第一章 ある青年との出会い

第1話 オオカミと少年

 頬にぬめっ、とした感触がして、瞼を開ける。けれど、目の前には何もなかった。ふと、視界の端に何かがいるような気がして、横をみた。


 一匹の真っ白な毛並みをしたオオカミがいて、僕の体にぴったりとくっつくぐらいに身を寄せていていた。手を伸ばして、頭を触ると、ふわふわとした心地の良い手触りで、そのまま顔を埋めてしまいたくなる。だんだん、うとうとしてきて、また眠ってしまいそう。


 耳元で、ガウ、と低い唸り声が聞こえてきた。それは、まるで、「起きろ」と言っているみたいだ。


「ごめん」

 白いオオカミ——シロの頭を撫でると、くぅん、鼻を鳴らした。


 辺りを見渡せば、うっすらと朝日が差し込んできている。ただ、昨日の夜に降った雨のせいで、近いものも、遠くのも、全てを隠してしまうほどの、濃霧が発生していた。隣にいるシロを見失ってしまいそうになるけど、黒い鼻先だけがくっきりと見えた。


「起きるか」

 ゆっくりと、手足を伸ばして立ち上がろうとした時。


 ゴン、と鈍い音が聞こえると、同時に頭のてっぺんがズキズキと痛む。


「イッた……」

 思ったよりも、強くぶつかったのか、あまりの痛さで頭を押さえながらその場でうずくまる。


「だいじょうぶ? シスイ?」


「大丈夫、まだ痛いけど」

 寝ぼけているのか、大木のうろの中で寝ていたことを、すっかり忘れてしまっていた。

 

 今度は、ぶつけないように這って、外に出る。

 広がる濃霧の中で、灰色の毛並みした五匹のオオカミが大木の周りで丸くなっている。


「起きたよ、みんな」

 話しかけると、ピクっと体を震わせて閉じていた目を開けたような気がした。はっきりとよく見えないけど、僕を見ているようだった。


「行こう」

 言葉の意味を理解したように、彼らはゆっくりと立ち上がって、僕の前を歩き出していく。


 昨日の夜に降った雨のせいで、地面はドロドロだし、濃霧もあるから足元が見えなくて、凄く歩きにくい。


「ボクのせなかにのる?」

「平気」

 シロの誘いをきっぱり断ると、プイッとそっぽを向いた。


「どうした、あ……」


 シロの方に顔を向けた時。

 ずるっ。足をすくわれて、視界が180度回転した。目の前には、薄い雲に覆われている空があった。


 バシャン。

 水に落ちた音が至近距離で聞こえた。この近く流れている川に何かが落ちたのかな、と思ったけどすぐに違うと分かった。じわじわと忍び寄るように頭と背中に冷たい感触がして、ぶるっ、と体が震える。


「水たまりの上に転がったのか……、寒い」

 浅いけれど、だいぶ広い水たまりのようで、上半身だけが浸っていた。


「だいじょうぶ?」

 先を歩いていたオオカミ達が、わらわらとやってきて、僕の顔を覗き込んでいる。


「大丈夫」と、呟きながら一番近くにいる子の頭を撫でる。

 ふと、視界の端に、シロが見えた。顔を向けると、獲物を捕らえたときのように目が細くなっていて、小さくヴーっと、唸っている。


「ボクにのっていれば、ころばずにすんだのに……」

 シロは、トタトタと近づいてくる。


「うん、言う通りだ」

 起き上がろうと、体に力を入れる。


 近づいてきたシロと、目が合う。何も言わないけど、その眼差しから、なにもするな、と言っているような気がして、大人しく寝たままにした。


 僕の服の首根っこを加えたシロは、上に持ちあげた。オオカミの顎の力が強いから、あっという間に上半身だけが起きた。


 シロは、僕のお腹の前あたりで、頭を低く下げている。撫でて欲しいのか、と思って頭に触ろうとしたら、ガウ、と低く吠えた。どうやら、違ったみたい。

 じゃあ、僕に何をして欲しいのだろう、と思っていると。


「シスイ、乗って」

 頭の中で、シロの言葉が響いてきた。

 自分で歩けるのに、と言いたかったけど、また転ぶのも面倒だし。もし次も転んだ時は、シロに噛みつかれそうだ。

 ここは、大人しく言う通りにしよう。


「わかった」

 僕は、シロの背中に跨る。見ている景色は同じでも、普段よりも、数段高い景色が目の前に広がっている。


 ガウ、と吠えたシロは、歩き出していく。背骨が上下に動くから、僕の体も同じように揺れる。この感覚は、とても心地が良くて、だんだん眠気が襲ってくる。


 落ちてきそうになる瞼を必死に開けながら、辺りに目を向ければ、徐々に霧が薄れはじめていた。


 隠れていた大きな大木や、小さな木が顔を出していて、その木々たちを飾り付けるように明るい色の葉っぱたちが覆いつくしていた。

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