すべては、転生ボーナスのために――。

 いつか読んだその本には、イセカイのことが書かれていた。


 片手で回すと水が無限に湧き出る仕掛け。


 食べきれないほど多種多様な食品が並べられた市場。


 個性あふれる様々な布によって織られた衣服。


 夏は涼しく、冬は暖かく保つことのできる室内の機械。


 その国では、火を起こす魔法よりもっと精密に誰でも簡単に温度調整ができたし、毎日、井戸から水を汲む必要もない。食べるものすら好みによって選ぶことができ、衣服は皆、違うものを纏っていてきらびやか。


 何より、死が身近になかった。


 制御不能なモンスターが襲ってくることなどなく、他種族との止まない戦いもない。


「いいなあ、イセカイ――」


 父は、モンスターの討伐隊に選ばれ、命を落とした。イセカイにはこの国の住民すべてが望む――モンスターに侵されることのない、平和な日常がある。


「転生ボーナス、欲しいなあ……」


 最近の流行はイセカイ転生と言うやつで、逆にこちらの世界をイセカイと呼ぶことが多い。とある国で亡くなった人たちがこの国に来て、前世の知識を使って人々の役に立つというような内容だ。


 そのイセカイ転生にも様々な形があるわけだが、例えば、神の手違いにより死んでしまった場合などには、超常の力が与えられることがある。これを転生ボーナスと呼ぶ。


 つまり。


「あーあ、ある日突然、スーパーすごい力みたいなのに目覚めないかな。実は、前世ではイセカイ人でしたーみたいな。イセカイの知識で無双!みたいな」


 ということだ。


 父が生きてさえいれば――というほど、生活には困窮していないし、家族は仲良くやっている。


 だが、父が亡くなったことにより、「ちゃんと訓練しなさい!」と毎日のように、母から言われ、辟易としていた。


「そりゃ、お父さんが亡くなったときはかなり衝撃を受けたし、生き延びるために、ってのは分かるんだけどさあ。人間、目の前の利益のためには頑張れても、いつあるとも知れない未来の自分のためには、なかなか頑張れないものなんだよ……」


(モンスターを駆逐してやる……!というよりは、モンスターと戦いたくない、会いたくないって恐怖の方が強いんだよなあ。情けないけど。)


「まあでも、やりますか。死にたくないし」


 亡くなった父のために――という理由だけで気高く強い志を持つことはできなかったが、愚痴をこぼしながらも、日々、励んでいた。


 そんなある日。


「前世の記憶を、思い出してしまった……」


 ひそかに望んでいた、イセカイ転生というやつは、すでにこの身に起こっていたのだ。


(前世では日本人だったのか……。いや待てよ。)


「日本が嫌になって、泳いでヨーロッパに行こうとして死んだ、のか……?」


(そうだ……。ヨーロッパに行きたかったんだ。でも、お金がなかった……。海を泳いでヨーロッパ旅行――もとい、ヨーロッパで人生をやり直そうとして死んだ。うん、自業自得だな。アホか。)


「そもそも、英語が分からないのに、ヨーロッパなんて行ったって、飢え死にするだけじゃないか……」


 少しずつ思い出される前世の記憶。節水が叫ばれても水は無限にあるものだと勘違いしていた。衣服は正直、種類がありすぎて違いが分からなかったし、着れればなんでもよかった。


 空調設備は最高だったが、あまり温度を極端にすると電気代がかかるからと、母親に設定温度を上げられたあの夏の日――。


 それに、スーパー。スーパーの食べ物は、自由に食べられるわけじゃない。食品ロスだって騒がれていた。世界中が協力すれば貧困はなくなるというのに、そうしようとする人はいなかった。


「って、そんなことはいいんだよ。金だ金。労働だよ!日本にはあのクソみたいな労働があったじゃないか!」


 休日の呼び出し。真夜中のクレーム対応。サービス残業。使えない有給。


「前世の知識で無双……って言っても、そもそも役に立つような知識なんて身につけていない……!なんかよく分からないラノベ知識しかないぞ。剣を持ったまま転んで自分に刺さることが結構あるとか――。しかも、日本では珍しかったそれらも、この世界では常識だ……!」


(前世で身につけたのが、この世界の常識だけ……だと……。)


「食事は……日本の方が美味かった。だが、マヨネーズの作り方すら知らない……。味は知っていても、何もできない……!あ、ああ、あああ……ピザが、ピザが食べたい……!」


(それも、耳までパリッパリのクリスピーピザが……!)


「待てよ。なんか、転生するときに神様と約束したな……」


 思い出される転生時の記憶――。


『モンスターを壊滅させるのがそなたの使命じゃ。ブラック企業で養われたその精神力で無双するのじゃ。もし、モンスターに負けて死んだ暁には――再度、日本へと転生させる』


『て、転生ボーナスとか、な、ないんですか……?』


『前世で積んだ経験値をもとに解放されたスキルを、次の世界で扱えるようになるシステムのことかの』


『ま、まさか……』


『うむ。経験値が足りぬから、一つもスキルを獲得できぬ』


「ぬわああああっ!?!?……めちゃくちゃ訓練しよ!万が一、日本に転生することになったとき、なんの特典もないとか、絶対無理だし!それに日本より今の暮らしの方が断然、マシだ!死にたくないし!モンスター、壊滅させるぞー!」


 誰よりも気合に満ち溢れ、誰よりもモンスターを倒し、そして誰よりも、速く逃げた。部下たちには前世の苦労を思い出して優しく接し、転生時のことを考えて時には厳しく引き締めた。


 少し頭のおかしい、いい人として尊敬され――ついには、死にたくないという理由だけで、モンスターの壊滅を成し遂げた。

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