プロローグ-3

 男性陣は私に声をかけるだけかけて森へと入って行ってしまう。

「無礼者ばかりで申し訳ない。彼らは一般市民から騎士団に入った者達で、荒くれ者よりはまし、くらいに思っていただければ幸いだ」

「そんな扱いでいいんですか?」


 ベアトリクスさんは木につながれていた馬に近寄り、袋から竹筒の水筒を取り出して渡してくれた。郷土資料館かなんかで見たことあるな、これ。

 同じく竹でできた蓋を取って、臭いを嗅ぐ。飲めるといいな。

 うん、泥水みたいな臭いはしないから、行けるだろう。と、傾けてみれば、とても美味しい冷たい水がのどを潤してくれた。


「良いも何も、ボニファティウス以外は本当にそんな感じなんだ。詳しくはまた明日以降話すことにするけれどね」


 竹筒を空っぽにする勢いで水を飲んで、手の甲で口を拭って、ベアトリクスさんに頭を下げる。


「お水、とても美味しかったです」

「それはよかった。バルドゥイーン様は、ワイルドなんだね」

「荒くれ者ではありませんが、一般市民なので」


 というか、ハンカチがない。

 ハンカチはカバンの中とジャケットの右ポケットの中だ。ジャケットは私を守って儚くなってしまったし、カバンは……カバンは? そもそも持ってた?

 ないから、仕方がないのだ。


「じゃあもしかして、私の喋り方の方が、堅苦しく感じているだろうか?」

「そうですね。不快、という訳ではないですが」


 山賊じみた彼らの言葉遣いを肯定するわけではないけれど、どう感じるか、という話なら彼女の方がきっちりしているな、とは感じる。快不快の話ではなく。


「不快ではないのなら、それでよしとしようかな。ところで、馬に乗ったことは?」

「ないです。……あ、子供のころに、移動動物園のポニーに」


 ものの五分程度ではあるけれど乗った。多分問われているのはそうではない、と思いつつ付け加えてみた。


「そうか。私が支えるから、楽にして。初めて乗るのなら疲れるだろうけれど、その足で歩くよりは、マシなはずだから」

「よろしくお願いします」


 乗せてくれるお馬さんにも、お願いした方がいいだろうか。


「よかったら、鼻の辺りをなででやってくれない。カリーナというんだ」

「カリーナ、これから背中に乗せてもらいます。よろしくね。あ、私は月島絵里と言います」


 カリーナは、私を真っ黒な瞳でじっと見つめてくれた。薄茶色のストレートなたてがみで、くせっけの私は少し羨ましいと思ってしまう。耳も私の方を向いていた。気にかけてくれているようだ。

 そっとカリーナに手を伸ばしたら、自らそこに鼻を押し付けてくれたので、ちょっとだけ撫でる。とても、温かい。

 もうそれだけで、何というかこう、泣きそうなくらいほっとした。ああ、私は、生きている。


「それじゃあ行こうか」


 ひらりとベアトリクスさんはカリーナにまたがり、私に手を差し出してくれた。立ち上がったときと一緒だ。

 私も彼女に手を出して、馬の上に引き上げてもらう。

 物語で読んだとき、よく肩抜けないなーって思ったけれど、双方向に引っ張るわけじゃないし私も地面を蹴ったしで、難なくベアトリクスさんの前に収まった。

 お、おお、目線が高い。


「それじゃあ、歩くよ。揺れるから、私に寄りかかって」

「ありがとうございます」


 遠慮なく、寄りかからせてもらう。正直、体は限界である。精神は、精神は、うん。あのクマの時点でなんかもうどうでもよくなっていた。

 さっきカリーナに少し触らせてもらって、ちょっと泣きそうになってけれど。その涙は馬にまたがったことにびっくりして引っ込んでしまった。


「そういえば、あの赤い……くま、のような」


 通じるんだろうか、クマ。


「バルドゥイーン様の所にも、クマはいるの?」

「こっちのクマは赤くないですし、腕も四本無いです。白とか、茶色とか、黒です」

「よかった。こっちのクマもそうだよ。あれは、アイベンシュッツ。魔物、と呼ばれるもので、私たちとは相いれない。出会ったら、どちらが死ぬ定めだ。 いや、普通のクマも戦いになったら、普通の人にとっては大して危険度は変わらないけれどね」


 クマは臆病だから、よほど気が立ってるとか子熊に危害を加えそうになってるとかお腹が空いてるとかがない限り、私たちの目の前には現れない。その辺りは、あんまり変わらないようだ。


「その、出来ればそのバルドゥイーン様、というのはやめていただけませんか」


 むず痒いので。


「うん、その、それなんだけれど」

「ダメですか?」

「発音、しにくくて。エリィと呼んでもいいかい?」

「えり、発音しにくいですか?」

「そうだね、私たちの方ではそこで止めずに伸ばすことが多いかな。名字の方に関しては済まない、どうにも」


 困ったように笑われてしまっては、やめてくれとは言いにくい。まあ、こちらにいる間のあだ名のようなものだと思っていればいいだろう。


「わかりました。それではエリィでお願いします。他の方に挨拶するときも、そうお願いした方がいいでしょうか」

「そうだね。エリィでいいと言ってもらえた方が気楽な人もいるだろう。女性の名前を呼ぶのは不躾とされているから、バルドゥイーン様、と呼ばれるのも諦めてほしい。役職名だとでも、思ってもらえれば」


 なんとなく理解した。海外の人で月島が発音できなくて、絵里と呼ぶのもためらわれたら、そりゃ係長とかって呼ぶ。要するにそういう事なんだろう。

 そして、女神さまのお客人、的なことを言われたので、バルドゥイーン様、までがきっと一単語なんだろうな。ならそれは慣れた方がいいだろう。そういう、単語なのだと。


「わかります。私も先ほどのボラ……ボン……」

「ボニファティウスか。言いづらい?」

「覚えづらいです。呼ぶとしたら彼は、何になりますか?」

「副団長、かな。仔細については明日以降興味があるなら教えるれど、彼は一般市民から騎士団へ入ってきた者たちがいる部隊のまとめ役をしている」


 ベアトリクスも騎士だと言っていたし、おそらく副団長さんも騎士なのだろう。その辺りは、明日以降聞いていこう。


「もしもさっきの、荒くれ者どもに何かされたらボニファティウスに言うといい。もしくはボニファティウスに言うぞ、といてば大人しくなる」

「た、例えばどんなことをされますか?」

「そうだなあ、私がされたのは、イノシシ狩ってきたから見てくれ! とか、イノシシ捌くけど見る? とか」

「副団長さんに頼らせてもらいますね」


 イノシシを捌くところなんて見たこともないし、いやそうやって肉を食べるのはわかるけれど、出来れば見たいものでもない。そうしてそれらに頷いていたら、多分続く言葉は捌いてみる? になるだろう。


「うん、それがいい。ああ、もうすぐ森を抜ける。街が見えるから、少し楽しみにしてほしいな」


 森の中だから薄暗く、時間はよくわからない。けれど何も明かりを持っていないから、まだ夜ではないのだろう。

 きっと、森を出て街が見える段になっても、羽田空港に着いた時のような景色ではないだろうな、となんとなく思う。ネオン、なさそうだし。

 カリーナは、決して駆けることなく一定のリズムで進んでいてくれた。慣れないからおしりも太ももも痛いけれど、多分これでも気遣ってくれているのだろうと思うから、文句は言わない。言えない。

 なぜならカリーナの耳が、こっちに向いているから。外敵を警戒せず、乗り手である私たちに注意を向けている。

 馬、とても賢いっていうけれど、本当なんだなあ。


「私この後、どうなるんでしょうか」


 森が薄暗いからいけないのだ。だから薄暗い思考回路になる。


「そうだなあ。今日はもう早くはないから、お風呂に入ってさっぱりして、一眠りしてもらって。父には明日の朝にでも挨拶をすればいいよ」

「父?」

「ああ。もうすぐ街だ。 ようこそ、アーベル国の南の果て、バルリングの森の守護を仰せつかるクリスタラー領へ!」


 森は、小高い丘の上にある様だった。

 眼前には、夕焼け。眼下には、夕焼けに照らされた街があった。手前には壁……おそらくは城壁があり、そのそば近くにでんとそびえている城が領主の館なんだろう。館と城の違い、分からないけれど。

 その向こうにはまた城壁があって、小さな家々がひしめいていた。高い塔が、いくつも見える。

 カリーナはゆっくりと、下り道を降りていく。


「向かって右、東にある塔が教会。左、西にあるのは、時計塔だ。ここからは時計盤は見えないが、まあ、朝と昼と夜の鐘さえ聞こえればそれでいい」

「こっちでも似たようなものですね。みんな自分の時計を持っているので、特に音楽はならないですけれど、始業とお昼と終業以外はあまり時計は見ないかもしれません」

「そうか、どこも似たようなものか!」


 楽しそうに、ベアトリクスさんが笑う。

 特に、感動はなかった。でも、なんか、ほっとした。私は、生きて、人里に来たのだと。

 こう、多分。神経がマヒしてるのもあるんだろうけれど、それよりも、城壁に度肝を抜かれたのが大きいのだと思う。街並み可愛い! 教会の尖塔綺麗! とかより、城壁すごいな、が私の感想だもの。

 まあでもあの赤いクマみたいなのがこの森にいるのなら、大切かもしれない。城壁。

 でも教会から、ここまで結構距離があるように見える。城壁は顔パスでほとんど足止めされないとしても、どのタイミングで女神さまのスズランが赤くなったのかは分からないとしても。


「カリーナ、あなたものすごい勢いで走ってくれたのね。ベアトリクスさんも、ありがとうございます」


 よほど疾駆してくれなければ、私はご飯になっていただろう。


 誰のって、あの、赤くて腕が四本ある熊の。

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