第二話

 今度はどこのどいつだと構えたが、はっと気付いた。

 ノックの回数は三回。

 入室の許可を求める回数だが、悲しいことに俺の元へ来る輩にそんな気遣いができる人間はいない。

 一体、誰だ?

 好き好んでこの部屋に入ってくる人間なんていないと、在室時は鍵を開けっぱなしにしていたのが間違いだった。

 もう一度、ノックが三回聞こえる。返事をせずに扉を見ていれば、ドアノブがゆっくりと回った。

 きぃと音をたててドアが開く。

 きょろきょろと顔を動かして入ってきたのは、飾り気のないカーキ色のコートを羽織った同い年くらいのヒョロ長い男であった。

 彼は椅子に座る俺を見つけると、きさくに笑った。

「ノックしたところで絶対に反応はないし、もし人の気配があるなら鍵はかかっていないから勝手に入っていいと聞いていたが、よかったかい?」

「何もよくない。誰から聞いた? そもそも誰だお前? 一体、何のようだ?」

 声も若いが学生とは思えないような、どこかすれた印象を受ける。下級生が度胸試しに俺に声をかけたという訳ではなさそうだ。

 じっと見ていれば彼はすっと背筋を伸ばし、かしこまった態度でお辞儀をした。

「さすらいの絵師、アルバート・グレイと申します。マーヴ先生からのお届け物がありこちらに参りました」

「マーヴ先生からだと!? 一体あの人は今、どこをほっつき歩いているんだ?」

「最後に会ったときはトエルトにいたけれど、また別の場所に行くと言っていたからもういないと思うよ」

「トエルト?」

 かつて医療大国として知られ、今の医学の基礎を作り上げた古の国があった土地だ。

 あの野郎、選挙から逃げるために、わざわざそんなど辺境の土地にいたのか?

「なんでそんなところに?」

 アルバートはわざとらしく肩をすくめた。

「一緒に受け取った手紙に書いているかも」

「手紙があるなら早く言え! というか荷物ごと全部、今すぐそこに置いてけ!」

「喜んで、と言いたいところだけれど、こちらも長い旅路で足が棒のようになるほど苦労したんだ。運搬料として何か対価が欲しい」

 にこりと微笑む彼のあまりに図々しい態度に呆気にとられる。

 生まれてこの方、人から避けられる方が多い自分には絶対にできない振る舞いであった。

「よりにもよってこの俺から何か欲しいだと? 誰もが俺から呪いを受け取らないよう戦々恐々としているのによ」

 長い前髪をかきわけ、アルバートを両目できっちりと見据える。

 恐れをなして俺宛の荷物を持って逃げられる可能性があったが、どうせ面倒が起きるなら早い方がいい。

 俺の目を見て、アルバートは目を見開いて息をのんだ。

 次に彼は腰を抜かすか、逃げ出すかするだろう。あまりに見慣れた反応であった。


 「災厄をもたらす邪眼」

 「呪われた赤目」


 それが俺に対する世間一般の評価だった。

 俺と目があったら最後、ありとあらゆる不運に見舞われるそうだ。

 突然の雨にふられて風邪をひいて、試験を受けられなかった。

 階段から落ちて骨折した。

 実験に失敗した。

 希望する研究室に入れなかった。

 婚約破棄された。

 そんな根も葉もない噂は、いつだって周囲に飛び交っていた。

 俺と積極的に関わろうとするのは、物好きなマーヴ先生とメルクと俺のことを命の恩人だと思っている王子ぐらいで、大半は恐れて近づこうともしない。学内で俺の姿を見かけるや、そそくさと逃げるのは、何も学生に限った話ではなかった。

 おかげで講義をさぼっても文句は言われない。出席しなくても単位が勝手にもらえる。何もしなくても卒業が約束されており、これ幸いと研究室にひきこもる日々だ。

 悪意にさらされるより、こっちから切って捨てるほうが楽。

 この絵師とやらはマーヴ先生の行方を知る唯一の人間であるが、下手に俺に関わって後で恨み言を言われても敵わない。さっさと荷物を置いて研究室からでていってくれ。

 そう思ったのにアルバートが怯えた様子を見せるどころか、近くの椅子に腰を下ろす。まさか俺の対面に座るとは思わず、呆気にとられた。

「君の目について話に聞いているとも。それにしても見事な真紅の双眸だ。使いっ走りをした甲斐があったというもの」

 きっちりと視線を返され、思わず息をのんだ。

 思いがけない言葉であった。

「呪われる、とか思わないのか? 俺のこの目を見て初見で気味悪がらない人間はなかなかいないぞ」

「あいにく、この目に見えたものしか信じない主義でね。迷信なんてものにてんで興味がないのさ。それで運搬料の対価だが君をモデルに一枚描く、というのはどうだ? といっても、今すぐではなく、描きたい絵が頭に浮かんだら」

 こいつ本気で言っているのか?と思ったが、その目には確固たる意思が宿っていた。

 その姿を見て、俺は深くため息をついた。いい加減荷物を受け取りたいのもあり、不本意ながらも受け入れるしかなかった。

「勝手にしろ」

「ありがとう。好きにさせてもらうよ。では肝心の荷物だ」

 アルバートが背中にしょっていたカバンからもったいぶって取り出したのは木箱だ。

 メルクが持ち去った上等なワインの木箱とまるで異なり、そこらの板でとりあえず継ぎ接ぎして中身が見えないようにしただけの粗雑な作りだ。開け口はなく板を割らなければ開けられない。

 木箱を揺すると中でゆらゆらと液体が動く感触があった。瓶が入っているようだ。トンカチで中の物を壊さないよう、ゆっくり箱をたたき割れば案の定、瓶に入った臓器が中に入っていた。

「これはなんだ?」

 興味津々にアルバートは瓶を眺めた。

「中身を知らずに運んでいたのか?」

「くれぐれも旅の途中で開けないようにと言われていたからね」

「こいつは肝臓だよ」

「かんぞうとは?」

「人間の腹の中にあって、血液を作る大切な仕事をしている臓器のひとつだ」

「この茶色い物体が僕の中にあるというのか?」

 驚いた顔をしてアルバートは角度をかえ、顔が瓶にくっつきそうな位置まで移動して、」しげしげと瓶を観察した。

 初めて肝臓を見た人間の多くは、こんなのが腹にあるなんてと気持ち悪がる方が多いが、やっぱり変な奴だ。画家という職業の人間は変人が多いのか。

 しかし、マーヴ先生は選挙を放棄してトエルトやらに行き、俺に肝臓だけよこして何がしたいのだろう。改めて肝臓を観察すると、生きたまま取り出したかのように新鮮に見える。臓器の保存にはホルマリンやアルコールが使われるが、どちらとも異なる臭いだ。

 一体、誰の肝臓なのかと首をかしげていたら、瓶の裏に折りたたまれた紙切れが挟まっているのに気付いた。手に取って広げてみれば一文だけ書かれていた。

「〝この肝臓の切片を作って染色してコルム病院に届けて欲しい〟」

 マーヴ先生の筆跡だ。よっぽど時間がなかったのか、ひどい殴り書きだ。先生の筆跡を見慣れていないと、判読できないだろう。

「何と書かれているんだ?」

「この臓器を細切れにして、こんな感じにペラペラの形にして顕微鏡で見える状態にして欲しいとさ」

 今しがた作った切片をアルバートの前に置く。

 アルバートは厚さ1mmもない切手サイズの肝臓の切片と瓶の肝臓を見比べ、驚いた顔をした。

「まるでヴェールのような薄さだ。この茶色い塊をスパッと切ればいい、という風には見えない」

「そのとおり。ちゃちゃっとやってくれと言ってくる輩は多いが、すぐにパパッと出来る作業じゃない。最低でも一週間はかかる。この臓器を細かく切る作業、切りやすい形にするため蝋で包む作業、蝋で包んだ臓器を薄く切り出す作業。口で言うのは簡単だがかなりの手間暇だ」

「聞いただけではどんな作業をするのか想像もつかないな。よし、一部始終見みることに決めた。この部屋で寝泊まりしてもいいか? マーヴ先生からの許可はある」

「は?」

 アルバートがするすると広げた紙には「研究室を好きに使っていいよ」と直筆で書かれていた。マジだった。

「お前、マーヴ先生とどういう関係なんだ?」

「私の命の恩人だ。トエルトを歩いてまわっていた時に蜂に刺されて死にかけていたところを助けられた。だから頼み事は断り切れない」

 分かるだろう? という目に、ああ、とため息をつきながらマーヴ先生の微笑を思い浮かべる。

 見た目も振る舞いも圧倒的紳士だが、外見にだまされ恩を売られたら最後、骨の随まですすられる。この研究室に拾ってもらった恩はあるが、厄介ごとを放り投げられるのは日常茶飯事で今回の学長選挙なんて最たる物だ。同じ身ゆえにアルバートに同情がすこしわいた。

「分かったよ。だが、絵になるような派手な作業は一切ないぞ。手始めにやる作業は固定だ」

 マスクとゴム手袋を身につけ、謎の液に浸かった肝臓を瓶から取り出すと部屋中に甘い香りが充満した。嗅いだことのない匂いだ。

 作業台からまな板を引っ張りだし肝臓をのせ、消毒済みのメスで薄く切っていく。何個か切ったところで、カセットと呼ばれる網目状の入れ物に一つずつ入れ、ホルマリンが入った別の瓶に入れ直した。

「今日の作業はこれで終了。切って小さくなった臓器にホルマリンをさらに浸透させるためにこのまま三日ほど待つ。これをしっかりやらないと、臓器が腐ったりキレイに染色されなくなる」

 スケッチブックを手にしてしていたアルバートは眉をひそめた。

「あまりに地味だ」

「だから言っただろう? 待つ時間の方が長い上に、時間をかけたわりに失敗することだって多い。発表という晴れやかな場しか一般人は目にしないから勘違いされやすいが、研究はこういう地味な作業の繰り返しが九割だ」

「なるほど」

 アルバートはうなずくと、スケッチブックに目を落とし手を動かし始めた。ひょいとスケッチをのぞくと、先ほどの作業の様子がさらりと描かれていた。さすが絵師を名乗るだけあってうまい。

 マーヴ先生の行方は依然としてつかめないが、この肝臓の切片を作るしかなさそうだ。病院の所在地はあとで調べるとして、まずはアルバートの対応だ。一週間もこの大学に滞在するなら、さすがに学食は案内しておいた方がいいだろう。

 だが俺が案内したら悪目立ちしそうだ。メルクを捕まえて頼むか。案内料をぼったくられそうだなとゴム手袋を外した。その時だった。

 ドンッと鈍くも激しい爆発音が、背後の空気を震わせた。

 

 

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