〚カクヨムコン10〛 天涯に標されし十字架  ー 切支丹忍び五人は異世界にて魔法騎士二千騎を迎え撃つ ー

木山喬鳥

第一話 時は滿てり 神の國は近づけり

 夜の海の上に、波音なみおとを抜けて届く声がある。

 聴くのは小舟をぐ人影。

 男だ。歳のころは五十歳あたりか。


「ここまで届くのか。まるで人の声ではなく、風ののようだな」


 くずれた石垣いしがきの間から見えるのは、さくのむこうにかれた無数のかがり火。

 聞こえるのは、唱門師しょうもんしのような声。


 修験者しゅげんじゃ加持祈祷かじきとうだ。

 キリシタン調伏ちょうふくの願かけか。

 手を合わせる先がちがうだけで〝外法げほうの一族は、みなえろ〟

 そう神仏かみほとけにまで願う。信心とは恐ろしい。


 ふと思う。

 キリシタンにいくさのオラショはないのだろうか。

 しかし、あったとしてもとなえる者などいないだろう。

 原城址はらじょうあとにいるやからに、そんな元気はとうにないのだ。


 どうにも気がふさぐ。

 男は、たわむれに船縁ふなべりを叩きだした。

 辻講釈つじこうしゃく。なれた節回ふしまわしだ。

 聴く者もいない夜の海の上を、かすかな声が渡る。


「時は寛永かんえい十五年、場所は島原ぁ原城址────徳川諸藩の総勢十二万人の軍勢はぁ、いままさに切支丹きりしたん三万の叛徒はんとたんとすぅ─────タタンッ」


 返す声もなくため息をつく。

 全滅とは、な。

 ワシらは当主様の下地げちに従うだけとはいえ、また負け戦だ。

 わかっていたが、やりきれない。

 だいたい何のために、この散々さんざん戦場いくさばにきたのやら。

 ご当主は、我らにはなにも語られんので、わかりもせん。


 腰回りの懐提灯ふところじょうちんに手をかけ、舳先へさきの宙に浮かぶ琉球傘りゅうきゅうがさの人影へ声をかける。


「姫様。あかりは、いりませんのか?」

「見ゆっもんえるもん


 闇に浮かぶ琉球笠りゅうきゅうがさから声が返る。

 われらをたばねる十干とぼし家の姫、三千世様みちよさまだ。


 ワシらしのびと呼ばれる者らは、たいてい夜目よめくが、この姫様は、その中でも図抜ずぬけていらっしゃる。

 耳目じもくだけではない。忍びの芸もみな達者たっしゃだ。

 齢九よわいここのつにして、その業前わざまえは熟練の術師じゅつしをもしのいでいる。


「見えるとはいえ、見て楽しいものもないですな」


 波間なみまには死体が浮かび、死臭がただよう。

 木やり場の材木のようにしかばね累々るいるいと連なっていた。

 そのなかを、鬼火おにびならぬ小舟がユラユラと波もたてずに進んでいく。

 船にぎ手はいない。


 あからさまに尋常ふつうではない。目立つことこのうえない。

 間違っても忍びの取る逃走方法ではない。

 だかしかし、動けない仲間を運ぶ方法がほかにないのだ。


 ワシは、夜間の海上で潮目しおめを読んで舟をあつかうことなどできない。

 まして海に満ちた徳川の戦舟いくさぶねを避けて進むことなど無理だ。

 したがって、姫様のしき能力により小舟を動かしていただくしかない。


 むしろの下からは、言葉とも思えないつぶやきと、二人分の寝息が聞こえてくる。

 しゅとなえておられるのが、十干家とぼしけのご当主様。

 寝ている二人はぬい嘉助かすけという。


「このたびは、うるさいヤツらがともに寝ていたので、助かりましたな」

「ほんとによ。えらい騒いどったもんね」



 眠っている二人は、どちらもワシと同じ切支丹きりしたんだ。

 人を殺すこともある忍びが、切支丹きりしたん信仰しんこうほうじるなど、あり得ることではない。

 だが、迷いあるワシはともかく、ふたりは熱心に信心しんじんしておる。

 阿呆あほうは良いものだ。悩むだけの頭がないでな。


 しかし、忍びで切支丹きりしたんとは笑える。

 そんな者に居場所も行き場もあるはずがない。

 だが禁教きんきょうとなった信心しんじんを持つワシら三人を十干家とぼしけのご当主様は、何も言わず捨て置いてくださっている。

 度量どりょうのある御方おかただ。



 信心といえば、徳川の陣の僧侶そうりょとて、同じだ。

 仏法ぶっぽう殺生せっしょうを禁じているのにヤツらは戦場に出て、我らの死を願いたてておるのだ。

 誰もがおのれの間尺ましゃくにあわせて信心を模様替もようがえしておるのだ。さぞや神仏もお困りであろうよ。


 いまは、信心などどうでもいい。

 とにかくこの場から逃げねばならない。

 十干とぼしの一族は、ここにいる五人きりだ。

 これ以上同胞はらからを減らすことなどできない。

 さっさとこの場を逐電ちくでんせねばならん。


 我らは一揆勢いっきぜいやとわれたわけではない。

 陣借じんがりしただけだ。

 いわば盗み働きに来たのだ。

 目当めあては、徳川の軍用品や金だった。


 だが侍たちがこれほどの大軍を出すとは思わなかった。

 逃げる算段さんだんが立たなくなるまで一揆勢いっきぜいが抵抗するとは思わなんだ。


 だがワシら戦場からの逃げ時をいっしたのは、この縫と嘉助のせいだ。

 こいつらが骨のずいまでみた徳川へのうらみを晴らすべく、この度の戦で勇躍ゆうやくしたためだ。


 原城址の戦では、もはや進退しんたいがきわまった後にも戦いをやめようとはせん。

 逃げ時だと言うても聞きやせん。

 ほとほと困っておったが、頑固者がんこものらは十日ばかり昼も夜も働いて、今朝やっと倒れおった。

 ようやく精魂尽せいこんつててくれたのだ。


 ワシはこの時機しおのがさず二人を小舟に押しこめて、いまこうして海へ抜けている。

 負け戦になぞ、いつまでも荷担かたんしてはおられん。

 我らの血脈けちみゃく、十干の家を守らねばならんのだ。


 ふいに前方に光がした。松明たいまつか?

 なるほどこれは────徳川の方の軍船いくさぶねだな。

 まあ、見つかるだろうな。いままでよくもったほうだ。


「敵ですな」

まぶしかね」


 向こうもこちらに気がついたな。騒いでおるわ。


「前方ぉ、囲みを抜けようとする舟あり!」

奇態きたいにもぐ者のおらんいない舟や。すべるように進んどる」

なんでんよかなんでもいい。早う討ち取れ」


 うるさい声が、ここまで聞こえる。

 敵の侍たちは、はりきっておるな。

 下人げにんであっても討ち数の勘定かんじょうに入るらしい。

 侍どもの、首級しゅきゅうかせぎ時なのだろう。


「そげん照らさんでんよかやろさなくてもいいのに」


 姫様が目を向けたとたんに船上の侍の持つ松明たいまつが、手から勢いよく真上に飛んだ。


「風か? 矢ではじいたか? 下郎げろう分際ぶんざいでこざかしいッ」

謀反人むほんにんめッ、逃がさんぞ!」

松明たいまつくらいくれてやれ。早う囲めッ」


 すでに二艘そうの船にはさまれていた。

 原城址のまわりは海まですべて徳川方が封鎖ふうさしておる。

 遅かれ早かれ敵にはあたるとわかってはいた。

 しかし、腹が減り切った身体で戦うのはいとわしい。


独去坊どっきょぼう、はよ敵の目ぇば替えてやらんね」

承知しょうち


 この間合いならば、やれるだろう。


「あぁんめい じんす ぜずきりすと まるやさま」


 印を結び、その手で目を隠す。

 よしとらえた。


「おい、小舟が消えたぞ、どういうことだ。どこへ行った?」

「あ? こ、これは拙者せっしゃだ。自分の顔が目の前に見える。なんだこれは! ええい汚らわしい切支丹伴天連きりしたんばてれん外法げほうか」

「大塚ッ、オマエが向かいの船にオイおれと並んでおぞ、オイおれはどこにおるとや? わけんわからん! オイおれはどこにおるとや?」


 もちろん切支丹伴天連きりしたんばてれんの魔術ではない。

 ワシの仕業しわざ、忍術だ。


〝自分の見ている景色けしきを、他人のそれと交換する〟

 聴覚も嗅覚も感覚のすべてを同じように入れ替えできる。

 他人の視覚や聴覚を混乱させるのがワシの異能いのうだ。

 見当けんとうがつけられなくては、戦いどころではあるまい。


 肥前ひぜんの忍のなかでも辺境の奥の奥にひそかに続く十干とぼしの家。

 その血統けっとうつらなる者は皆、なんらかの異能が使える。

 ワシの行った耳目じもくの感覚を移すなどは、人外の業としてはささやかなたぐいだ。

 とはいえ、闘争とうそうの役にはたつ。


 敵の船に飛び移り、術中にはまり取り乱す敵を次々に刺して仕留しとめた。

 これにて追手おってたいらげたと思ったころに、姫様が声をかけなさった。


「危なかよぉ独去坊、虫よ」

「虫? 夜の海に虫が?」


 敵の船のなかよりこけかたまりが起き上がり、人の形になる。


「なるほど、あれですな」


 奇態きたいな術者、ワシらの同類。忍びだ。

 三人か。


 ワシに飛礫つぶてを投げつつ、背後の侍どもへ声をかける。


肥前ひぜんの者の技は尋常じんじょうではないッさくなく近づくな!」


 こちらに投げた飛礫つぶて。それは松ヤニと火薬の匂いがした。

 匂いの後から閃光せんこうがのびる!

 飛礫つぶてに、※炮烙玉ほうろくだま(※爆弾)を混ぜて投げたな。


 ともあたりでが炸裂さくれつし、火があがる。

 明かりに照らされあらわになったワシらめがけてはちの大群が降る。


肥前ひぜん乱波らっぱめ、覚悟せい」


 点々とかれた蜂が、いくつも矢の刺さった小舟をさらに飾る。


手際てぎわが良い。これはおそらく関八州かんはっしゅうの忍びですな」

「笑うとらんと、よ目ば盗まんね」

「新手は総勢八人はおります。ワシでは力不足ですな」


 ワシは、四人より多くの者と感覚の交換はできない。

 蜂などの虫は、はじめからムリだ。


「は? 泣き言わんでぇ。もぉ、しょんなかしかたないねぇ、ウチがやるッ」

「さて、それにはおよびますまい」


 蜂が広がるとともに敵からは必勝を確信した声が得意気とくいげに響く。


あやしき輩めが、どこにも逃げられんぞ、陸は幾重いくえものさくふうじられ、海は軍船いくさぶねがひしめいている」


 さもあろう。

 この先に逃げられる道はない。

 この場で、攻めを防ぐ手立てもない。

 大量の雀蜂すずめばちに刺されたら死ぬのだろう。

 運良く死なずとも、もはやロクに動けなくなる。

 だが、そうはならん。


「うるさかねぇいね。おちおち眠ってもおられんとねいられないのね


 この女がいるからだ。

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