狂人さんと往く大撫さんの青春クエスト
夜月紅輝
クエスト0 物語のはじまり
始まりは1年の三学期だった。
それもうすぐ春休み間近という二月中旬の時期。
未だ妙に残暑ならぬ残寒の中、【犬甘敬】は廊下を歩いていた。
短い黒髪に大きくも小さくもない目に黒い瞳。
身長は178センチと周囲の男子に比べれば大きいが、特別それで得したことは少ない。
強いて言うなら、人探に探される時にすぐに見つけられるぐらいだろうか。
「うぅ.....さむっ」
敬が歩く廊下から冷たい風が流れ込む。
換気のために開けられたそれを閉じることはできないため、廊下を歩く際に出来るのは耐える.....その一点のみ。
加えて、コートは自分の席の置いてあり、目的としている場所からは距離があるため、わざわざ戻って手に入れるのも面倒。
なので、冷たくなった手先をポケットに入れて温めながら、足早に廊下を歩いていく。
下校のために廊下を歩く生徒達は目的地に向かうにつれ少なくなる。
無理もない。敬が向かっている図書室なんて特別利用客は少ないのだから。
図書室に人がいるとすれば、本当の本好きか楽を求めた委員、もしくは大学受験を控えた三年生ぐらいか。
そこへ敬は向かっているわけだが、特別本好きというわけではない。
読むことが嫌いわけじゃないが、長時間活字を読んでいると眠くなってしまう。
読んでいて飽きてしまったわけではない。
脳裏に長時間文章をイメージし続けられないだけだ。
故に、結果的に漫画の方がよく読んでしまう。
そんな敬が図書室に求めることはただ一つ。
(ラノベって図書室に置いてあるかな?
確か、中学の時の図書室には置いてあったんだけど......)
敬は図書室のドアの前まで来ると、取っ手の代わりにある凹みの部分に指をかけ、ガラガラと開く。
瞬間、ブワッと暖かい風が敬の前面にぶつかり、そのまま廊下へ流れ出る。
(天国か、ここは......!?)
背中の後ろにあるドアの凹みに指だけひっかけ、ドアを閉じた敬はすぐさまそう思った。
先程の廊下が吹雪の中であるとするなら、ここは雪山で見つけた洞窟。
具体的には、稼働中のエアコンによる暖かい風が図書室という空間を包み込み、独立した環境を生み出している。
窓が閉じられていることも影響しているだろう。
とにもかくにも、ここは素晴らしい。ここに居たい。何なら住みたい。
敬は目線だけ動かして図書室の中を確認する。
すぐ右側にはカウンターがあり、そこに図書委員らしき黒髪の眼鏡をかけた女の子が座っている。
正面には横に伸びた本棚が置かれており、左側は勉強スペースだ。
勉強スペースは手前側がモザイクがかった仕切りが置かれてあり個人用、それがいくつかある先に三つほどの大き目なテーブルが置かれている。あっちは共同用だ。
正面にいる本棚の近くには人は見られないが、勉強スペースの方にはまばらに人がいる。
男女ともに生徒が存在し、ネクタイの色が青色のことから三年生だ。
今の時期からすれば、受験生が最後の追い込みをしているということだろう。
勉強する際、誘惑物が多い家では勉強できないという生徒が一定数いる。
しかし、その誘惑物はその生徒が長年かけて集めたコレクションもとい宝だ。
受験に集中するために誘惑するそれらを捨てるという豪快なことを出来る人は少ない。
故に、環境を変える。それ即ち場所だ。
放課後に人が少なくなった教室や先程の図書室、市が経営する図書館など静かな場所。
そこに受験生は集まり、過酷な受験戦争への武器を蓄える。
「.......」
二年後には自分もあの場所にいるのかと思うと、敬は途端に目を逸らしたくなった。
今の時期で考えれば、この場で勉強しているのは国立大学を目指した受験生だろう。
敬も親への経済的負担を少しでも減らすため、現状国立志望で考えているが、そのためにはあのような修羅を背負った姿勢で勉強をしないといけないらしい。
もちろん、勝手にそう見えてしまっているだけであり、いずれそのような覚悟で立ち向かわないといけないと頭では理解しているが......やはり心はそう簡単に割り切れない。
(頑張れ、その時の自分!)
敬は自分自身の未来を他人事のように思い、その思考を放棄した。
いや、それ以上考えたくなかっただけだ。
敬は一年生の頃から将来を見据えたような意識高い系ではない。
どちらかというと、考えただけで逃げ出したくなる逃避行系だ。
敬は足を前に進める。いい加減目的を遂行するためだ。
求めているのは「雹恋歌」というライトノベルで、ジャンルとしては日常系謎解きである。
そのタイトルを知ったのはアニメが最初だった。
おおよそ一話完結で小さな謎解きがなされ、最終話で小さな謎が全て大きな謎へのヒントという伏線回収には当時の敬少年の胸を熱くさせた。
そして、それをなんらかがキッカケで思い出し、アニメを見返して再熱。
原作小説があるということを知り、アニメ放映時が小学六年生の時であったため、敬は図書室に小説が置かれている可能性に期待し、図書室へ足を運んだというのが現在だ。
正面にある本棚の横を通り、そのままズラーッと等間隔で並ぶ本棚と、反対側の壁際にある腰辺りの背の低い本棚を交互に目を移しながら、本棚の側面にあるジャンル別のタグを確認する。
その時、敬は思わず通り過ぎた本棚を、逆再生するように足を後退させ、その本棚を覗き見た。
「んー! んー!........ハァ、ふっ、ぅんーー!」
栗毛色のフワフワとした長い髪をした女子生徒。緑のリボンから同学年だ。
女子生徒は高い位置にある本を取ろうとして、つま先立ちになるほど必死に本棚に手を伸ばしていた。
そんな女子生徒の健気な頑張りに、敬は見惚れてしまった。
なんというか小動物感が凄くて。
女子生徒はこれまで見てきたどの女子よりも小さい。
目測140センチ台といったところか。
その女子生徒の頑張りに気付いている人は敬を除いて他にいない。
図書室の利用客が少ない、利用客の大半が机と向かい合っている受験生というのもあるだろう。
敬はバチッと一瞬女子生徒と目が合った。
すると、女子生徒は一瞬顔ごと逸らし、目線だけで敬を確認すると、首を縮めて軽く会釈する。
そして、女子生徒は本棚に向き直し、手を伸ばし始めた。
(そりゃ無茶だろう......)
女子生徒の手とほんの位置には絶望的な距離がある。
それこそ悪魔の実でも食べてなければ自力で取ることは不可能だろう。
にもかかわらず、女子生徒は独力だけで何とかしようとしている。
自分の身長の低さは自分が何よりもわかっているはず。
また、本の位置も目でわかっているのだから、届かないと理解しているはず。
であれば、誰かに助けを求めて取ってもらうのが普通だ。
それを女子生徒はしない。
勉強している受験生に声をかけるハードルが高いというのはわかる。
しかし、図書委員ぐらいには声をかけることはできるだろう。
声さえかけてしまえば、別に取ってもらわなくても小さな足場さえ用意してもらえば、自力で取ることも可能。
それをしないということは女子生徒自身に問題があるということか。
「ハァハァ.......ハァー」
結局、女子生徒は取るのを諦め、しゅんと背中を丸くして立ち去ろうとする。
すぐ近くに敬がいるにもかかわらず。
それこそ手を伸ばしながら敬をチラチラ見れば、声をかけずとも取ってくださいアピールになっただろう。
もっとも、目が合った時の態度を考えれば、そういうことができそうなタイプにも思えないが。
「......ふぅー」
敬はなんだか居たたまれなくなり、首の後ろを手でさすった。
同時に、「こんなことを考えているよりもさっさと行動しろよ、アホ」と自分を叱咤する。
そうすれば、少なくとも女子生徒のあんな悲しい小さな背中を見ることはなかっただろう。
「これでいい?」
敬は動き出し、本を手に取って渡した。
横から見ていただけだからどの本かあんまりわかっていない。
だけど、位置的にこの辺りだったはず。たぶん合ってる。
「ぅ、あ.........ます」
すると、女子生徒は小声で何かを呟き、本を受け取った。
何を言っているか、敬はまるでわからなかったが、恐らくは感謝の言葉を述べたのだろう。
そう信じて敬は気さくに、されど周りに迷惑かからないように小声で返答した。
「いいよ、これぐらい」
女子生徒の目が大きく開かれる。
敬は初めてしっかり目が合った気がした。
すると、女子生徒は慌てた様子で顔を伏せ、深々と頭を下げる。
そして、頭を上げ、そそくさと歩き始めた女子生徒は本棚の端まで行くと、律儀に二度目のお礼をして去っていった。
「たまにはいいこともしてみるもんだな」
消えた女子生徒の方向をじっと見つめながら、敬はそんなことを呟いた。
また、その満足感に浸りながら、探し物を求め別の棚へと移動した。
敬と女子生徒の出会いはこれだけ。
数分とない短いやり取り。
交わした会話ももはや会話というレベルだったのかすら怪しい。
しかし、たったそれだけのことが、敬の人生にバタフライエフェクト並みに影響を及ぼすことを、敬は知る由もなかった。
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