緋眼の魔術師 ~師匠が残してくれたのは、伝説の魔導書でした。~

南雲虎之助

第1話 煉獄の魔女

 今より五百年前。

 人々は魔術を研究し生活を発展させていた。

 魔術が齎す恩恵はとても大きく、人間領では高度な文明が築かれていた。

 離れた場所にいる者と通信魔術で会話をし、緊急を要する招集には転移魔術を使う。料理には炎熱魔術を用い、衛生的な環境維持のために水流魔術は欠かせない。

 一人の転移者によって開かれた魔術という学問。

 その偉大な功績に依存する。それがこの世界の常識だった。


 平穏で豊かな生活。

 それはある一柱の魔王によって脅かされることになる。




――――――――――




「諸君、よく聞いてくれ! 余はユートラスの王、ロッド・ユートラスである!」


 王は声高らかに叫んだ。

 音声魔術によって拡大された声は広く響き渡る。

 一級品の装備に身を包んだロッド王を見つめる兵士や魔術師、そして冒険者たち。


 なぜ、このような状況になっているのかというと――。

 事の始まりは魔族の掃討作戦だった。


 このジア大陸には魔族の王が治める土地と人間の王が治める土地とがある。

 二度の人魔大戦を経てそれぞれの領地が定められ、二つの土地は魔族領と人間領に大別されることとなった。

 そして双方において絶対的不可侵条約を結んでいたのだが、一柱の魔王が条約を破り人間領への侵攻を開始。

 これをきっかけに人間陣営との第三次人魔大戦が勃発する。戦争は長引き、やがて大陸全土を巻き込む大戦争へと発展した。


 人間領有数の大国であるユートラス王国。

 国王であるロッド・ユートラスは大戦を利用し、人類に敵対する魔族を悉く滅ぼそうと思い至る。それが人類の真なる平和に繋がると信じていたからだ。

 ロッド王は他国の王との交渉を重ね、人間領国家を一つに束ね上げた。

 その後、各国の兵士や魔術師、さらには組合に所属する冒険者たちを集め"魔族殲滅軍"を編成。彼らは人類の希望を背負っていた。


「――しかし、そう上手くはいかなかった」


 初めは順調に魔族の拠点を攻め落とすことができていた。

 だが、途中から魔王たちも強固な協力関係を築き猛反撃に遭ったのである。

 次第に人間陣営は拠点を落とされていき、魔族殲滅軍も数を減らしていった。


 ロッドは苦悩していた。

 今回の掃討作戦による見返りは人類の安寧。

 この戦争に敗北すれば、彼を待ち受けているのは魔族に攻め込まれて死ぬか、戦犯として処刑されるかのどちらか。

 つまり彼はなんとしてでも戦争に勝たなければならなかった。


「故に、余は残存する全ての戦力を以て最後の決戦を仕掛けることにした」


 今日は決戦当日。

 殲滅軍の士気は最大限にまで高まっていた。

 張り詰めた糸を震わすように、ロッドの声が響く。


「殲滅軍よ、人類の繁栄のため敵を討ち滅ぼせ!」


 自身の首が掛かっているロッド。

 彼の激励は悲痛な叫びにも聞こえた。

 王の言葉を聞き、殲滅軍は魔族の軍勢へ向けて突撃を開始する。




 戦闘開始直後、既に異変が生じていた。魔族殲滅軍の後方に位置する魔術部隊から被害が出たのだ。

 軍隊長へ伝達が入る。その内容は、ある一人の魔術師が他の魔術師たちを皆殺しにしたとというものだった。

 軍隊長は自身の耳を疑った。それもそのはず、この殲滅軍は各国の精鋭を集めて編成されている。たとえ近距離からの奇襲だったとしても、一人で他の魔術師たちを相手にできるはずがない。そう思っていた。


 しかし、その予想はすぐに裏切られる。

 伝達が届いてから数秒後、軍の後方から伸びる一本の線が戦場を貫いた。

 この赤い線の正体は超高温度の熱戦であり、触れた者はその個所からドロドロに溶けて蒸発していく。


 歩兵の頭部。騎兵の心臓。ゴブリンの眼球。魔人の右腕。

 各所を貫かれた者たちはその痛みに絶叫し、致命傷を負った者は声を上げる間もなく絶命していった。


 一瞬にして数百人が死んだ。

 虫を踏み潰すみたいに殺された。

 戦場が混乱に満ちたとき、誰かが叫ぶ。


「……おい、空だ……!」


 声につられ、戦場にいた者たちは空を見上げた。

 彼らの目に映ったのは、曇天に浮かぶ一つの人影。

 それはおもむろに右手を掲げる。すると、空を覆い尽くすかの如く赤色の魔法陣が展開した。

 そして、一切の感情を感じさせない無機質な声が降り注ぐ。


「旧き時代を識るものよ、ベアトリーチェ・プルガトリオが命ずる。


 煮えたぎるは我が血潮ちしお

 門は破られ、悔悟かいごは遅く。

 金と銀の鍵を以て我は扉を押し開く。


 巡り廻る七つの

 罪の重石おもし、縫い止められたまぶた朦朦もうもうたる祈り。

 走り、嘆き、節制し、彼らは抱擁を交わし悔い改める。


 ――浄火、罪業をそそげ! 【煉獄フェーゲンフォイア】!」


 詠唱が完了する。

 魔法陣から現れたるは巨大な顎を持ち、大きな瞳に誇らしくうねる角を頂く伝説の怪物。

 その蛇のように長く連なる胴体が現れたとき、ようやくロッドは茫然と呟いた。


「竜種……だと…………?」


 彼のその呟きは半分が正解で半分は間違っていた。

 それはかつて三位一体の時代に存在した竜ではなく、ただ竜の形を象った炎の塊だったのだから。


 破壊の象徴のような猛々しい炎の濁流が、無情と降り注ぐ。

 人類の希望と謳われた殲滅軍は、敵の魔族諸共その業火に呑まれていった。

 人々の繁栄に寄与した魔術によって数多の生命が灰へと還っていく。戦場の中心から円状に広がる炎は、生者と死者との区別無く平等に焼き尽くした。




 魔術師は黒い焦土へと降り立つ。

 殺し損ねた者がいないか、彼女は周囲に感知魔術を張り巡らせた。

 すると一人、誰かが死体に紛れて息を潜めていることに気が付いた。

 魔術師は生存者のもとへと転移する。


 積み重なった死体を浮遊魔術で動かすと、そこには一人の男がいた。

 目の前に現れた魔術師を見て、彼は自然と零れ落ちる涙をそのままに問う。


「な、なぜ仲間まで殺した!? 貴様は一体何がしたいんだ!?」


 男は声を荒げる。

 質の良い装備をしているこの男こそ、ロッド・ユートラスその人だった。

 腹心の部下たちが身を挺して守ったおかげで、ロッドだけが一人生き残っていたのである。

 そして今、彼は災厄を引き起こした元凶と邂逅していた。


「……何をしたか分かっているのか? 我々人類の希望を、安寧へと続く道のりを貴様は断ち切ったのだぞ!?」


 ユートラスの王は勢いよく吼える。

 彼の中で恐怖よりも怒りが勝ったのだ。

 ロッドは自らの剣を抜き、構えた。


「今ここで貴様を殺せば、余を信じた者たちも救われよう……!」


 剣の切先を魔術師へと向ける。

 ロッドは一縷の望みにかけたのだ。

 その望みとは、己がこの魔術師に打ち勝つこと。

 ロッドは君臨するだけの愚かな王ではない。幼少から修練を積み、剣の腕も確かであった。

 彼は王としての尊厳と誇りを胸に、敵対者へと斬りかかった。

 魔術師は緋色の瞳でそれを見つめ――。


「お前が王たる器であることに敬意を表す」


 氷のような冷たい声で言い放つ。

 刹那、彼女は詠唱を口にした。


「旧き時代を識る竜よ、哀れなる罪人に浄火を浴びせよ! 【古竜の咆哮ゲブリュル・ドラッヘ】!」


 魔術師の前方に赤い魔法陣が展開。

 記憶に新しい竜の頭部のみが現れる。

 それを見たロッドは恐怖で顔が引き攣っていたが、進む足を止めることはなかった。


 竜は世界を食らう勢いで顎を開き、炎を吐き出す。

 猛々しい轟炎がロッド・ユートラスへと浴びせられる。

 一瞬の内に彼の身体は燃え尽きた。

 辺りに散るのは微かな灰のみ。

 実に呆気なく、ロッド王の覚悟や誇りやらは塵と化した。


 風が吹き、塵が流されていく。

 魔術師はそれに一瞥もくれず踵を返す。

 黒いローブを少しばかり手繰り寄せて、彼女はその場を後にした。


 "煉獄の魔女"ベアトリーチェ・プルガトリオ。

 彼女は最凶最悪の魔女としてその名を歴史に刻んでいる。




――――――――――




 カルムメリア王国の東端にある町。

 その町はずれの丘に一人の青年が暮らしていた。名前をゼーレ・アーキファクト。


 十六年前、赤ん坊だったゼーレはこの丘に捨てられていた。

 寒い時期だったにも関わらず、薄い布一枚に包まれていた彼を拾ったのは、その丘に住んでいた魔術師だった。


 それは彼女が赤ん坊にゼーレという名前を付けて大切に育てた――という綺麗話ではなく。

 魔術の研究以外に何の興味も無い彼女は、それ以外の雑務を担わせるべく、小間使いの育成を始めただけのことだった。




「お師匠、お師匠!」


 朝、ゼーレは目覚めるとすぐに一階へと向かった。

 壁一面に魔導書が詰め込まれ、所々よく分からない植物が蔓を伸ばしているこの家。

 本の森とでも言うべきその空間に一人の魔術師がいた。

 深い赤色をした長髪に緋色の目を持つ女性。彼女は気怠げな表情でゼーレを見る。


「朝からうるさいよ。起きたなら朝食の準備をして」

「そんなのはどうでもいいんです! リーチェ師匠、今日は僕の八歳の誕生日ですよ」


 ゼーレの言葉にリーチェは無言で目を瞬かせた。

 そして天井を見上げて「あー、もうそんな時期か……」と、小さく呟いている。


「師匠、まさか忘れてたんですか?」

「いや、そもそもお前に誕生日なんてものは無いよ。私が拾ったときの日付をお前が勝手に誕生日にしてるだけ」

「全く……。師匠はそんなんだから友達がいないんですよ。そういうときは『私とお前の出会った日が新しい誕生日だよ』的なことを言わないと」

「うるさい。私にだって友達はいる」

「はいはい。師匠は魔導書がお友達ですもんね」


 ゼーレの皮肉を聞き、リーチェは無言で【氷礫アイスキーズ】を放った。

 下位魔術の【氷礫】でも、リーチェの手に掛かれば鉄を貫く威力を持つ。

 間一髪でそれを躱したゼーレ。後ろを見ると、壁に空いた穴から外が見えていた。


「ちょっと、弟子を殺すつもりですか!?」

「お前が勝手に師匠と呼んでるだけだろう。私に弟子はいない」

「ここまで育てておいて?」

「勝手に育ったんだ」


 普段通りの言い合いを経て、リーチェは机の上に置いてあった袋から銀貨を二枚取り出した。

 そしてそれをゼーレへと放る。

 無詠唱魔術を避けられる位には動体視力の良いゼーレは、銀貨を難なく受け取った。


「調合用の薬草が切れたから買ってきて。……お金が残ったらそれで好きな物を買っていい」


 ぶっきらぼうにリーチェは言う。

 薬草を必要な分買うだけならソロン大銅貨一枚で事足りる。それをソロン銀貨二枚ともなると、大抵のものが買えてしまう。リーチェの不器用な祝福に気付いたゼーレは満面の笑みを浮かべた。


「ありがとうございます、師匠! 大好きです!」

「……ば、馬鹿なこと言ってないで早く買ってきて……」


 赤面した顔を隠すように机へと向き直るリーチェ。

 恥ずかしさのあまり顔を背けてしまった彼女は、ゼーレがローブを着ずに出て行ってしまったのを見逃していた。




 事件はゼーレが買い出しへ行ったときに起きた。

 リーチェは前々から「街へ行くときはローブを着て、フードを被ること」と口酸っぱく言っていた。

 しかしその日は暖かい気温で、さらに言えばゼーレは誕生日ということで浮かれていた。そのためローブを着ずに街へと出掛けてしまったのである。


 いつもと変わらぬ街の雰囲気を感じつつ歩く。

 人々の賑わい。どこからか漂ってくる料理の匂いに彼は意気揚々としていた。


「……うわっと」

「きゃっ!」


 よそ見をしながら歩いていたゼーレは道の真ん中で少女とぶつかった。

 少女はゼーレよりも幼かったため転んでしまっている。


「ごめん! 怪我はしてない?」


 言いながら彼は手を差し出す。

 自分に非があったことを認め、少女の身を案じた上での行動。

 決して攻撃的な意思は無かった。

 ところが、少女は大きな声を上げて泣き出してしまう。


 困惑するゼーレを差し置いて、少女の泣き声は依然として止まらない。

 するとそこへ父親と思しき人物が現れた。

 彼は少女を抱きかかえ、あやし始める。


「すまんね、この子は泣き虫なもんで……」

「いや、僕もよそ見をしていたので」


 父親は少女に優しい眼差しを向けていた。

 しかし彼がゼーレの目を見た瞬間、その表情が急変する。


「緋色の目……! お前、まさか"魔女"の血を継いでいるのか!?」


 父親は声を荒げる。

 彼の目は血走っていた。

 そこにあるのは純然な憎悪の感情。


「……災厄め! ここから出て行け!」


 彼が何を言っているのか、ゼーレにはさっぱり分からなかった。理解不能だった。

 固まるゼーレに対して父親は罵詈雑言を吐き続ける。

 騒ぎを聞きつけた人々がぞろぞろと集まってきた。

 そうして口々に暴言を浴びせてくる。

 次第に耐え切れなくなったゼーレは、その場から全速力で逃げ出した。


 背後から様々な物が飛んできた。

 石を投げつけられて頭から血が流れた。だがゼーレは走り続ける。

 足を止めれば殺されると感じていたのだ。


 ただ一目散に逃げ続け、気が付けばゼーレはリーチェの家にまで辿り着いていた。

 勢いよく地面に倒れ込む。

 それは頭部からの出血と心からの安堵による結果だった。




 二階にある寝室。そこでゼーレは目覚めた。

 頭を触ってみると包帯が巻かれていた。傷の痛みはすっかり無くなっている。


「やっと目を覚ました。丸二日寝たきりだったから、もう死んだのかと思ったよ」


 部屋に入ってくるなり、そんな言葉を掛けてくるリーチェ。

 棘のある言葉だけれど、その声音には安堵の色が滲んでいる。


「お師匠、どうして街の人たちは僕を見て怒ったんですか……?」


 ゼーレは問う。

 彼には分からなかった。自分の何が人々を怒らせたのか。


「街へ行くとき、私はいつもローブを着てフードを深く被るように言っていただろう? それはお前の目を隠す為だ」

「目を……?」

「ああ、私と同じ緋色の目。それは五百年前に起きた人魔大戦で、全てを焼き尽くした魔女と同じ色だ。だからお前はその魔術師の血を引いた人間じゃないかと疑われたんだよ」


 リーチェは緋色の双眸でゼーレの目を真っすぐに見つめる。


「たったそれだけ?」

「それだけのことさ。人間は災いを忌避きひする生き物だ。危険性があると判断すれば、それがどれほど些細なことであっても排除しようとする」


 淡々と、あたかもその様子を見てきたかのように語るリーチェ。

 炎を連想させる瞳とは裏腹に、彼女の言葉は冷酷だった。


「なぁ、ゼーレ。これからお前はどうしたい?」


 今度はリーチェがゼーレに問う。

 八歳の子供にはやや難しい質問だった。


「分かりません……でも、もう怖い思いはしたくない」


 それはゼーレの心からの望みだった。

 リーチェは彼の頭を軽く撫でながら言う。


「それならあと八年。八年もあれば大抵のことは学べる。身体を鍛えて勉強をするといい。その間の安全は私が保障しよう」


 彼女は優しさに満ちた微笑みをゼーレへと向けた。




 その数日後。

 リーチェはゼーレの前から忽然と姿を消した。

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