こえてきたし、家中が大騒ぎなのがわかる。


 何か良くないことが起こっているのでないかと不安でたまらなくなり、私はハンカチをぎゅっと抱きしめて震えていた。




 そのうちに荒々しい足音が階段を駆け上ってくるのが聞こえた。


 間を開けず、扉が乱暴に叩かれる。




「ポーニー、そこにいるのかい?」


「えっ!」




 その声は、ハンカチをくれた青年のものだった。


 私はどうしたらいいかわからずオロオロとしていると、扉が酷い音を立てて蹴破られた。




「ああ、やはりここにいた!」




 やはりそこに立っていたのは青年だった。


 最初にあったときとは違う、黒を基調とした軍服に身を包んでいた彼は、私の姿を認めると両手を広げ駆け寄ってきてぎゅっと抱きしめてくれた。




「こんなに痩せて。ごめん、遅くなった。あの日、帰さなければよかった」


「えっ、あの、なにが……」




 わけがわからない。どうして彼がここにいるのだろうか。




「ああ、驚くのは当然だね」




 青年は私の混乱に気が付いたのか、苦笑いしながら腕をゆるめ、私を解放してくれた。


 そして恭しく私の前に跪くと、まるで騎士が姫に忠誠を誓うような仕草で私の右手をすくいあげる。


 まるで夢でも見ているような気分だった。




「君を迎えに来たよポーニー……いや、ポーリーン・シャンテ。僕は君の婚約者であるジュレ・カネレだ」


「なん、て……?」




 ジュレと名乗った青年の言っていることがまったくわからない。


 私の名前はポーニーだ。ポーリーンではない。しかも婚約者とはどういうことなのだろうか。




「誰かと……私を間違えていませんか」


「いいや。むしろ、会った瞬間に気が付けなかった僕のミスだ」


「どういう……」




 ジュレが私をじっと見つめる。綺麗な瞳にすいこまれそうだった。


 心臓がぎゅっと高鳴る。一体何が起こっているのだろうか。


 もしかしたら私はもう死んでしまって、これは都合のよい夢を見ているのかもしれないとすら思ってしまう。




「ポーリーン……」




 うっとりとした声音に涙が出そうになった。


 私はこの声とこの名前を知っている。そんな気がした。


 ジュレの視線が私を通り越して、屋根裏部屋に向く。慌てて起きたせいで古布にくるまれていた灰がこぼれてベッドを汚していたし、あのハンカチが床に落ちていてお兄様の足跡まではっきりと見えている。




「あっ……ご、ごめんなさい、ハンカチ……」




 羞恥と申し訳なさで私が俯けば、再びジュレが私を抱きしめた。




「ハンカチなんていい。君が、君が無事でよかった」


「う……」




優しい言葉にまた泣きそうになる。


 会って2回目なのに、どうしてジュレの言葉は私の心に染みるのだろうか。




「もう行こう。こんなところに君をおいておけない」


「えっ? きゃあ!」




 突然身体が浮き上がる。ジュレが私を抱き上げたのだ。


 そしてあれよあれよという間に私は屋根裏部屋から連れ出された。


 階下に降りてみれば、どういうわけかエントランスホールに家族が集められていた。使用人たちの表情も暗い。


 一番異様だったのは、家族をぐるり取り囲む兵士がたくさんいたことだ。




「ポーニー!!」




 久しぶりにお父様が私の名前を呼んだ。お母様も両手を組み合わせ、涙目で私を見つめている。


 すがるような二人の表情が居心地が悪い。




「おい、どういうことだ」


「お姉様! 誰よその方は!」




 お兄様と妹は変わらないようで、私を睨み付けている。




「あの、これは……」


「うん。ちょっと待っててね。僕よりも君と話したい人がいるんだ」




 それは一体誰だろう。


 首を傾げていると、兵士たちをかき分けるようにして誰かがこちらに駆け寄ってきた。


 長身のたくましい男性だった。年の頃はお父様と同じくらいだろうか。ジュレ同様に美しい銀色の髪に、銀色の瞳。


 その顔にどこか見覚えがあった。懐かしくもあり、とても近しい誰かのような不思議な感覚だった。




「ポーリーン!!!」




 その人は涙を流しながら駆け寄ってきて、ジュレの腕から私を奪うとひしと抱きしめた。


優しいコロンの香りとたくましい身体。そして冷えた身体をつつむ体温。


 どうしてだかジュレのときとは違う意味で心が震えた。




「ようやく見つけた……! 私の愛しい娘!! こんなに痩せて……!!」


「むす、め……?」


「そうだ。君は私の娘、ポーリーンだ。16年前、グラスは私からお前を奪いその力をずっと使い続けてきたんだ!」




 父と名乗った男性が私を抱きしめたままお父様を睨み付けた。


 お父様は顔を真っ青にして、口の端を引きつらせている。




「ご、誤解だ、セイヴィア。私は、君が不在の間、その子を保護しようと……」


「保護!? 保護だと!? 貴様……こんな姿を見せられてそれを信じろというのか」


「ひ、ひぃいい」




 男性の恫喝にお父様が悲鳴を上げる。


 再び私を見た男性は、愛しげに目を細め、涙を流した。




「私の名はセイヴィア・シャンテ。シャンテ伯爵家の当主だ」


「シャンテ伯爵家……」




 その名前には聞き覚えがあった。音楽の教師たちが話していたのを耳にしたことがある。


 黄金のグラス家と白銀のシャンテ家。


 かつてグラス家と双璧をなしていた音楽の名家。


 16年前、稀代の歌姫と言われたシャンテ家夫人が、王太子に身勝手な恋心を募らせ心中を計ったという事件が起こった。


 王太子は昏睡状態に陥り、シャンテ家夫人は死亡。シャンテ家は取り潰しとなった。


 今ではその名を出すことも禁じられている。




「お前たちは精霊を悪用していることを殿下に知られたため、ポーリーンを人質にして我が妻アドレットを脅し、王太子殿下を襲わせた……!」


「な、なにを世迷い言を……」


「世迷い言ではない。目を覚ました王太子殿下が全て話してくれた」


「なっっ、殿下が……!」


「そうだ。半年前目覚めた殿下は、アドレットが殿下を助けるために命を捧げたことを教えてくれた。陛下も全て承知だ。この半年間、私はお前たちの悪事の証拠をずっと集めていたんだ」




 お父様の顔色がどんどん悪くなる。お母様は今にも倒れそうだ。お兄様と妹はわけがわからないという顔をしている。




「お前たちは本来大切に敬うべき精霊から強制的に力を奪い、音楽を奏でてきた。魅了の力を使い、支援者から金をまきあげていた」


「ち、ちがう……!」


「精霊を悪用することは禁じられているというのに……」




 私の父と名乗った男性、セイヴィアの話をまとめるとこうだった。


 グラス家は代々音楽の精霊に加護されていたが、お父様はその加護では満足できず、精霊を強制的に捕らえ、その力を悪用していたのだという。


 音楽の力で魅了し、通常ではあり得ないような支援を受けていたのだという。


 そういえばグラス家は子爵なのにやけに財産が多いとは思っていたのだ。高級な楽器もたくさん買い集められている。


 それに気が付き、告発しようとしていた王太子の存在に気が付いたお父様……いいえ、グラス家当主は、同じく精霊の加護を持ったシャンテ家夫人であるアドレットから産まれたばかりの我が子を奪い、脅して王太子を殺すように命じた。


 だが、アドレットは凶行に及べなかった。王太子に事実を打ち明け逃がそうとしたのだ。だが、それを見越していたグラス家が雇った刺客によって命を落とした。王太子をかばったのだ。




「人の命を奪ったお前たちは精霊に見放された。だからお前たちは、ポーリーンから精霊の加護を奪ったのだ」


「……!!」




 信じられないと目を見開けば、いつの間にか近くにきていたジュレがセイヴィアに続けて話し始めた。




「ポーリーン。君にはこぼれるばかりの音楽の才能がある。この国……いや、世界で最も優れた音楽家と言っても間違いないだろう」


「でも、私は歌も歌えないしどんな楽器も使えないのよ」


「それはあいつらが君から力を奪っていたからだよ。その銀の鎖が、君から精霊の力を奪っていたんだ」




 思わず腕を見る。幼い頃もらったそれは、ずっと外せなかった。私と家族を唯一繋いでいるものに思えたから。




「こんなもの……壊してやる!」


「や、やめろおぉぉ!」




 セイヴィアが鎖に手をかけた。見た目の繊細さとは違い頑丈な鎖は、セイヴィアの手により音を立てて砕かれた。シャランと音を立ててそれが床に落ちた瞬間、何故か世界が突然輝いた。




「おお……」


「ポーリーン、君は……!」


「え、これ……」




 どうやら輝いたのは世界ではなく、私だった。全身が淡く光っている。




「歌ってごらん、ポーリーン」


「で、でも」


「大丈夫。今の君は最強だよ」


「……」




 ジュレに促され、私は昨日は歌えなかった賛美歌を歌った。


 周囲の人々がみんな私を見ている。自分でも信じられないほどに美しい歌声がホールに響き渡る。


 私は歌いながら泣いていた。これこそが私の声だと魂が感じていた。




「ああ、ポーリーン……!!」




 涙を流すセイヴィアの表情に胸が締め付けられる。


 彼だ。彼こそが本当のお父様だと確信できた。


 歌いきった私をセイヴィアお父様がぎゅっと抱きしめてくれる。




「愛してるよポーリーン。私とうちに帰ろう」


「……お父様」




 抱きしめれば、これまで欠けていた心の大事な部分が埋まっていくのがわかった。


 ひとしきりそうやってお互いを確かめ合ったあと、私はふとあることを思い出した。




「あの、お父様……彼……ジュレは一体誰なんですか」


「ああ。ジュレは君の婚約者だ。精霊の加護を受けたものは、産まれてすぐにその精霊が生涯の伴侶を選ぶのだ。君は覚えていないかもしれないが、ジュレは赤ん坊の君と対面して正式に婚約を済ませた仲なのだよ」


「ポーリーンを見た瞬間、天使だと思ったのは間違いじゃなかった。君は僕の運命だったんだ」




 片目をつむって見せるジュレの笑顔が眩しくて、頬がかっと熱を持つのがわかった。




「ポーニー! たのむ、セイヴィアにとりなしてくれ」


「お願いよポーニー! 私たちの仲でしょう!」


「おい! お前、いい加減にしろ!」


「お姉様、やめてよ!」




優しい雰囲気を壊すようにグラス家の面々が叫んでいる。


 セイヴィアお父様が彼らを射殺さんばかりに睨み付ける。




「貴様らは私からアドレットを奪っただけでは飽き足らず、愛しいポーリーンとその力まで奪った。精霊の悪用、王太子殿下の暗殺未遂……お前たちにはこれから死ぬよりも苦しい目に遭って貰うぞ」


「ひ、ひぃいい……!」




 お父様とお母様だった人たちは泡を吹き、その場に倒れてしまった。


 妹はわけがわからないという顔をしてその場にへたり込んでしまう。




「認めないぞ! そんな灰被り! 俺は認めない!!」




 ただひとり、お兄様だけは声を荒らげたままだ。


 周りを囲む兵士に体当たりをし、私に向かってまっすぐに走ってくる。




「僕のポーリーンに近づくなよ」


「ガッ……!!」




 お兄様をジュレが蹴り上げた。床に倒れたお兄様は口から半透明の液体を吐き出し、身体を痙攣させている。


 ジュレはためらいのない動きでその背中を踏みつける。




「お前はずっとポーリーンを虐げてきた。絶対に許さない」


「ぐ、ぐ……ポー、ニー……たす、け」




 お兄様の手が私に伸ばされる。


 思わず反応しそうになった私の視界を、セイヴィアお父様の手のひらがふさいだ。


優しい声が鼓膜を震わせる。




「見なくていい。これから君が目にするのは、美しいものだけだ」


「そうだよポーリーン。これからは僕たちが君を誰よりも幸せにしてあげるよ」








 それから、私は本当の家族であるセイヴィアお父様と婚約者であったジュレとともに暮らすことになった。




 私の灰色の髪は力を奪われていたせいでくすんでいただけで、本来は銀色だったこともわかった。瞳もだ。


 力を取り戻した今では全ての楽器を思い通りに奏でられ、どんな歌も歌える。


 これまでの孤独を埋めたいと、セイヴィアお父様とジュレは溺れるほどの愛情を注いでくれる。




 グラス家の人々はその殆どが処刑、投獄された。


 お兄様は私への暴言を続けたため、舌を抜かれて幽閉されているという。


 妹だけは何も知らなかったことを理由に、遠くの修道院に預けられたらしい。




 シャンテ家の汚名は雪がれ、私の本当のお母様であるアドレットの名誉は回復された。


 そして白銀のシャンテ家は復興。私は跡取り娘としてジュレと結婚した。




 ジュレは私の気配をずっと探していてくれたらしい。


 グラス家は私を巧妙に隠していたため、見つけられなかったそうだ。


 あの雪の日も、なにか情報は無いかと歩き回っていたのだという。




「どうして私を忘れなかったの? 16年よ?」


「精霊の気配で君が生きていることはわかっていたからね」


「だからって……」


「君と僕は運命なんだよポーリーン。赤ちゃんの君を見た時、僕は君を幸せにしたいと思った。そして大人になった君は僕を助けてくれた。その優しさに僕はもういちど恋に落ちたんだ」


「ジュレ……」


「愛してるよポーリーン。これからはたくさんの歌を聴かせてくれ」


「もちろん」




 愛しい夫の腕の中で、私は今日も幸せな歌を口ずさんでいる。


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