恋多き子爵様からプロポーズの練習台に指名されました。

ちはやれいめい

第1話

「あぁ、美しい人。ぼくの人生は貴女がいなければ水をもらえない花のように枯れてしまうでしょう。どうかぼくの妻になって、ぼくの人生に愛という水を与えてください」

「却下です」

「そんなぁ……」


 私はメリル。本日をもって十七才になりました。

 本の輸入輸出を得意とする豪商、グラスナー子爵家で働くしがないメイドです。

 祖母の代からグラスナー家使用人としてお世話になっております。


 私の前でくずおれているのは、次期当主マティアス・グラスナー様。

 金髪碧眼、役者のような美貌、程よく引き締まった身体は百八十の高身長。その見た目から、町を歩けば女性たちが振り返るような御方です。


 この国では十七才から成人とみなされ、結婚が可能となります。

 マティアス様は御年二十七になりますのに、正妻がおりません。

 貴族のお嬢様とお付き合いしても、ゴメンナサイの日々のようです。


 絨毯に膝をついたまま、マティアス様は大げさに両手を広げます。

 

「なぜだいメリル。女性は誰しも美しいと言われると喜ぶだろう」

「恋愛小説からまるごと引用したセリフを言われて、心躍らせる女はいません」

「う……」


 マティアス様の本棚には、そういう・・・・娯楽文学が多く収められています。

 巷で少女たちに人気の、少々過激な恋物語。

 狩りに行くより読書。外を走り回るより、恋愛文学が好き。

 おかげさまでマティアス様は、恋に恋する乙女チックな男性に育ったのでした。

 仕草や言い回しは、どこかで読んだことのあるものばかり。お部屋の調度品もフリルや刺繍が施されていて、かなりの少女趣味です。



「まったく。プロポーズの練習をしたいと言い出したのはマティアス様なのですよ。本から引用したセリフで求婚するなんて、御相手おあいてに失礼です。私、お洗濯の最中だったので仕事に戻りますね」

「あぁーー、待って待って。行かないでおくれよメリル。今すぐ考え直すからー!」


 背中にマティアス様の情けない悲鳴が届きました。



 ──そう、これは私に対するプロポーズではなく、練習です。

 想い人にプロポーズするのに勇気が出ないから、告白の練習をしたい、付き合ってくれと懇願されて今に至ります。


 練習台でもなければ、一介のメイドがマティアス様から告白されるはずもない。


 

 マティアス様がプロポーズする相手が、いずれ私の仕える相手になる。

 夫人を迎えられるのでしたら、心の底から、私では敵わないと思うような完璧なお嬢様を選んでほしいものです。


 すすぎと脱水の終わったシーツをかごから取り出し、他のメイドたちと協力して広げて干す。

 うん、今日は天気がいいからよく乾きそうです。


「メリル、洗濯が終わったなら厨房を手伝ってくれないか。一人休んじまって手が足りないんだ」

「はい、もちろんです」


 厨房から声がかかり、メイド長の許可も出たので手伝いに行きます。



 厨房の勝手口、庭に面した所に料理人見習いのペーターがいました。

 洗ったばかりの芋が山盛りのカゴを置きます。


「メリルもこれ剥いてくれ」

「任されました」


 ペーターは私と同い年。赤毛で緑の瞳、そばかすがチャームポイントの青年です。

 言葉はぶっきらぼうですが仕事の腕は確か。

 ともにグラスナー家の下支えをするに不足ない人だと思います。


 並んで座り、芋を手に取ったペーターが提案してきました。


「なあメリル、どっちが綺麗に早く剥けるか競争しないか? 負けたら勝った方の言うこと何でもひとつだけ聞くんだ」

「何を言っているんです。私があなたに敵うわけないじゃないですか、ペーター」


 毎日毎食野菜の皮剥きをしているペーターと、仕事の合間に手伝いに来る程度の私。

 経験値の差が大きすぎて勝負になりません。


「こういうのは誰かと切磋琢磨することで技術が磨かれるんだよ」

「わかりました」


 ペーターの料理人としての腕が上がり、美味しい料理がいち早くご主人様方の食卓に登るなら、勝負に乗る価値はあるかもしれません。

 同時に芋を手に取り、ナイフを添えたところで勝負開始……と思ったら。


「先に言っとくぞ。お、俺が勝ったら、メリルは俺の恋人になれ」

「……恋人、ですか」


 どうしましょう。

 愛の告白というものを、初めて受けました。

 しかも、勝負に勝ったら付き合ってくれなんて不器用で素敵なやり方で。


『これを言ってくれたのがマティアス様だったら』、なんて一瞬でも思ってしまった。

 私は、ひどい女です。


 告白してくれたのに他の人のことを考えて。

 マティアス様に『本のセリフをそのまま使うのは相手に失礼』なんて偉そうに言っておきながら、私だって至らない人間です。


 わかっているんです。

 同じ身分の人間の方が釣り合うのだと。

 マティアス様と同じ本を読んだくらいでは、同じところに立てないのです。



 私はペーターに答えます。


「わかりました。受けて立ちましょう」

「言っとくけど、わざと負けたりなんてしたら許さないからな」

「……なら、私が勝ったら本屋まで付き合ってください。欲しい本があるのです」

「なんだ、欲がないなメリルは。それくらいなら勝負なんてしなくてもいつでも付き合ってやるのに」 

 

 自分でもバカげたことをしていると思います。

 

 マティアス様の好む娯楽文学しか読んでこなかったから、新しく一冊買うのなら、

“実らない恋の終わらせ方”が書かれている本を買いましょう。


 いざ勝負開始というタイミングで、思わぬ横やりが入りました。


「その勝負、待った!」

「は……?」


 割り込んできたのは、マティアス様でした。

 大げさに肩をすくめるしぐさは、恋愛本の読み過ぎがたたって芝居じみてみえます。


「ひどいじゃないかメリル。ぼくが頼んだ仕事はまだ途中なんだから、他の仕事を請けてはいけないよ」

「マティアス様。メイドは屋敷にたくさんおります。私以外の者でも問題ないのではないですか」

「おおいに問題あるから。メリルじゃなきゃだめ」



 本から持ってきたセリフしか言わないのでは、練習台になる意味を感じないんですよ。声には出しません。


「芋の皮むきなら、ペーターにやらせておいても問題はない。ぼくの頼んだ仕事を終えるまでは他の仕事を禁止する」

「無茶苦茶です」


 困ってペーターに助けを求めようとして、ペーターの目が「主の機嫌を損ねたらたいへんだからさっさと行け」と言っています。


「わかりました。メリルはどこへなりとも、おともします」


 きちんと手伝いをできなかったこと、マティアス様の言う仕事・・が終わったあとできちんと謝りましょう。



 再びマティアス様の部屋に戻りました。

 扉を閉めるなり、マティアス様は声を荒らげます。


「なんで良いって言ってないのに途中で行っちゃったのさ!」

「本のセリフしか出てこないようでしたので」

「しかもよりによってペーターと付き合うだって!? 付き合う相手はちゃんと選びなさい! 間違っても浮気をするような男はだめだ」


 マティアス様が、子どもみたいなやつあたりをしだしました。さらに過保護なお父さんのようなことも言い出しました。

 なんなんでしょう。


「ペーターと付き合う? 私が?」

「余計なお世話なのは重々承知しているが、結婚するにしても、ペーターはまだ見習いじゃないか。メリルにはもっと釣り合う相手がいるんじゃないか」

「マティアス様? 聞いてます?」


 もしかして、本屋まで買い物に行くのに“付き合って”と頼んだあれを中途半端に聞いたのでしょうか。

 盗み聞きなど紳士にあるまじき行為です。


「なんでだ。メリルが好きな本を読破して話を合わせられるように王子のセリフも暗記したのに!」


 頭を抱えてうんうん唸るマティアス様、はたから見るととても怪し……いえ、珍妙です。


 社交界の花と呼ばれる容姿ですのに、性格はこうなのでついたあだ名が残念子爵。

「女々しい男は恋愛対象外」なんて言われてばかりだと、ご当主様と奥様が嘆いておられます。 


「メリル」

「はい?」


 色々と意味のわからないことを口走ったあと、マティアス様は私に向き直りました。


「令嬢たちの言う男らしい殿方というのは、小説に出てくるような強い騎士をさすのか? メリルもそういう方が好みか?」

「人によるとしか言いようがないです。私、あんまり筋肉たくさんの方は威圧感が強くて、苦手です」

「そ、そうか。なら良かった」


 ほっと胸をなでおろすマティアス様。

 筋肉的な男らしさが足りない自覚はお有りのようです。


「無理をして御相手の好む男性像になろうとするよりは、ありのままのマティアス様の気持ちをお伝えするほうが良いと思います。今のマティアス様にも良いところはたくさんありますよ」

「例えば?」

「ええと……………」


 どこがどう良いのか説明しろと言われると、困ります。


「うっうっ。下手な慰めはよしてくれ。メリルもぼくのことを女々しい乙女趣味のヘタレって思っているんだろう」

「私が何も言っていないのに、勝手に落ち込まないでください」


 膝を抱え込むマティアス様をフォローします。どちらが年上なのかわからないやりとり。出会った頃から変わりません。





 初めてマティアス様とお会いしたのは、私が七歳のとき。母に連れられてこの屋敷にきました。

 十歳になったらここで働くから、使用人たちの顔と名前、部屋の場所や使用人の勝手口などを覚えておきなさい、という。


 メイド長の案内で屋敷の中を見て回り、書庫に惚れ込みました。

 私の家にはほとんど本がなかったので、天井までの高さがある棚にぎっしり本がつまっている光景は宝の山に見えました。

 ご当主様が好きに読んでかまわないと仰ったので、目線の高さにある本を一冊抜いて広げます。


 それは庶民の少女が貴族の青年と恋に落ちる、恋愛文学でした。

 好きだと伝えたいけれど身分の違いがそれを許さない。なんて切ないのでしょうか。子どもの私でも引き込まれました。

 

 そのまま書庫の床に座って読みふけり、気がついたら夕方でした。

 一緒にいたはずのメイド長はいなくなっていて、かわりに背の高いお兄さんがいました。

 しゃがんで私と目線を合わせ、聞いてきます。


「ねえ。かなり熱中しているけど、その本、そんなに面白い?」

「はい。初めて読みましたが、とてもステキです」

「ふーん。本なんて重いしかさ張るし邪魔なだけだと思うけど」

「……本、きらいですか?」

「だいきらい。父親が書物の商人だからって理由で、ぼくの気持ちを無視して継がされるのが本当に嫌」


 お兄さんはそんなことを、すごくつまらなそうに言います。


「キミもさー。ばあさんと母親がここで働いているからってだけの理由で、同じように働かされるの嫌でしょ」

「ええぇ……」


 同意を求められているような気がします。

 そんな話をしていると、メイド長が戻ってきました。私の前にいるお兄さんを見てホッと息を吐きます。


「マティアス様、ここにおられたのですね」

「親父に、今日だけは家にいろって言われたからねー」


 どうやらこの家の方のようです。

 メイド長は私に向き直ると、お兄さんを手で示します。


「メリル、ちょうどよかったわ。マティアス・グラスナー様。あなたがここで働くようになったらお仕えする方です。ご挨拶なさい」

「いえ、必要ありません」

「は!?」


 メイド長だけでなく、マティアス様までが声を裏返らせました。


「何を言っているのです、メリル」

「メイド長。私、この方に言われました。親がメイドだからあとを継ぐのは違うと。なので私はここで働かないことにしました。この家のメイドにならないので挨拶もしません」

「ちょちょ!! 待って待って。なんでそうなるかなー。ぼく、うちで働くなって意味で言ったわけじゃない」

 

 マティアス様が私にすがってきます。私より年上なのに、なんと情けないお姿でしょう……。


「本なんかダイキライと言う人があとを継いで、どんな顔をして本を売るのですか。嫌々やっているなんてお客様にすぐわかります。そうしたらボツラクするだけだと思うのです。メイドになるなら他の貴族のお屋敷を探します」

「うぅ、やめてくれ。キミの発言は正論過ぎてぼくの心が痛む」


 床に両手をついて、打ちひしがれるマティアス様。


「ほんとうのことを言っただけなのに、なぜ落ち込んでいるのですか?」

「メリル、世の中には言っていいことと言わないほうがいいことがあるんですよ。マティアス様はおだてて持ち上げないとすぐこうなるのです」

「そうなんですね」


 大きい口をたたく割に、たいへん打たれ弱いお方なのだと教わりました。


 その日はそれで帰ったのですが、翌日、マティアス様が家に来ました。

 ひと目で貴族とわかる上質な服に身を包んでおられるので、田舎町に不釣り合いすぎます。


「メリル。ぼくが悪かった。謝るからうちで働かないなんて言わないでくれ」

「なぜ謝るのですか? あなたは“子が親の仕事を継ぐのはおかしい”と、言っただけでしょう」

「あのあと親父に二時間説教された。あとを継ぎたくないからといって、なんでも飲み込む子ども相手に不用意なこと吹き込むなと」


 マティアス様がご当主様に怒られている姿を想像したら、かっこ悪さが倍増しました。


「ぼくにそこまではっきり言ってくれる人は他にいないから、根性叩き直すために、何がなんでもメリルをうちで雇うって親父が言っているんだ。だからうちに来てくれ。キミが必要なんだ」

「そこまでおっしゃるのでしたら」


 ほかの働き先を決めるにしても三年後の予定だったので、ご指名を受け入れることにしました。




 三年後。グラスナー家のメイドになりました。

 仕事終わりに書庫の本を借りて読むのが日課です。本は読むためにあるのだから好きに読んでいいと、ご当主様が仰ったのです。


 お客様から見えない屋敷の裏手に、使用人用の勝手口があります。そこが私の指定席。

 晴れた日は椅子をおいて、木漏れ日を浴びながら本を読むのです。

 なぜかマティアス様が私の隣に椅子を持ってきて、本を開きます。


「マティアス様、表の庭に東屋ガセボがありますでしょう。そちらのほうがテーブルもありますし、読書するのに良いのではないですか」

「ぼくは屋敷の主になるのだから、屋敷のどこで本を読んでもかまわないだろう。メリルが楽しそうに読んでいるから、ぼくも一冊くらい読んでみようと思ったんだ。あ、外は冷えるだろ。これあげるから使って」


 毛糸のひざ掛けをいただきました。

 紅茶とスコーンの入ったバスケットを持参する徹底ぶり。はなから東屋に行くつもりはなかったようです。


「ぼく一人じゃ食べ切れないから手伝ってよ、メリル」

「わかりました」


 ティーカップと茶菓子が二人分入っていたので、食べ切れないなんて口実で、もとから私と二人でお茶をするつもりだったのがわかりました。

 素直じゃないお人です。


 幼い頃はずっと一人で本を読んでいたから、こうして誰かとお茶をしながらの読書は初めてです。

 好きなことを共有できる人がいてくれるのは、とても楽しい。


 あんなに本が嫌いだと言っていたのに、マティアス様は二日に一冊を読み終えるくらい本の虫になりました。

 理由はよくわかりませんが、ご当主様から『特別手当』という名目で、私の好きな本のシリーズをいただきました。




 今ならわかるのです。

 出会った頃のマティアス様は、似たような立場の私に同意してほしかった。将来の仕事を自分の意思で選べないのが嫌だと、分かち合いたかったのです。

 跡取りという立場上、愚痴を言う相手もいなかったから。





 そうして出会ってから十年。今に至ります。


「メリルは昔から容赦ないなあ……」

「当たり前です。言わなくても伝わるとか、察してほしいなんて思っても誰も察しませんよ。プロポーズするお相手にも、はっきり言いたいことを伝えないとだめです」

「あはは。そのようだね。小手先じゃ全然伝わってないや」


 なにか決意された表情で立ち上がると、私の両手を取りました。


 夕焼けを背にして、オレンジ色の逆光がまぶしい。出会った日を彷彿とさせます。絵画のような美しい姿に、見惚れてしまいます。


「メリル、ぼくと結婚して。これからは主従ではなく、人生のパートナーとして支えてほしい。キミじゃなきゃ駄目なんだ」


 作り物じゃない、マティアス様の心からの言葉。

 胸が熱くなります。

 もしかして、プロポーズする本人を相手に練習していたのですか。

 不器用でかっこ悪くて、情けない。

 そういうところも全部含めて、この人のことが好きなのです。


「私も、マティアス様が好きです。あなたが望んでくださるのなら、おそばにおいてください」

「ほんと? ほんとうに? やったー。ありがとう、メリル!」


 感極まったマティアス様に、痛いくらい強く抱きしめられました。耳に吐息がかかります。


「ねえメリル、キスしていい?」

「な」

「君の好きな本だと、告白のあとは口づけと夜」

「却下です!!」


 そんなことされたら心臓が持たないです。


「ぼく、キミが大人になるのをずっと待っていたんだから、それくらい許されていいと思うんだ」

「……何年待っていたんですか」



 恋愛文学のようなドラマチックな恋ではないけれど、私はとても幸せです。

 プロポーズを受け入れて、ご当主様と奥様に報告したらとても喜んでくださいました。

「やっと言ったかヘタレ」なんてお言葉をたまわり、マティアス様が半泣きでした。


 いろんな令嬢と噂が絶えなかったのは、実はかなりの誤解だったようです。

 十歳年下の子に告白するにはどうしたらいいか相談をしていた。同じ女の子ならわかるかも! という考えのもとらしいです。 


 私は今日ようやく結婚できる年齢になった。マティアス様は数年前から相談をしていたから、令嬢方からロリコン疑惑をかけられていたようです。おいたわしい。


 恋愛文学に出てくるような、かっこよくて男らしい王子様とは程遠い。

 情けなくて弱虫で、心を決めたときにはがんばる人。マティアス様とならいつまでも楽しく暮らしていけると信じています。


 

 END

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恋多き子爵様からプロポーズの練習台に指名されました。 ちはやれいめい @reimei_chihaya

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