第9話 利害関係
社長のアトリエを退室した私は、そのまま上の階でレッスンに参加した。
再来週の土曜日に開催される予定のクリスマスライブに向けて、今日もハードなレッスンが続く。
クリスマスライブは、事務所にとって一大イベントだ。もっとも、ライブのメインはこの事務所の看板アイドル「トゥインクル★スター」、次いで「リトル♥ウイング」であり、我らが「もえ学」こと「もえもえはぁと学園」の持ち時間は20分程度、披露する楽曲も3曲だ。
それでも当日は4~500人が集まるであろうとされており、そのような大舞台に立つ緊張感は相当なものである。
3つのアイドルグループのうち、最も多忙でかつ大きなステージに立つ「トゥインクル」は外部のスタジオでレッスンを行うことが多いようだが、「リトル」と「もえ学」は事務所のレッスンスタジオを共同で使う。
どちらのグループも高校生メンバーがおり、必然的にレッスンは夕方に競合するので、特に出演時間の少ない「もえ学」は割り当てられているレッスン時間も少なく、その分、1回1回のレッスンが貴重である。
「
午後9時。レッスンが終わって更衣室に戻ると、私はその場に倒れ込んだ。
「うーん、だいじょばない……」
生理2日目の鈍痛と倦怠感、そして吐き気を催す中での、ハードなレッスン。若干(?)マゾヒズムな傾向を持つ私であっても、肉体疲労には抗えない。
そんな桜ちゃんが心配してスポドリを差し出してくれる。
「ありがと~」
そう言って私はボトルを受け取ったが、飲む気力すらなかった。
それでも何とか起き上がり、着替えを済ませて下の階の事務所に降りると、事務所には土屋マネがいた。
「お疲れ様です~」
「お先に失礼します~」
私たちがいつも通り土屋マネに声を掛けると、さすがの土屋マネも心配そうに私を見遣った。
「萌音、今日、車で送っていくか?」
「え、いいんですか? なんてありがたい!」
そう言いつつ、私は土屋マネが何故、私を送迎してくれようとしているのかは容易に想像がついた。
恐らくメインは、先ほど社長から聞いた柿Pの話だろう。
もっとも、レッスン+生理2日目でHPがほとんど残っていない私にとってはまさに「渡りに船」であり、且つそのような状況であったからこそ桜ちゃんにも怪しまれずに土屋マネのお誘いに乗ることが出来た。
「良かったね、萌音ちゃん。今日はしんどかったもんね」
「うん、ホント助かる~」
「すみません、今日は体調悪かったんで、ホント助かります」
土屋マネの車に乗るなり、私はお礼を述べた。
「なぁに、良いってことよ」
車が駐車場を出て一般道を走り始めると、早速土屋マネは本題に入る。
「今日、社長から柿崎さんの件、聞いたんだろ?」
「はい、伺いました」
「それでね、早速5日木曜日に柿崎さんとお会いすることになったよ」
「早っ!」
5日と言えば、明後日だ。
「まぁ、こういう話は動き出したら早いよ。逆にモタモタしてたら、他にとられちゃうからね」
私は流れゆく車窓を眺めながら、先ほど社長が言った「チャンスはピンチ」という言葉を思い出した。
――正直、「今じゃない」って思う。
私は今、抱えているものが多すぎる。アイドルとしては再来週のクリスマスライブ。女子高生としては来週の期末テスト。そして個人的には、
色んな事が一気に襲い掛かっているこの時期に、追い打ちをかけるように柿崎さんのお話だ。
どれか一つでもしんどいのに、それが一気に重なる日にとどめを刺す生理痛。鈍痛と倦怠感で、吐きそうだ。
しかし、そんな体調も最悪な中でも、滅多にない土屋マネと二人になる機会なので、話したいことも色々あった。
「社長から聞いてると思いますが、私、柿崎さんの『宿題』すっぽかしてたんですよ」
「あぁ、聞いたよ」
「でも、まずはそれよりも、柿崎さんが何のために私に会いたいとおっしゃっているかを考えないとですよね」
ため息交じりに私が呟くと、土屋マネはフッと小さく笑った。
「あれ? そうじゃなくて?」
私が不安になり聞き返すと、土屋マネは言った。
「あぁ、ごめん、ごめん。否定するつもりじゃなくてね。さっき社長とも話してたんだけど、萌音ってホント、頭いいよなって」
「え? そうですか?」
――本当に頭いい人は、欲求にまかせて二股かけたりはしないだろう。
「それでちょっと、萌音のお母さん思い出しちゃってね」
「母ですか?」
「キミのお母さん、強烈だよな。あ、これ、誉め言葉ね」
私も思わず笑みがこぼれる。
「柿崎さんと会った夜、家に帰って私が『失敗した』って泣いてたら母が笑うんですよ。『あんたも意外と真面目にアイドルやってるんだ~』って」
「ほう、それはすごいな~」
「それから、『誰かと同じじゃ価値が無い』とか、『あんたの代わりがいるんなら、わざわざあんたを使う理由はない』とか、平気で言うんです。泣いてる娘の前で」
そんな私の話に土屋マネは、声を出して笑った後、言った。
「でもまぁ、そのお母さんの教育の果てが、今回のこれだもんな。すごいお母さんだよな」
「悔しいけど、そうなんですよね」
車はいつの間にか首都高に入り、右へ左へとカーブを繰り返しながら、夜の東京を小気味良く走り抜けていく。
「恐らく、柿崎さんにとって、夏に私に出した宿題なんてどうでもいいと思うんです。むしろ覚えてないんじゃないかくらいに」
「かもな」
「だから、まぁ、もちろん宿題の答えは用意しておくとして、目的は私をそのラジオ番組で使いたいと思うかどうかですよね」
「そうだな」
土屋マネは真剣な表情で私の話を聞いてくれる。
「私、その番組聞いたことないんで、まずはタイムフリーで聴いてみます。その上で、リスナーのニードを考えたいと思います」
「さすが、萌音だな」
「木曜日は土屋マネも一緒に行ってくれるんですよね?」
「あぁ、もちろん。でも、俺は付き添い。萌音が自分の言葉で話せないとだめだからな」
「はい。準備しておきます」
家に帰ると、母親が夕飯のおかずを暖めてくれた。
今日はスーパーのお惣菜がメイン。ただでさえ家事をしたがらない母は、忙しくなると基本的にスーパーのお惣菜オンリーとなる。
「仕事、忙しいの?」
「季節外れの学会があってね。抄録の原稿書かなきゃいけないのよ」
「締め切りは?」
「木曜日」
――明後日か。その割には、今日は家で仕事をしていた形跡がない。
「間に合うの?」
「多分ムリ」
母はレンジから取り出したお惣菜をテーブルの上に並べながら、全く焦っていない様子でそう言う。
「いいの?」
「どうせ1週間くらい締め切り延びるから」
「何それ!? 大人の世界って、意外と勝手だよね。学校の宿題は締め切り延ばしてくれないのに」
そんな悪態をつく私を、母は鼻で笑う。
「世の中、『利害』が全てよ」
「利害?」
「学会は演題が集まらなきゃ成り立たないから、締め切りを延ばす。学校はあんたが宿題を出さなくても痛くも痒くもないから、締め切りを延ばさない」
私は妙に納得した。
お互いの「利害」。
仕事はもちろん、陸斗とのことも、理央とのことも、その一言で全て説明がつく気がした。
「社会に出れば、嫌でもステークホルダーの事を意識して動かざるを得なくなるものよ」
そう言って母は缶ビール片手に私の向かいに座った。
私は出された食事を食べながら続ける。
「夏にさ、駅前のデパートの蕎麦屋で有名なプロデューサーさんと食事したって話したじゃん」
「あぁ、そんなこともあったね。あんたがコテンパンにやられたやつ」
「言い方! でさ、そのプロデューサーさんから今日、ラジオパーソナリティーの話が来たんだよね」
私がそう言うと、母は軽く目を見開いた。
「なに、その面白そうな話!」
その表情は決して娘の活躍を期待するものではなく、ビジネスライクな興味であることは分かった。
だから、私もそのテイストで話そうと思った。
――意外とこの人から、成功のヒントをもらえるかもしれない。
私は今考えていることを、まずは母に話してみることにした。
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