何もかもが中途半端な世界なら、半端者の僕でも一人前になれるだろうか。
志季悠一
プロローグ
俺、坂井一志は三十二歳の誕生日を迎えると共に無職になった。
時代の流れだろうか。
自分の誕生日など忘れる程に、毎日毎日必死に働いてきたが、不況に見舞われたのが運の尽きだった。ナントカっていう経済指数が悪化したとかいう世間の流れであっという間に貧困に襲われた。
俺の会社など、世間の濁流にのまれて、一瞬で潰れてしまった。
あれだけあった仕事が急になくなり、途方に暮れている間に無一文で世間に放り出されてしまった。
その時の気分を、どう表せばよいのか。
一言で言えば、唖然。
そう唖然だ。
それまでは会社のことだけを考えていれば、それでよかったのに。
そうすれば、周囲が結婚しようと子供を産もうと、どうでもよかったのに。
急に現実と向き合わなくてはいけなくなった気分になった。
だが、今周囲にセンチな気分と共感してくれる人間はいない。
俺は、冷たい社会で一人だった。
両親とは不仲だし、友人と呼べる人間は一人もいないのが現状だ。
妻や恋人は当然として、気になる異性すらいやしない。
まあ、いたところでどうしようもなさそうなのが救えないところだ。
それに、人間関係以外にも問題は山積みだ。
現在住んでいる賃貸アパートも、社宅として借りていて家賃補助でなんとか生計を立てていたから、すぐに引っ越さなきゃならない。
残る選択肢もあったが、不況を受けて家賃ももうすぐ値上げされるらしい。
それも、数万円単位で。
そうなれば、補助があっても住むのは厳しかっただろう。
居場所も失い、職も失い、家族もいない。
そんな状態だから、とりあえず役所に行って、色々手続きをしなくてはいけなかった。
失業時にすること五選、みたいなネットの動画を頼りに、行動する。
そうしなければ生きていけないからだ。
生きる。
何のために、なんて考えだしたら人間は終わりか。
だが、現実逃避をしようにも俺には何も残されてなさ過ぎた。
仕事が忙しかったから、趣味もない。
好きな娯楽も、好きな食べ物も、自分のことのはずなのに、思い出せない。
そうなってしまうぐらいには、体も心も疲弊していたのだ。
とぼとぼと、か細い体を動かして、役所に足を運ぶ。
外は冬特有の冷たい空気で溢れていた。
寒い中、足を震わせながら、歩く。
平日に外出するなんて久しぶりだったから、異様に疲れてしまった。
きっと、この程度のことで明日軽い筋肉痛になってしまうんだろうなと、何気なしに思う。
そんな情けなさと惨めさが、心をむしばんでいく。
そして、役所の窓口に並んで、順番を待った。
何十分も待って、ようやく順番が回ってくる。
事前に渡された番号が呼ばれ、席を立つ。
受付に向かうと、若い職員から、書類を数枚渡された。
これと、これとこれにサインして、提出してくださいと事務的に言われる。
そこで、数枚の紙きれに必要な情報を記入している最中に気付いた。
今日、俺誕生日だということに。
だからといってなんだという話ではあるが。
もう、年など取ってもいいことなど何もないのだ。
心は学生時代から成長していないのに。
体だけが老いていくという、恐ろしい感覚。
時間が過ぎる体感は、年々短くなっていて、一日の長さは学生時代の半分にも満たない気がする。
思えば学生時代から、俺は碌な奴ではなかった気がする。
きっと無敵の人というのは、今の俺のような人を指すのだろうが、当時はそういう何者にもなれなかった大人を小ばかにしている節があった。
まさか、自分がそれになるとは思いもしなかった。
いや、中学高校のあたりから兆候はあったか。
俺は中途半端という言葉が良く似合う男だった。
勉強では中の上下を行ったり来たり。
いや、どちらかというと下の方の順位を泳いでいた。
運動も、走ったり跳んだりは比較的問題なかったが、球技が苦手だった。
個人技はよくても、団体は苦手。
オタク趣味を全開に楽しむでもなく、友人と放課後に遊びに行くでもなく。
ひたすら生産性のないことで時間を潰してしまっていた。
何か突出するものがあれば、どこかで秀でた部分があれば。
また違った人生だったのだろうか。
…考えても無駄なこと。
人生なべて世はこともなし。
そんな言葉があるが、何もないはないで退屈なものだ。
なんてことを考えていると、一通りの事務作業が完了し、帰宅する運びとなった。
外に出て、帰路に就く運びとなった。
それにしても今日は疲れた。
少し外に出て、軽い手続きをしただけなのに、重労働をした後のような疲労感が体に残ってしまう。
そのまま帰宅して自宅にて休めばいい。
考えるのは簡単だが、異様に足が重い。
だからこそ、近くにあった公園のベンチに腰かけたのは当然の帰結であった。
冬の公園は、寒いせいか子供も少なかった。
小さく、さほど遊具もないので、人気がないとうだけかもしれないが。
時刻も夕方に近く、空も茜色になりつつあったので、時間帯の問題の可能性もある。
そんな人のいない場所で唯一、砂場で砂いじりをしている少年が、懸命に何かを作っているようであった。
山のような、丘のような隆起。
自分の半分ほどの大きさの手で、ペタペタとやっている。
かつての同級生の子供が一人、あれくらいの年になっていたはず。
彼とはどこで、こんなに差がついてしまったのだろう。
答えの出ない問いに、虚しさだけが溢れてくる。
それにしても、ここは穏やかな時間が流れているな。
風が吹き、子供が静かに土をいじる音が響き。
心地よい音だけが、耳に届く。
ここしばらく、心穏やかじゃない時間が続いていたからこそ、驚くほどに心地よく感じられてしまう。
冷たかったベンチも、自身の体温によって温められ、心地よい温度になっていく。
だからか、やがて俺は眠気に襲われてしまった。
うとうとして、意識が遠のいていく。
「…」
その感覚がいやに心地よく、抗う気力は既になかった。
やがて頭がぼうっとして、何も考えられなくなっていく。
だが、冬の寒さというものを俺はなめていた。
普段、暖房の効いた部屋にいたから、忘れていた。
凍えた場所で意識を失えば、人は簡単に命を落としてしまうという事実を。
すぐに視界は白んで、目はかすみ、何も見えなくなる。
思考力はなくなり、瞼は落ちて。
俺は、そのまま冬の寒さに抱かれて、目を覚ますことはなかった。
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