第11話「ぬくもり」

 青空にあった黒点が大きさを増して、視界いっぱいに広がるまで、時間はそう掛からなかった。


 ふわりと大きく風が吹いて、黒竜は草原に舞い降りた。


「……ルクレツィア。この子はジリオラの後継者、子竜守のウェンディだ。アスカロンの世話も、これから彼女にも任されるそうだ」


 先ほど団長はルクレツィアを見て私がどう思うかと心配していたけれど、私は彼女を見て、恐怖することはなかった。


 姿があまりに美しすぎて怖いという畏怖の念ならば、確かに感じていたかもしれない。なんて、美しい……彼女が雌竜だから、余計にそう思えてしまうのかもしれない。


 ルクレツィアは驚くほどに美しい造形の竜で、名工が長い時間を掛けて造った彫刻のようだった。特に黒の中に銀の粉が走る鱗はとても綺麗で、数多の光がきらめく星空を思い起こさせた。


 色の濃さが彼女の力の強さを示すと言うのなら、とても強い竜なのだろう。神竜と呼ばれている竜なのだから、それは当然のことかもしれないけれど。


「ああ……ウェンディ。ルクレツィアは、君は守らなければならない存在だと言っていて……」


「えっ……団長。竜が何を言っているか、わかるんですか!?」


 私は当たり前のように、竜ルクレツィアの言葉を伝える団長に驚いてしまった。私には何も聞こえなかったのに、団長には聞こえる声があるということ?


 驚いた私に驚いてしまったのか、団長も目を見張りながら頷いた。


「ああ。竜力が強いと、竜と通じ合う力も強くなる。自慢ではないが、俺は竜力だけは強いからな。ルクレツィアやアスカロンの言葉だって、聞こえてくるんだ」


「アスカロンもというと、子竜も……? すごいです。とても、羨ましいです」


 ということは、私が今世話をしている無数の子竜たちの言葉も、団長には理解することが出来るのだ。


 あの子たちのキューキューと可愛らしい鳴き声を聞くと心が和むけれど、たまに何を欲しているのかわからなくて困ってしまうことがある。


 食事を拒否した時だって、どんな味のミルクなら飲むと言葉で教えてくれれば良いのにと、思ったことは幾度もあった。


 だから、私は純粋に団長の竜力が羨ましかった。けれど、竜力は産まれた時に決まってしまうというし、私は竜の声を聞くことは出来ないのだろうけれど。


「ああ。まあ……それで、ルクレツィアは君には庇護が必要で、守らなければいけないと言っている」


 私はその言葉に驚いて、頭上にあるルクレツィアの顔を見た。彼女が私を見る黒い瞳は慈愛に満ちていて、本当に心配してくれているようだった。


 優しい……私は大丈夫なのに。無一文になって親に置いて行かれても、なんとか一人で生きて居るし、私より酷い状況に居る人たちなんて、いくらでも居る。


 私は安全な場所で仕事があるだけ、幸せなのだ。万が一には頼れる人だって居る。だから、今の状況を不満に思うなんて、贅沢なことだと自分でもわかっていた。


 私はとても、恵まれている。それなのに、弱音を吐いてしまうなんて、良くないことだ。


 けれど、心配してくれたルクレツィアの想いは嬉しく、彼女に向かってお礼を言った。


「ルクレツィア……ありがとう」


 その時、竜ルクレツィアは大きな羽根をはためかせたので、私はびっくりして団長を見た。


 なっ……何? いきなりだったから、何か言ってはいけないことを言ってしまったのかもしれない。


「ウェンディ。君においでと言ってる」


 団長の表情は、いつになく優しい。自分の竜ルクレツィアを、とても大事に思っているのだろうと思う。


「あっ……え?」


 ようやく彼の言葉の意味を理解した私は、どうしようと戸惑ってしまった。だって、竜力がある者は竜に触れられるとは言っても、成竜になれば自分の竜騎士くらいにしか触れさせないと聞いていたからだ。


「大丈夫。君には……ああ。安心して欲しいらしい。触ってあげてくれ」


 私は恐る恐る近付き、羽根を上げた前足あたりを触った。


「ありがとう……ルクレツィア」


 その時、ふんわりと大きな翼膜が私をくるりと覆い、ルクレツィアが私の全身を抱きしめてくれたのだと思った。


 ああ。温かい……そして、とても優しい抱擁で、安心出来る。ただそれだけだけど、私のことを心配してくれていると思えた。


 不思議だった。


 たった一人になってしまってから、私が眠る時は、仕事に疲れて泥のように眠っているだけだ。


 こんな風に安心を感じていた夜があった事、失ったのはほんの少し前だというのに、私はすっかり忘れてしまっていた。



◇◆◇



 パッと目を覚ませばルクレツィアはくるりと私を取り巻くようにして、身体を丸めていた。近くに団長が横になっているのに気がつき、私は慌てて立ち上がった。


「あ。私……眠ってしまって……申し訳ありません」


 あまりにもルクレツィアの大きな羽根の中が温かくて心地よくて、眠ってしまったようだ。高級なベッドよりも、寝心地はとても良かった。


 顔を上げた団長は私を確認してから立ち上がり、目を細めて言った。


「君が眠ってしまってから、それほど時間は経っていない。決まりとは言え息子のアスカロンに会えず、ルクレツィアも、このところ寂しい思いをしている。君からはあの子の匂いがしていて、とても心地が良いと言っていた」


 くるりと丸まっていたルクレツィアは、体勢を立て直し、頭を伸ばして団長に首を撫でてもらい甘えていた。


「ですが、仕事中に眠ってしまい、申し訳ありません」


 子竜たちを世話する私には、いくらでもやらなければいけない仕事が残っている。だというのに、仕事中に眠ってしまうなんて……言い訳の利かない失態を犯してしまった。


「いや。良いんだ。新人の時は、仕事が大変だろう。慣れない場所に居ることだって、精神的にきついはずだ。君はよく頑張っていると思う」


 それは、団長は物慣れぬ新人の部下に対し、ただ、労いの言葉を掛けてくれただけだ。


 ……だと言うのに、私は嬉し過ぎて、涙をこぼしてしまうところだった。


「ありがとうございます……そろそろ戻らなければいけないので、失礼します!」


 私はスカートを持って団長へ礼をすると、慌てて身を翻して竜舎への道を走り出した。


 ……危ない。団長の前で泣いてしまうところだった。


 あの人は自分の部下が、良くやっていると褒めてくれただけ。そもそも、私のことはよく思っていないもの。


 いい加減、泣くことを止めなければ。だって、泣いていてもお金は稼げないもの。団長には雇って貰えただけで本当に感謝していて、忙しそうなあの人から同情されたいなんて、とても思えない。


 一人で生きていくことに、早く慣れないと。親も居なくて持参金のない貴族令嬢の私のことなんて、誰も守ってくれないもの。


 ……私はもうここに、アレイスター竜騎士団に留まり続けることしか出来ない。


 そうするしかない。わかっている。扱いづらい自分の立場なんて、胸が痛くなるくらいに知っている。


 進むことも戻ることも、何も出来ずに、私はここで生きていくしかないの。


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