身代わり妃の後宮診療録

青月花@小説&コミックス2月発売

第1話 妃嬪選抜試験


 講堂の前に秀女しゅうじょたちが集まり、驚いた表情で金榜きんぼうと呼ばれる掲示板を見あげている。

 今日は皇帝の妃候補である秀女の運命が決まる日。

 妃嬪ひひん選抜試験結果発表当日。

 明琳めいりんは鼓動を高鳴らせながら、しっかりした足取りで金榜へと近づいていった。


 ――ちゃんと落ちているよね? まあ、大丈夫だとは思うけど。


芳杏ほうあん様、あれを見て!」


 明琳(芳杏)と同室の秀女である暁華ぎょうか吃驚きっきょうの声をあげ、金榜に貼り出された紙を指さす。


 紙に書かれた序列を見た明琳は目を疑い、しばらくの間硬直した。


「……えっ? 嘘でしょう!?」


 明琳の口から叫びに似た声がほとばしる。

 こんなのあり得ない。試験の成績はどれも半分以下だったはずだ。落第できるようにちゃんと手を抜いた。

 それなのに、どうしてこんなことになったのか。

 

 落ちついて考えてみよう。


 明琳が秀女になったのは今から二ヶ月前。

 先の皇帝が崩御し、三年の服喪期間をて、新皇帝の妃嬪選抜が行われることになった。

 明琳は町医者の娘で、とても秀女になれるような身分ではない。

 なのに、なぜ選ばれたのか。

 それは後宮入りする前日まで話がさかのぼる。



   ◇ ◇ ◇



「芳杏! 芳杏! 明日は大事な日だというのに、いったいどこへ行ったのだ!」


 やしき走廊ろうかから焦燥しょうそうに満ちた男性の声が聞こえてくる。

 この邸のあるじで、おう家の当主である克宇かつうの声だ。

 明琳は枕もとに置かれていた手紙を手に取り、急いで芳杏の部屋を出た。


「旦那様! お嬢様の枕もとにお手紙が……!」


 声をあげた明琳のもとに、五十がらみの小男が血相を変えて駆け寄ってくる。


「見せろ!」


 克宇は明琳から手紙を奪うようにして受け取り、書かれていた文字を見て瞠目どうもくした。


“私はお父様の出世の道具ではありません。子墨しぼくと一緒に京師みやこから出ていきます。捜さないでください”


「……これは、いったい……? 子墨というのは何者だ?」


 明琳は隣から手紙をのぞき込み、即座に状況を察知して答える。 


「この邸の庭丁にわしですよ。お嬢様は子墨さんと駆け落ちされたんです!」

「か、駆け落ちだと……!?」


 克宇は激しく動揺し、明琳の周りをあたふたと歩き回った。


「ああ、どうすればいいのだ? 芳杏は明日、秀女として後宮入りする予定なのだぞ?」


 明琳は困った顔をしつつ、克宇に進言する。


「とりあえず辞退されてはいかがでしょうか? お嬢様、秀女になるのを嫌がって、旦那様に何度も抗議されていましたし」

「辞退などできるわけがなかろう! 皇族との縁談を断るのと同じことなのだぞ? それがどれだけ不敬にあたるか。罪には問われずとも、出世の道が断たれるのは確実だ~!」

「……そんな考えだから、お嬢様も出ていったんじゃ……」


 芳杏と親しかった明琳は、何度も克宇に関する愚痴ぐちを聞いていた。娘のことより家の名誉や出世のことしか頭にないのだと。その通りだと思い、つい小声でこぼしてしまったのだが、克宇の耳に少し届いてしまったらしい。


「今、何か言ったか?」


 鋭い目つきで問われ、明琳は慌ててかぶりを振った。


「い、いえ、何もっ。辞退が無理なら、代わりとなる方を立ててはいかがでしょうか? 親戚のお嬢様とか」


 克宇は「なるほど、身代わりか」とつぶやき、腕を組んで考え込む。

 ……『身代わり』とは言っていないのだけど。

 

めいたちは皆、幼いからだめだな。従兄弟いとこの娘は結婚していて全滅か……。年頃が近い娘などおらん! ああ、もう私はおしまいだ~!」


 頭を抱えて絶望する克宇に、明琳は戸惑とまどいながら告げた。


「落ちついてください、旦那様! 身代わりということなら別に親戚じゃなくても……。知り合いに良さそうな若い女性はいないんですか?」

「……知り合い?」


 克宇はまた少しの間考え込み、明琳の顔をまじまじと見つめて尋ねる。


「明琳、お前は芳杏と同じ十八だったな? 小柄で背格好もよく似ているし、ずっと芳杏の侍女をしていたから、この家や娘のことで知らぬこともあるまい。明琳、お前が芳杏の身代わりとして秀女になれ!」

「……は? 私がお嬢様の身代わり……!?」


 明琳は甲高い声をあげ、首と手をぶんぶん横に振って主張する。


「無理ですよ! 私、ただの町娘ですし、秀女になれるような教養もありません!」

「いや、二年も芳杏のそばにいたのだから、それなりの教養は身についているだろう。それに、知っているぞ。お前が大学に入るため勉強していて賢いことは。芳杏が自慢げに話していた。陽黎ようれい国女性初の医者を目指しているそうだな? だが、大学に入る金がなく、うちで働くようになったのだとか」


 明琳はばつが悪そうに「うっ」とこぼし、肩をすぼめた。

 まさか、芳杏が父親にそんなことまで話していたとは……。


 克宇の言う通り、明琳は大学に入るお金を稼ぐため、給金の高いこの邸で働いていた。二年前に父親が突然蒸発し、全部自分でどうにかしなければならなくなったから。


「身代わりを引き受けてくれるなら、学費を全て負担してやってもよいぞ?」


 父親のことを思い出しうつむいていた明琳に、克宇はニヤリと笑って提案した。


「ですが、秀女になってもし妃嬪に選ばれでもしたら、大学には通えなくなります。一生後宮から出られなくなってしまうんですよ?」

「妃嬪に選ばれなければよい。秀女として入宮するのは八十名。前例通りなら妃嬪になれるのは、成績上位者の四十名だ。順位が低すぎるのは家の名誉として困るが、何も及第する必要はない。身代わりがバレる危険性が高まるからな。どうだ? それなら悪い話ではあるまい?」


 明琳は大学へと思いを馳せながら苦悩の表情で考え込む。

 医者になるには、大学を出ることが必須。新皇帝の政策によって今年から女性でも大学に入れるようになり、ける職業の幅も広がった。

 だが、学費は高くて、このままでは十年働いても大学には入れない。


「妃嬪の選考期間は二ヶ月でしたっけ?」

「そうだ。その間、身代わりがバレないようにうまくやってくれるだけでよい」


 二ヶ月間後宮で生活し、妃嬪に選ばれないよう注意して過ごすだけ。

 かなり割のいい仕事だと言える。

 それで夢が叶うのなら……。


「わかりました。私、お嬢様の身代わりとして秀女になります!」


 胸に手を当てて答えた明琳に、克宇は喜びをあらわにして告げる。


「おお、そうか! よく決断してくれた!」

 

 明琳が医者を目指していることには、いくつかの理由があった。

 最も大きいのが父親の存在だ。

 医学の道を突き進めば、『神医しんい』と呼ばれた父の足跡も掴めるかもしれない。


 選考試験に落ちて、必ず夢を叶えてみせよう。

 明琳は胸の前で拳を握りしめ、やる気をみなぎらせるのだった。

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