鏡の中の他人
晴れた日曜日の午後、由美は古びたアンティークショップで見つけた一枚の鏡に心を奪われた。その鏡は、昔から家にあったような、重厚で大きなフレームに囲まれたもので、表面には細かな傷がいくつかあったが、どこか不思議な魅力を放っていた。
「これは、ちょっと面白いですね。」由美は店主に声をかけると、店主はにっこりと笑って答えた。
「その鏡は特別なものですよ。見る角度によって、見えるものが変わるんです。」
由美は興味を持ったが、店主の言葉が不気味に響いた。しかし、価格も手頃で、試しに買ってみることに決めた。
家に帰り、鏡をリビングの壁に掛けた。少し歪んだ反射が、部屋の中に不安定な空気を生み出していたが、由美はそれほど気に留めなかった。数日が過ぎ、特に問題はなかったが、ある晩、由美が鏡の前を通りかかると、ふとその中に何か違和感を感じた。
鏡の中では、いつも通り自分の姿が映っていた。しかし、よく見ると、鏡の中の自分の顔がどこか不自然に見えた。まるで誰かが自分をじっと見つめているような、強い視線を感じたのだ。
「ただの疲れか…」由美は自分に言い聞かせ、その場を離れた。しかし、気になって何度も鏡を覗き込んでしまう。
次第に、鏡の中の自分は少しずつ変わり始めた。最初は表情が変わり、微笑んでいるように見えた。しかし、それは由美の笑顔ではない。まったく見覚えのない、冷たく、計算された微笑みだった。
「なんだか気持ち悪い…」由美は鏡から目を離し、思わず背後を振り返る。だが、何もない。
その晩、寝室で寝ていると、ふと目が覚めた。時計を見ると夜の2時。何か気配を感じ、目を開けると、ふとリビングの鏡が目に入った。
それはまるで自分を呼ぶかのように、輝いていた。由美は、無意識に立ち上がり、鏡の前に歩いていった。
鏡を覗き込んだ瞬間、そこには「自分」とは違う、まったく見知らぬ女性の顔が映っていた。年齢や髪型は、由美とよく似ているが、目が異常に大きく、微笑んでいるその顔は、まるで彼女を嘲笑っているかのようだった。
「お前も、私と同じになる。」その女性は鏡越しに、はっきりとそう言った。
由美は怖くなり、鏡からすぐに離れようとしたが、足がすくんで動けなかった。鏡の中の女性は、ゆっくりと由美に手を伸ばしてきた。その手がガラスを突き抜けると、由美は驚愕し、その場で叫び声をあげた。
その時、鏡が一瞬ひび割れ、そして静寂が訪れた。恐怖に震えながら、由美は鏡を床に叩きつけ、壊してしまった。
その翌日、由美はもう一度、店主のもとを訪れた。店主は微笑みながら、言った。
「その鏡は、持ち主の精神が乱れると、映し出す姿が変わるんです。あなたは、その鏡と少し長く接触してしまったようですね。」
由美は答えた。「でも、鏡の中には…」
店主は首を振り、静かに言った。「鏡の中に映るのは、必ずしも自分の姿とは限らないんです。」
その日以来、由美の家には新しい鏡は置かれなかった。そして、彼女が偶然目にしたもの、それが何であれ、二度と彼女の前に現れることはなかった。
しかし、由美が鏡を壊してしまったその後から、時折、彼女は鏡の前で、ほんの一瞬、見知らぬ女性の顔を思い出すことがあった。鏡を見るたびに、どこかでその顔が微笑んでいるような気がしてならなかった。
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