わだつみの星、深海のアティチュード
狼子 由
第1話 Ocean Eyes
潜水艇の扉が開き、奥から姿を現した男は、ヘルメットを外した。
ヘルメットの奥に押し込められていたこげ茶の癖っ毛が、ぼさりと広がる。
男の見た目は40歳を過ぎたところか。
ルール・オーラクルムが事前に知っている情報よりは、若干上に見える気がする。
潜水服の上からでもわかる程度に体格は良い。
こげ茶の髪に、薄い緑の瞳。そり損ねた無精ひげ。
目の下の隈や肌の荒れ、伸び放題に伸ばして目元の隠れた髪が、老いの印象を強調するのかもしれない。
じろじろと観察していると、居丈高な口調で男はルールに向かって言い切った。
「お断りだ」
「はぁ」
「お前が相棒なんて認めん。荷物まとめて帰れ」
ぴしゃりとコミュニケーションを断たれたルール・オーラクルムは、一瞬動きを止めてからゆっくりと息を吐いた。
「そう簡単に帰れなんて言われても困ります。そもそも呼んだのはあなたです」
「俺の希望は三つだ。補充してほしいのは、人間で、物理的な力がある、同性の同僚」
「一つ目の条件以外は満たしています。私はあなたをサポートするためにここに来ました。疲労もなく空腹もなく、なんならあなた以上に腕力がある。十分あなたの役に立てます」
「二つ目は知らん、だが同性の件は明らかに」
「この機体に性別はありません。私の外装が少女に見えるのは、その方が警戒されずコミュニケーションを取りやすいという印象的必要性によるものですし、ヒトと同じに見えても性能は全く異なります」
説明してみせても、目の前の男は冷ややかな目でこちらを見るだけだ。
ルールは、再び頭を捻って説得の方法を探った。
思考に合わせて巡らせた視線。
たった今、男が出てきた潜水艇の向こうには、青い海が広がっている。
いや、むしろ青い海と空しかないと言うべきか。
――惑星アルゴノーツ。
間近で輝く巨大な恒星に照らされる、海原。
惑星の表面、海に浮かぶこの基地の周囲には、360度ぐるりと見渡しても海水と陽光以外に存在しない。
人類は、かつて資源を掘りつくし、母星を見限った。
そんな彼らが必死で探し当てた
もちろん、全土が海水に覆われたこの状態では、人類が大挙して移住することは不可能だ。せいぜい資源採取のために滞在する者がいるくらいか。
その唯一の滞在者は、今、ルールの目の前で腕を組んで立っている。
コウ・アマガイ。男性、37歳、独身。身長193cm、体重82kg。
年1回義務付けられている健康診断のデータの後に、経歴が続く。
全宇宙動力素回収協会へ15年前に入会。以降、惑星アルゴノーツで超深海域である
ルールは、これらの情報をいちどきに思い出したのち、最終的に、自分をここに置くしかない理由を直接的に伝えることとした。
「では改めて言いますが、私の配属を決めたのは本部の総合人材活用部。あなたに着任を拒否する権限はない。どうしてもと言うなら、自分で本部に文句を言ってください」
鼻で笑ってみせる。
つまり、強硬手段に移行しようと考えたのだった。
あからさまに権力を嵩に着て見せ、挑発に乗った相手が飛び掛かってでも来たら、よし。腕を捻り上げ、こちらの力を誇示すれば、一定の説得力もあるだろう。
が、拍子抜けなことに、コウはそういった暴力には訴えようとしなかった。
どうやら先の説明――この機体に性別はないというルールの主張――を、信じていないらしい。
ルールが見た目通りの少女だとしても、いや、むしろ見た目通りだからこそ、男の体格を有利に使えばおとなしくなると考えてもおかしくないところだが。
「よろしいのですか、手を上げなくて」
「機械と喧嘩する趣味はない」
「意外にも紳士ということですか……私にとっては残念なニュースですが」
「知るか。俺はお前を相棒とは認めない。今すぐ帰るか、帰らないならこの基地でおとなしくしていろ」
コウは吸っていた煙草を投げ捨て、そのまま背を向けて去っていこうとする。
仕方なく、ルールはその肩を掴んで止めた。
意外な動きに驚いてか、体躯からは想像できない膂力に怯えたか、さすがにコウも足を止める。
「あ?」
不機嫌そうなコウの声をよそに、落ちていた吸殻をつま先で器用に蹴り上げ、空中で掴んだ。滑らかな動作で、口に咥える。
見開かれたコウの目の前で、煙のくゆる唇が、これまでの態度を捨てて本音を吐き出す。
「よくわかった。なるほど君は面倒な奴だな。聞く耳はない癖に、妙なところで常識的。あげ足を取ろうにも取る足がなくて手詰まり。前任者が泣きついてくる訳だ」
手慣れた様子で壁に煙草を押し付けて消して見せると、コウはルールの豹変にため息をついた。
「……それが地か」
「私のことはどうでもいい。今は君の話だ、コウ」
「なにが言いたい」
「コウ・アマガイ。考課は毎年連続でD-以下。業務態度不良、協調性皆無、能力考課最低ランクーーただし、業績だけは例年異例のSS査定」
本部の担当者と本人だけしか知らない考課情報を開陳した途端、コウがうんざりとした表情を浮かべた。
「お前、監査官か」
ルールは答えず、ただ笑う。肯定したようなものではあるが。
考課情報に触れることができ、かつこんな辺境の地へ単身乗り込んでくるような協会員は、本部の派遣した監査官ぐらいしかいない。
「要請した人員は来ず、ようやく来たのは相棒どころかただのアンドロイドですらなく、監査官――本部はなにを考えてるんだ」
「私が、アンドロイドで監査官であることは事実としても、別に君の相棒でないことにはならないだろ」
「監査官が相棒だなんて聞いたこともない。お前の仕事は俺の採点をすることだ。こんな錆びつきそうな潮風の真ん中で、俺と一緒に動力素を取りに潜ることじゃないだろう」
「それは機械差別だぞ。君がこの辺境の地で15年も蟄居ましましている間、本部ではアンドロイドの利活用が進んでいる」
「話を逸らすな」
ルールはコウの問いに応えず、手元の電子板を操作すると、資料を一つ表示させた。
――5年前。惑星アルゴノーツの動力素回収作業中の事故。通称、ネレイデス海溝沈没事故。
ネレイデス海溝の冥海へ潜水中、潜水艇に不具合が発生、通信が途絶える。潜水艇乗船員は全員行方不明。
基地に残っていたコウ・アマガイによって捜索が行われたが、最終的に見つかったのは潜水艇の残骸と、乗船員の身体の一部のみ。
確定した死亡者は2名、身体が欠片も見つかっていないままの行方不明者が1名、そして……
「基地にいた唯一の生存者――コウ・アマガイ。それが君だな?」
「だからなんだ? ただの不幸な事故だ。お前の持つ資料にもそう書いてあるはずだが」
「そうだな、資料にはそうある。なぜなら、君がそう報告したから。君の言葉が一言一句違わず報告書の前提条件になっている」
「何が言いたい」
ぎろりと睨むコウの視線を前に、ルールは無表情を取り戻す。
「事実を述べているだけですよ、コウ・アマガイ」
そして、わざとアンドロイド然とした動きで、敬礼した。
「ルール・オーラクルム監査官、本日をもって惑星アルゴノーツ動力素回収作業、並びにネレイデス海溝沈没事故の事実確認任務に当たります」
「本部は俺を疑って、お前を送りつけてきたって訳だ」
「ルール・オーラクルム監査官は、ヒトをサポートするための機械です。すべては人類の繁栄のため。それでは、本日も速やかで効率的な動力素回収に当たりましょう」
「相棒とは認めねぇぞ」
捨て置いて、コウは今度こそ振り返ることなく部屋を出て行った。
残されたルールは、基地の外――強化ガラスの向こうに目を向ける。
「あーあ、ヒトってのは面倒臭ぇなぁ」
さんさんと輝く太陽に、ただ光を跳ね返す青い海。
それに透けるように、ガラスにぼんやりと少女の――自分の影が映っている。
長く黒い髪。青い瞳。人形のように整っていて無機質な顔立ちは、自分の考えていることを容易にはのぞかせない造りになっている。
「……ま、仕方ねぇな。しばらく付き合うか」
ぼんやりと呟く声は、聞くものもなく空中へ溶けて行った。
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