ホエールウォッチング

不知火白夜

第1話

 オレ市河いちかわ雄和ゆうわは昔から海洋生物全般が好きだ。中でもクジラが一番好きで、クジラに関するドキュメンタリーなんかがあるとつい観てしまう。クジラはいい。あの大きな体に迫力のある動き。力強い水しぶき、神秘的な鳴き声。知能だって高いし、見た目も好きだ。多分オレは生き物の中ではクジラが一番好きだろう。

 でも、なんでここまで好きなのかはよく分からない。きっかけも恐らく特にない。小さい時から、何となく、クジラが好きだった。だから幼稚園でのお絵描きの時間には、特に指定が無ければクジラの絵を描いていたし、クジラのシールなんかがあればそれを欲しがっていた。先生には『雄和君はクジラさんが大好きなんだね』と微笑ましく見られていたのだ。

 親には『特になにか見せたわけでもないのに、なんでこんなに好きなのか』と疑問に思われたが、その疑問はオレ自身も抱いている。ただ好きな物は好きなのだから仕方ない。


 そんなオレのクジラ好きは、意外な所にも出ていた。

 オレは趣味で同人活動をしている。幼馴染みと一緒に小説やイラスト、漫画を作成し、時折寄稿もしている。その際に使用しているペンネームは『鯨』であり、イラストに添えるサインにもクジラの絵をつけている。最初は、名前とはかすりもしない名前にどうかと思ったが、幼馴染みのペンネームも本名とは微塵も関係のないものであったし、それにオレの鯨好きを知る幼馴染みからは『雄和らしいよ』と言われたので、それはそれでいいかと思うことにした。

 その他にも、オレは自分が色紙に書くサインにもクジラの絵を入れていた。ここで言う『サイン』は先程のイラストに添えるような、描き手を示すサインとは別である。

 オレは、中学生頃から国内でも有力な短距離専門の陸上選手として有名となり、高一の時にとある大記録を達成してからは全国的に有名な陸上選手となった。これに加えて、三兄が有名なフィギュアスケーターであるということもあってか、国内での知名度は高まり、所謂オレのファンというものができるようになっていた。そうなってくると、有名アスリートとしてサインを求められることも多くなり……その時に、それっぽく書いた自分の名前と共に、毎度クジラの簡単なイラストを添えているのだ。

 何故クジラのイラストを? と首を傾げられることもあるが、アスリートとしてのサインにもクジラを添えたかったのである。深い意味は無い。きっとそのうち『市河雄和選手のサインにはクジラが付き物』と理解されるであろう。

 そんなオレの小さな夢は、ホエールウォッチングをすることだ。出来れば、今付き合っている恋人と。

 高校生の今は学業と部活が忙しいし、遠方に出かけるとなると保護者の許可もいるだろう。けれど、高校も卒業してせめて大学生くらいになったら、もう少し大人になったら、恋人とそういったことを楽しみたいのである。ホエールウォッチングも、日本国内の場合は金額もそんなに高くないから、大学生頃にバイト代を貯めればなんとかなりそうな気がしている。問題は、恋人がクジラに興味があるか、そして、海外に住んでいる彼がわざわざ日本に来てホエールウォッチングに参加してくれるかどうかだが。……まぁ、海外でもそういったイベントはある。場合によっては2人が行きたい国を観光がてらクジラを見るのも悪くないだろうし、最悪の場合オレ1人でもいいわけだ。これは本当に、最悪の場合だけど。



 それから数年後、大学2年の夏。北海道にて、オレは恋人のエドヴァルドと一緒にクジラを観るために船の上にいた。もちろん2人きりではなく他の参加者やスタッフもいるのだが。

 船の上では、2人ほどいるスタッフが参加客に声掛けをしたり、もうすぐクジラが現れやすいスポットであるという説明をしている。それを聞きながら、オレは遂にクジラが見られるかもしれないことに胸を踊らせており、腰を下ろしていたベンチから立ち上がって船の柵に近づく。柵に手を添えて、じぃっと海面を見つめた。まだクジラは見られないが、こうして海面を見ているだけで気持ちが高揚する。その様子を見透かすように、後から着いてきて隣に立った金髪の青年が、にこやかに微笑む。


「ユーワ、なんだか楽しそうだね」

「そりゃ、楽しいよ」


 恋人であるエドヴァルド・ヨハンセンが穏やかな口調でそう零して、オレはそれにつられて徐に振り返る。

 彼はノルウェー出身の男性であり、今回ホエールウォッチングに付き添ってくれたのだ。彼は、オレの心配とは裏腹に、楽しそう! と笑顔で快諾してくれた。それもあって、北海道観光の中の一つとして、ホエールウォッチングにやって来たのだ。


「やっと間近でクジラが見られるからな。なんか気分が上がっちゃって」

「そっか。本当にユーワはクジラが好きなんだね」

「そうだな。……なんか、昔からずっと好きなんだよなあ」


 海面を見つめながら、ぽつぽつと言葉を返す。海面は静かに揺れており、クジラの姿は未だ見受けられない。

 ぼうっとしながらノルウェー語でやり取りをしていると、少し離れたところでいくつか歓声が上がる。もしかしてクジラが出現したのだろうかと思い足を向けると、スタッフがクジラがやってきたことを揚々と教えてくれた。その言葉に一気に気持ちが高揚し、足早にクジラがいるであろう方へ向かう。

 どこにいるのだろう――他の参加客と一緒に船の柵から身を乗り出して海面を見ると、そこには確かに大きな影がいくつか存在していた。群れを形成しているクジラたちは、僅かに頭の一部や尾を海面上に出している。はっきりと確認できたそのシルエットは、小さい個体でも10mはあるし、大きい個体は18mくらいはあるだろうか。2m近い身長の自分よりもずっとずっと大きなそのクジラは、ただそこにいるだけで迫力があり、神秘的でもある。そのクジラ達が、悠々と遊ぶように泳ぐ様は、オレにかなりのインパクトを与えた。ついつい、感嘆の声が口から漏れる。


「すっげぇ……」

「どう? ユーワ。間近で見た感想は」

「いやぁ、なんつーか……感動した。すごいな」

「そりゃ良かった」

「エドも見た?」

「うん、見たよ。でっかくて凄いよね」

「な、ほんとにな! アレ頭部が巨大で特徴的だからマッコウクジラだと思うんだけど、やっぱり大きいよなあ。すげぇよなあ……こうしてすぐ近くで見られるなんて。迫力もあるし、こう、なんか、ドキドキするな!」

「そうだね」

「あっ、あっち別のクジラが潜水してったぞ! いいよなあ優雅だよな」

「うん、そうだねえ」


 他の参加者の邪魔にならないように、位置を変えながら何度もクジラを眺め、エドヴァルドにやや興奮気味に話しかけると、彼はニコニコと目を細めながら相槌を打つ。


「よかったよ、ほんと。エドとこうしてクジラを見ることができて」

「うん、僕もよかったよ。いい体験ができたし、楽しそうなユーワの姿が見られて嬉しいよ」


 笑顔でそう返してくれたエドヴァルを見て、オレも嬉しくなる。少し照れくさい気持ちを抱きながら、再度海面に目を向けると、その先では一頭のクジラが海面から顔を出していた。

 この日は、オレの夢が一つ叶った日となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ホエールウォッチング 不知火白夜 @bykyks25

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画

同じコレクションの次の小説