第2話 傀儡人形/アバター
王都は今日も活気付いている。
魔界の侵攻軍との戦線が遠く離れているのもあるが、最近は勇者たちの攻勢が快勝続きと人類にとって良い知らせばかりなのだ。
つい一年前の勇者召喚まで人類の生存圏を脅かす程に苛烈な攻撃の前に劣勢であった彼等であるが、それはもう過去の話。
奪われていた領土を取り返し始め、徐々に敵を押し込んでいる。
不安に飲まれそうだった市民の心は、希望と共に来たるべき日を待ち望んでいた。
勝利と終戦。そして平和の到来。
人類の英雄たる勇者の帰還を。
そんな明るい空気に包まれている都市とは反対に、群司セイシロウと陰宮ヒナコの両名は薄暗い地下の下水道を歩いていた。
鼻が曲がりそうな臭いと疫病がありそうな汚さは、王都の浮浪者たちですら避けるほど。
だが彼等は気にする事なく進んでいく。目的地がその奥であるが故に。
そうして特定の場所へ辿り着いた二人。そこには行き止まりの壁があるだけで、他には何もない。
彼等もここに用がある訳ではない、必要なのはこの位置情報というだけ。
「ヒナコ」
「うん」
陰の勇者であるヒナコが壁の方向へ両の手を合わせる。
パンと小気味よい音が出ると、辺りの空間が歪み景色が一変する。
そこは大量の本棚に囲まれた広い図書館。カチカチと壁に設置された巨大な振り子時計。その時針を刻む音がリズム良く聞こえ、陽光がステンドグラス越しに降り注ぐ。
中央には二つの宙に浮く巨大な天球儀。側にはびっしりと文字が書かれた巨大な黒板と紙の束に埋め尽くされたテーブル、そして三つの椅子があった。
ここは『陰の世界』。ヒナコの能力で創られた亜空間。
本来なら黒一色の場所を、自分たちの過ごしやすい環境へ改造した形だ。
またこの亜空間は特別であり、特定の位置情報の場所でしか行けないように仕掛けをされている。
ヒナコと同じような亜空間に跳べる能力者がいた場合の対策。そしてここが彼等にとって最も重要な場所という証。彼等の拠点であり、作戦本部なのだ。
「おかえりなさい。お二人とも、お疲れ様です」
「ああ、ただいま」
「ただいま。ソフィアちゃん」
厚い外套を脱ぎ、汚れを落とす二人を出迎えたのは、彼等と同い年の少女にして同郷の士。
名前は阿世知ソフィア。知の力を持つ勇者である。
彼女は微笑みを浮かべながら、マグカップを三つ載せたお盆をテーブルに置く。
コーヒー豆の良い香りが彼等の鼻腔を擽った。
「どうぞ、挽き立ての珈琲です。朝食も出来ていますよ」
「助かる」
「あれ? ミルクとお砂糖は?」
「朝食と一緒に運ばせていますよ。ヒナコさんにはたっぷりと付けてあります」
「やったあ。ありがとう、ソフィアちゃん」
大人なブラックを楽しむセイシロウ。いっぱいのミルクと砂糖を待つ甘党ヒナコ。匂いを楽しみながら、ちびちび飲むソフィア。
椅子に座ってそれぞれ寛いでいると、奥の方からメイドが配膳台を押しながらやってくる。
作り物染みた美しい顔、作り物染みた完璧な体型。そして人外な真っ白な肌。まつ毛も髪も全てが白。色が付いているのは瞳だけ。
まるで着色していないかのよう。
否、それは人ではない。
知の勇者である阿世知ソフィアが製作した彼等の手足。魔力によって動き、命令された行動を完璧にこなす。
この巨大な図書館に三人だけいても管理は難しい。
だが人型ロボットが大量にいれば無問題と化す。
周囲にはあちこちに自動人形の姿があり、それぞれが単純な肉体労働へと従事していた。
疲れや病気も知らず、不平不満もない。そして与えられた作業を効率良く一定に仕上げる。工場のロボット的存在。
惜しむらくは、アイデア出しや制作者が考える働き方よりも更なる効率化をできないところ。
されどセイシロウたちの計画を大言壮語で終わらせず、実現可能な領域にまで至らす事ができた重要な道具。
それがソフィアの作りし自動人形なのだ。
テーブルの上に並んだ食事に日本人らしく、いただきますと手を合わせて朝食を取る。
珈琲にミルクと砂糖を大量にぶち込み笑顔で混ぜるヒナコを横目に、ソフィアは黙々と食べるセイシロウを見つめていた。
「お口に合いますか? セイシロウさん」
「ああ、美味い。毎日作って欲しいくらいだ」
「そ、そうですか。……ありがとうございます」
「むぅ……」
「……こほん。ところで作戦の成果について聞きたいのですが。どうでしたか?」
セイシロウからすれば質問に答えただけ。なれど変化は劇的だった。
顔を赤くして照れながらも話題を変えるソフィア。可愛らしく頬を膨らまして拗ねるジト目のヒナコ。
朝食をとっているだけなのに何ともいえない空気が漂う。
しかし、いつもの事だと思った彼は無視して答える。
「成功だ。大国の重要拠点だった要塞都市を壊滅した。これで大陸の大部分を手中に収めることができる」
「何人かの生存者は見逃してくれましたか?」
「ああ、言われた通り包囲殲滅に移行する前に逃したぞ」
「ありがとうございます。これで此方の思惑が進めやすくなりました」
目を細めながら満足そうに頷くソフィア。
彼女は気分が良くなったのか、セイシロウと同じブラックな珈琲をまた口に含む。そして苦かったのか渋面をして舌をちろりと出した。
ヒナコは激甘なコーヒー牛乳となったそれを満足そうに飲んでいると、ふと思い出したかのようにソフィアへ尋ねた。
「ソフィアちゃんの魔界での
「ええ、魔界の人々に夢と希望を見させてあげる立場ですよ。今回のカノン防衛戦は避けれた悲劇であったと現在は涙を流してますね」
「うわぁ、えげつないね」
「やっている功罪で測るなら、ヒナコさんの魔界での
「確かにそうかも」
二人の少女は仲良さそうに談笑を繰り広げる。
彼女たちが話に夢中となっている間、セイシロウは食べる手を再開し速度を早めた。
おいしい料理が冷める前に食べきりたいから。
「ごちそうさま」
「ふふっ……。はい、お粗末様でした。それで、その……セイシロウさん……。……夜の分も……私が」
彼の食い気で更に高揚したソフィア。
もはや胃袋を掴んだも同然。この機を逃さんとモジモジしながらも言葉を紡ごうとした。
だがライバルは一歩先を行く。
彼の袖を掴み、ヒナコはむくれた表情と潤んだ目でじっと相手の顔を見ながら言う。
「次は私が作るからね、セイシロウくん」
「そうか、ヒナコの料理も美味いからな。楽しみにしてる」
「……っ! うん、任せて! 美味しいものいっぱい作ってあげるから!」
「…………」
阿世知ソフィアのルンルン気分と笑顔が一瞬で凍りついたのをここに記す。
セイシロウは氷像が溶けるまで、おかわりの珈琲を飲みながら、何を食べたいか聞いてくる興奮気味なヒナコへ晩飯の献立を頼んでいた。
◇
「とりあえず、俺の魔界用の
フリーズが解け、萎びた状態となっているソフィアへ彼は頼みごとをする。
流石に重要な話だからか彼女も普段の調子に戻って対話を開始した。
「もうそろそろ必要な時期だと思っていましたが、早いですね」
「魔界の連中に勘づかれそうだからな。早めにカモフラージュを準備しておく」
「キャラクターの設定や能力配分は?」
「できている」
懐から内部まで文字が刻まれた赤い石を見せ、ソフィアは納得するように首肯した。
そのまま彼等は席を立ち、巨大な振り子時計の方へ足を運ぶ。
時計の前で手をかざせば、奥に続く隠し部屋が現れた。
これも対策の一つではあるが、それ以上に彼等の計画で必要な全ては、そこに集中させていた。
一面が真っ白な部屋。
そこにある物を羅列していく。白い棺桶、培養ポッドの形をした円柱、地面に木の根のように走る真っ黒なケーブルに繋がれた女神像、そして中央にあるのは真っ黒な天球儀。
今回、彼等の用があるのは白い棺桶。
作るのは
それは一言でまとめるなら、リアルTRPG。
制作者の設定した経歴に性格や趣味嗜好等のプロファイルを反映したプレイヤーキャラクター。
傀儡人形は自動人形とは違い構成物質が人と同じ。加えて稼働エネルギーを補給するには魔力ではなく、食事をとる必要がある。
またプレイヤーが操作している遠隔操作、キャラクターが設定された役割で動く自動操作の二種類がある。
ロールプレイには忠実で、プレイヤー側が「こんにちは」と言っても傀儡人形側にお嬢様口調を組み込んでいたら「ごきげんよう」と自動的に翻訳される。
無類のギャンブル好きを設定に入れて自動操作にしたら、遠隔操作していた時に手にした財産を、次の日には全て散財してしまう。
また好色家や戦闘好きなどを加えた状態で、遠隔操作で正反対の聖人プレイをしても、操作を受け付けず自動操作になる不具合を多発させる。
シリアルキラーな博愛主義者で、粗野な振る舞いの紳士的な人物なんて矛盾だらけを入れればまともに動作しない。
だから設定の入力は慎重かつ詳細にする必要があり、そして操作側の目的に沿う人物を作成しなければ、自動操作している間にこちら側の情報を漏らして不利になる可能性がある。
故に大量生産して安易にばら撒けず、管理しやすいよう片手で数えられる位しか作っていない。
それでも傀儡人形は、そのデメリット含めて余りある利点がある。上手く扱えば他者を、組織を、国家をこちらの思惑で動かせられるのだ。
失敗して死んでも単なる人形。命のリスクが存在しない。
また能力配分を適切に注入すれば戦闘でも活躍できるし、経験を積ませて成長だって可能。
それらのメリットを考えれば、取扱いが難しくともやる価値がある。
そして群司セイシロウは複数の傀儡人形を操り、己の目的を叶えるために都合が良いポジションを獲得してきた。
皇位継承で分裂し、群雄割拠の内戦状態と化した大陸帝国。そこの第三皇女の軍事顧問を務める将軍。
西方諸国の腐敗した現状を憂う聖女。彼女を旗印にして出来た革命勢力の幹部に所属する魔術師。
魔界の侵攻軍と戦うため、同郷の友人と共に戦場の最前線へと赴く天使。
計画遂行を達成する一環として、極東の島国を
全てが群司セイシロウの
魔界のように群の傀儡で踏み潰さず、彼がこのような手段に留めているのは偏に勇者召喚を行ったのが人界であり、元の世界と似た環境がここであったというだけ。
もし魔界が地球と同じような所であったのなら、地獄と化していたのはどちらであったのか。
それは仮定でしかなく、全くもって意味のない話である。実際に地獄と化したのは魔界であるがゆえに。
だが勘違いしてはいけないのが、群の傀儡による地獄が誕生しないだけ。
傀儡人形による何某が起こらないとはならないのだ。
「そういえばセイシロウくんの魔界用の傀儡人形って初めてだね」
「作る必要がなかった。敵内部の情報をソフィアが、中継基地の防衛と拡大をヒナコが担当してくれていたおかげだ」
「ほえー、じゃあ作るのは天使ちゃんに次ぐ完全戦闘型の人形?」
「ああ、生存第一にした狙撃兵だ」
彼の製造する内訳を知り、ソフィアは顎に手を当てて思案する。
「狙撃ですか。どういった運用を想定して?」
「群の傀儡だと目的の人物を殺せない状況が多々あった。ピンポイントで確実に排除できるようにする」
「敵に優秀な指揮官がいると群勢の消耗が激しい。その抑制ですか」
「そうだ。作れる傀儡も無限じゃないし自動操作にすると共食いもする。コストを抑えられるなら、抑えておきたい」
そう言って彼は白い棺桶の蓋を開ける。
そこには白いのっぺらぼうが納棺されており、セイシロウはナイフを取り出し己の手を切った。
取り出した赤い石に血を付着させながら、それの心臓に当たる部分に押し込み始める。
肉のような弾力と感触をしながら、彼は赤い石を埋め込んだ。
そのまま蓋を閉じ、三人で棺桶を触って己の力を流し込む。
棺桶に刻まれた紋様が赤く光り輝き、熱を帯びて中から蒸気が上がる。
群司セイシロウの能力は『群を操る力』。つまりは傀儡の操作に必要な力。彼の能力があって遠隔操作できるようになる。
陰宮ヒナコの能力は『陰を操る力』。彼女の能力で人形の操作できる範囲と情報伝達できる速度を広げられる。
阿世知ソフィアの能力は『知を司る力』。彼女の能力によって傀儡人形の素体があり、それが意思と自我を持ち、役割をこなし始める。
迸る光は明滅していき、やがて収まる。
蓋が自動的に開き、中から白く細い手が縁を掴んで起き上がる。
それは少女であった。
陰宮ヒナコは、できた人形を前に顔を両手で覆って嘆く。
「ううっ……ご、ごめんね、セイシロウくん。私のせいでまた、セイシロウくんの傀儡人形が女の子になっちゃった」
「もう慣れたから気にしていない。それに女でもやることは同じだから」
ヒナコの能力。『陰を操る力』は陰陽の陰の部分のエネルギーも含まれており、彼女が素体に力を加えると必ず女の子になってしまう。
何せ彼女がほぼ力を加えなかった人形は女顔の男で収まっていたのだから。
しかし、彼女が力を多分に与えないと傀儡人形からの情報伝達スピードとが遅くなり、遠隔操作を受け付ける行動範囲が狭くなる。それは操作する側としては致命的な問題。
故にセイシロウは、本人にその気がなくともオンラインゲームにいるネカマ野郎と同類となっていた。
何度目かになるかもわからない傀儡人形問題で落ち込むヒナコを、いつもの如く優しく宥めるセイシロウ。
そんな二人を尻目にソフィアは完成した人形を、じろじろと見定めている。
くすんだ銀髪に蒼と金のオッドアイ、自動操作モード状態で裸体を見られても恥部を隠さず、表情筋が動かず、そして無口。よく観察すれば少し頬を染めているが、それでも感情が薄い。
これが群司セイシロウが魔界で動かす最適な傀儡人形なのだろうと、彼女は評価した。
「……セイシロウさん、あなたはやはり私のーー」
「……ん」
「ひゃっ!?」
唐突に少女が言葉を発したので、ソフィアは驚いて尻餅をついてしまう。
「…………ごめん、平気?」
「えっ、ええ……まあ……」
差し出された手を取りソフィアは起き上がる。
まさか声だけで可愛らしい悲鳴を上げて驚いてしまったことに、彼女は恥ずかしくなってしまった。
「ソフィア、大丈夫か? 何か傀儡人形に不具合があったか?」
「いえ、特に問題はありません。出来が良くて吃驚した位です」
「そうか」
目の前の少女は、ぼーっとセイシロウたちの方を眺めている。
マイペースな彼女の顔をヒナコは、覗き込むように見た。
「うわあ、綺麗なオッドアイ。セイシロウくん、これって何の能力?」
「金色は透視を付与した千里眼だ。魔力が視える力を強化して狙撃する。それと身体能力を最高水準にしたから、見た目よりも頑強だ」
「じゃあ魔術系は?」
「かなり強力なのから生活に役立つものまで幅広く使える。魔界でのサバイバルとゲリラ戦を想定したからな」
「……ぶい」
少女は誇らしげにピースする。
見た目よりもユニークな娘なのかもしれないと二人は思った。
彼女たちは少女に対して話しかけようとして、一番大事なことを忘れていた。
「セイシロウさん、彼女のお名前はーー」
「……セロ」
彼が答えるより先に少女ーーセロが答える。
「……私はセロ。……よろしく。ぶい」
魔界で『死神の勇者』と呼ばれた怪物が産声を上げた日であった。
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