good bye


 一月三日、七叉県竹ヲ町のアパートで若い女性の遺体が発見された。失血死とみられるが、現場に残されていた血液は女性のものと一致せず、このアパートに住んでいた十代の女性二名も行方不明となっている。警察は亡くなった女性の身元確認を急ぐとともに、行方不明の二名も何らかの事件に巻き込まれた可能性があるとみて捜査を進めている。



 そんなニュース記事をネットカフェで眺めながら、手元の紙をぱらぱらと捲る。リング式のシステム手帳で、革の表紙は使い込まれて味がある。前半には吸血鬼として生きるための知恵や呪文が、後半には新しい紙が綴じられ、前半とは違う筆跡で不定期に日記のようなものが書かれていた。

 大都議マツバの文字だ。

「お前、なんで死んじゃったんだよ」

 初めてマツバの遺体を見た時からずっと疑問だった。まるで協会の人間に抵抗した形跡がなかったからだ。吸血鬼の自分についてきてくれる健気な友達がいて、もう十分幸せで、この先落ちていくだけならいっそ、とでも思ったのか。それとも大事な友達の命だけは助けてくれと協会の人間に頭を下げ、代わりに自分を差し出したのか? 日記に書かれていたのは取り留めもない日常とカシギへの感謝ばかりで、今となっては知る術がない。

 手帳を閉じる。眩しく光るパソコンのモニターが鬱陶しい。この無機質な検索欄に妹の名前を入れると、何件かの記事がヒットすることに気づいたのは三十年くらい前だった。人間だった頃や、家族のことは思い出さないようにしていたから、気づくのが随分遅くなってしまった。


 妹の中御堂シキミには、娘がいたらしい。

 おれが高校を卒業して家を出た時、シキミはまだ九歳だった。記憶の中の妹は幼くも美しくて気が強かった。それが行きずりの男と子供を作り、果ては全身の血を抜かれて死んだという。そんな哀れな最期、正直ショックだった。おれがお前を見捨てて自分だけ助かるために、あのクソみたいな家を出たからか?

 なあシキミ、行方不明らしいお前の娘はもしかして、お前によく似た綺麗なアーモンド型の目をしていたんじゃないか?



「わたし、戦い方なんて知らないし、刺し違えるくらいしか相手を殺せる自信がない。でも向こうは吸血鬼殺しのプロなんでしょ。お願い、その時が来たら最後に少しだけ手伝ってほしいの」

 カシギがそうやって頼み事をしてきたのは、大晦日だったはずだ。あのアパートは壁が薄いから、隣の部屋から年末の歌番組が聞こえていた。

「変装以外に何をしろって?」

「この手帳にある呪文を使って、協会の人間がほんの少し、動けなくなるようにできないかな」

 差し出された革表紙の手帳は、マツバのものだと言われた。そして、もしカシギが死んだらおれが持っていてくれとも。

「あのな、カシギ。呪文ってそんな一瞬でかけられるもんじゃないんだぜ」

「わたしが時間を稼ぐから」

「どうやって」

 カシギは曖昧に首を傾げて、ニットの袖口をいじっていた。お前、命がけで相手を殺そうって算段を立ててるんだろ。もっと真剣に考えた方がいいんじゃないか。それとも、お前本当はマツバを追って死にたいだけなのかよ。

「楽しく、お喋りでもしてみるよ」



 結局おれは色々なものを飲み込んで、カシギのお願いをきいた。いや、違うだろ。優しいふりをして止めなかっただけだ。

 変装を始めた時もそうだ。本当にカシギを助けてやるつもりなら、復讐はおれがもっと有益な呪文の使い方や戦い方を教えてやってからにしろ、と言うべきだった。吸血鬼の高い身体能力はどうせ協会の護符だとか呪文だとかでろくに使えないだろうし、準備が必要だとおれには分かっていたのに。


(カシギがいなけりゃ、マツバはもう少し長生きできた)


 呪文は完璧じゃない。干からびた遺体があって、人間までひとり、周囲の記憶と一緒に消えたとあれば、協会が吸血鬼の出現を疑わないわけがない。せめてカシギが大人しく、マツバへの恋心を記憶ごと消し去ってくれていたら。百二十年も生きてこんなことに腹を立てる自分にがっかりしたよ。散々年上ぶっても中身はずっと、吸血鬼になったガキの頃のままだった。

 カシギが協会の女と楽しくお喋りしてくれている間、おれは薄暗い浴室で言われた通りに呪文を使った。あとは賭けだった。一瞬の隙とカシギの特攻が噛み合うかに懸かっていた。失敗したらカシギは無駄死にで、今度はおれが協会に追われるんだから。そんなの面倒で、たまったもんじゃない。

 まあ、カシギは宣言通りに刺し違えてみせたわけだけれど。


「もしカシギが死んだら、最低限の後始末はしてやる。手帳もちゃんともらってやるさ」


 流れでそんな約束までしたもんだから、おれは二人分の遺体をベランダに運ぶはめになった。お前たちは日光で灰になるから、どれだけ警察が探したって見つからないね。女の子に失礼かもしれないけれど、さすがに死んだ体は重かった。並んで座らせたら、まるで仲良く居眠りしているだけのように見えた。しばらくしたら目を覚ますんじゃないか、って。

「……次は港町にでも行くかあ」

 当分は、山から離れた場所を転々としよう。うっかり竹林でも見たら嫌でもこの町を思い出すだろうし、松の木なんかもよくない。

 吸血鬼として生きるコツは、いちいち感傷に浸らないことだ。


「じゃあな、二人とも」

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