第5話 日常に潜むヨグドスとその正体

 月曜日。あいにくの曇り空だが、アリスは気にする事もなく元気に登校して行った。

 アリスが教室に入ると、そこはいつもの仲良しメンバー3人がすでに揃っていた。

 アリスが挨拶をすると全員が返してくる。

 数日の出来事なんて忘れてしまいそうになる。

 そんな当たり前の日常がそこにはあった。


「アリスー聞いてよ。今日の朝練でさー」

「何、リカ。朝からくっつかないでって」

「いいじゃんかー。アタシとアリスの仲でしょー」

「親しき仲にも礼儀ありだってば」


 背中に飛び乗って来たリカに文句は言いつつも、アリスは無理にどけることはしない。

 見ている二人も普段から光景の為、何も言う事はない。


「アリスっち、小テストの勉強してきた?」


 ミホの発言にアリスはビクッと反応する。

 それには思わずアリスに乗っていたリカも驚く。

 この二日目間、バタバタしていたた為、アリスは全然勉強をしていなかったのだ。


「忘れてた?」


 アリスは小さく頷く。

 そもそもテストの存在を忘れていた。

 言い訳でしかないが、ここ数日は非日常が濃すぎてテストの存在など消えていたのだ。

 だがそんなことを説明した所で、信じてもらえる筈もないし、テストが無くなる訳でもない。

 アリスはその場に崩れると、大人しくやり取りを見ていたナツキに助けを求めた。


「どうしようナツキ~。タマ先に怒られちゃうよ~」

「…頑張って」

「どうして冷たくするの~」


 嘆いていても仕方がない。

 テストがあるのは一限目。

 アリスは小テストの時間までひたすら勉強をするのだった。


「終わったー!」


 何とかテストを乗り切ったアリスは喜びに満ちていた。

 そんなアリスとは対照的に元気のない人物がいた。


「大丈夫?ナツキ」

「うん…大丈夫…」

「大丈夫じゃないよ。朝からずっと変じゃん。具合悪いんじゃないの?」

「アリス。ウチがナツキっち保健室連れてくから先生来たら言っといて」

「わかった」

「アタシもついてくよ」


 朝は少し元気がなさそうだなとは思っていた。

 元々、ナツキは我慢するタイプだ。早くに声をかけておくべきだとアリスは後悔していた。

 そして結局、そのままナツキが戻ってくる事はなかった。


「ナツキ既読付いてないよ」


 アリスは昼に送った会話画面を不安そうに眺める。

 そんなアリスの様子を見て、リカはあえて陽気に肩を組む。


「大丈夫だって。明日になったら元気に来るって」

「そうそう。元気になったらみんなで菓子パしよ。ナツキっちにもそう送っといてよ」

「うん」


 その場で連絡をするアリス。

 だが、その日の内に既読が付くことはなかった。

 学校が終わり家に帰るとディアンが玄関前に立っていた。


「何してんの?」

「庭掃除だが」

「こんな時間に?バカじゃないの」


 アリスは悪態をつくがディアンは気にする様子を見せない。

 しかし、何を思ったのかアリスの周りを回り始めた。


「な、何よ!」


 突然の奇行に戸惑うアリスに対して、ディアンは真剣な表情で「臭うな」と呟く。


「はぁー!?信っじられない!アンタ女子にそういう事言うとかどういう神経してんの!?」


 顔を赤らめ距離を取るアリスに、呆れたようにディアンは小さくため息をつく。


「別にキサマの体臭に興味などない。オレ様が言っているのはキサマからヨグドスの臭いがするという事だ」


 それはそれで意味がわからない。

 ヨグドスの臭いがどんなものかは知らないが、何故そんなものが自分についているのか。

 先日出会ったヨグドスの臭いが残っているとでも言いたいのか。

 アリスには発言の意図が理解出来なかった。

 だから適当に返事をして家に入ろうとした。

 すると、ディアンがアリスの肩を掴んだ。


「何よ」

「重要な事だ。今日はどこに行って何をした」

「学校行っただけですけど。人の事臭いとか言われてムカついてるから離してよ」


 アリスが手を払おうとするが、ディアンは離そうとしない。

 再度文句を言ってやろうとディアンの目を見ると、それは冗談やバカにするつもりで言っている目ではなかった。


「帰り道、誰かと会ったか?」

「誰にも会ってないって。学校の人だけ」


 アリスの返答を聞いたディアンは手を離す。

 だがその表情は変わらず、そして衝撃的な事を口にする。


「キサマの学校にヨグドスがいる可能性がある」

「何言ってんのよ。バカな事言わないで」

「冗談でこんな事言ってたまるか。学校という密閉地帯だ。一匹出るだけでも大変な事になるぞ」


 ディアンの言いたい事も分かっている。

 だが信じれなかった。信じたくなかった。

 あんな化物が日常に潜んでいるという事に。


「オレ様が何とかする。だからキサマは普通に過ごしていろ」

「何とかって…。警察に言った方がいいんじゃ」

「警察に言ったところで信じてもらえるか。いいか、臭いが付くという事はそうとう近くにいた事になる。日中だからといって気を抜くなよ」


 その日の夜、ディアンは学校近くに様子見に行った。

 邪魔になるからと着いてこないよう釘を刺されたアリスは家にいたが、ヨグドスが学校にいるかもしれないという状況に、不安で中々寝付くことは出来なかった。

 翌日、アリスは普段通り準備をして学校へ向かう。

 ディアンによれば、学校周辺にヨグドスの気配はなかったとの事だった。

 それにより残された可能性は学校の中という事になる。

 アリスには勘違いであれと願い登校するしかなかった。

 教室に着くとナツキの姿がなかった。結局既読も付く事もなく、先生に確認を取ると休みを取っている事が分かった。

 ナツキの容態は心配だがヨグドスが学校にいる可能性があるのだ。だな逆にそちらの方が安全かもしれない。アリスは少し複雑な心境になるのだった。

 そこから授業は進んで行くが特に異変はない。

 皆、特に変わりなく過ごしている。

 その様子に朝から張り詰めていた緊張の糸が緩めかける昼食前。

 ふと外を見ると一人の男が学校に入ってくるのが見えた。

 その男の姿には見覚えがあり、アリスは驚きのあまり机を突き飛ばす勢いで立ち上がる。

 そして大急ぎでその男の元へと走って行った。


「何しに来てんのよ!」


 アリスは学校に入って来たディアンに詰め寄る。

 するとディアンは手に持っていた袋をアリスに差し出す。


「キサマが忘れていったから届けに来てやったんだ」


 言葉にならない言葉を発しつつもアリスは礼を言って弁当を受け取る。

 そして足早にその場を去ろうとするが、ディアンはアリスの腕を掴み自身の元へと寄せる。


「ちょっと何?」

「臭いがしない。キサマが昨日接触して今日していないのは誰だ」

「ナツキだけど…」


 何故そんな事を聞くのか。ディアンの言葉の意味をアリスは理解出来ていなかった。

 アリスは学校の中にヨグドスが潜んでいると考えていた。

 しかしディアンは違う。

 ディアンは「そうか」と返事をすると手を離し、そのまま帰っていった。

 アリスが教室に戻るとミホとリカが慌てた様子で駆け寄ってくる。

 何事かあったのかと思ったがそれは杞憂だった。


「ねぇあのイケメン誰!?」

「えーっと、アイツは…」


 テンションの上がっているリカを抑えながらアリスは必死に脳をフル回転させる。

 どう説明すれば波風立てず穏便に済ませれるのか。


「いとこ。いとこだって。外国にいたんだけど、こっちで生活するってなって住み着いてんの」

「あんなイケメンと一緒に暮らしてるの!?あー羨まし!」

「同じ屋根の下、何も起きない筈がなく…」

「絶対にない!それだけはない!」


 あんな無礼千万男と何かあってたまるか。

 アリスは全力で拒否する。

 結局その後もディアンの話で持ちきりになり、アリスはヘトヘトになりながら帰宅する事になるのだった。

 帰宅するとディアンが部屋の前で待っていた。


「今回のヨグドスの正体が分かった」


 深刻な顔つきで先にアリスの部屋にディアンが入って行くためアリスもそれに続く。

 そしてディアンはアリスが口を開く前に、信じられない事を口にする。


「ナツキだ」

「は?」


 あまりにたちの悪い冗談だ。

 流石にディアンの発言には怒りが沸いた。


「バカな事言わないで!ナツキがあんな化物なわけないでしょ!」

「確証があるから言っている」

「ふざけないで!!」


 アリスの怒号が家に響き渡る。

 それでもディアンは態度を改めない。

 その姿にアリスは更に怒りを爆発させる。


「アンタがそんな事言うヤツだなんて思わなかった!出てけ!!」


 アリスはディアン腕を掴むと乱雑に部屋の外へと追い出す。


「すまない。オレのせいだ。オレがもっと早くに気付けていれば助けられたかもしれない」


 扉越しにディアンの声が聞こえる。

 それがどんな声色だったかは覚えていない。

 だが、それが決して取り繕う為の言葉ではない事は分かっていた。

 それでも溢れ出る負の感情が止まらなかった。


「お前のせいだ!お前が来てからおかしくなったんだ!お前の言ったことなんか信じない!」


 ディアンが言った事が本当かどうかは分からない。

 だけど嘘を言っているなんて思えない。

 アリスの頭はぐちゃぐちゃにかき混ぜられた自分でも自分が分からなくなっていた。

 ディアンは何も言わずに離れていく。


「本当に行くのね」


 玄関に立つディアンに心配そうにアリスの母が声をかける。

 アリス以外の家族にはすでに説明をしてあった。


「アリスを頼む。今は家族の支えが必要だ」

「ディアンくんも家族よ。ちゃんと戻って来てね」

「当たり前だ」


 死ぬ訳にはいかない。契約の主として。

 アリスの部屋からは止めどなく溢れる涙と感情を背に、ディアンは敵を討ちに向かうのだった。

 アリスに弁当を届けに行った後、ディアンはナツキの家に来ていた。

 近隣住民に話を聞いてみると、ここ数日は家から出ている気配もないとの事。心配した人が確認に行くとその家に住む少年がインターホン越しに応対し、家族全員が体調不良になったと言っていたという事も分かった。

 全てのカーテンは閉めきられており中は見えず。生存者がいるのかどうか判断は出来なかった。

 しかし、それは家を隠れ蓑に潜んでいる事の証明でもある。

 それだけでなく、少年が応対したという事は生かされ利用されているという事になる。

 ヨグドスの中では相当知能が高い部類だろう。

 下手に突っ込めば人質に取られ後手に回る事になる。ただそれは生きていたらの話だが。

 また、気になる点としてはナツキが学校に来ていたという事だ。

 人を招き入れる為の餌として利用されたのか。はたまた別の理由があったのか。

 ディアンはヨグドスの行動に意味を見出だせずにいた。

 だがそれでもこのまま放置は出来ない。

 これ以上被害者を増やす訳にはいかないからだ。

 このまま突入しても良かった。ヨグドスは日の光に弱い。外に出せれば一瞬で方がつく。

 だが、もしもヨグドスが一匹でない場合、狭い民家の中での戦闘はリスクが大きすぎる。

 ディアンは周囲の立地を把握し一度その場を後にするのだった。


 そしてアリスに話をした後、再度ディアンはナツキの家の前に来ていた。

 一見すると何の変哲もない民家だ。だがその中はおぞましい事になっているだろう。

 だからディアンはアリスに対してナツキがヨグドスだと嘘をついた。

 気休めにもならない嘘だ。だが真実を告げられるより幾ばくかはマシなのではないかという考えだ。

 そう。自分なら友が惨殺されたなどと言われれば気が狂ってしまうだろうから。

 日が沈み、随分と時間が経った。もう深夜だ。人っ子一人出歩いていない。

 決行の時は来た。周囲にヨグドスの気配はない。

 ディアンは沸き上がる怒りを抑え込み、玄関横のインターホンを鳴らす。

 出てくるのは人かヨグドスか、一秒一秒緊張が高まる。


「ど…なた…、ですか…」


 インターホン越しに少年の声が聞こえた。

 生きている。

 ヨグドスは本能的に人を殺す。だから生きている事など、もうないと踏んでいた。

 これにより難易度が跳ね上がる。だが生きていると分かった以上見殺しには出来ない。


「すまない。アリスがナツキに渡す物があると言ってな。こんな時間だが届けにこさせてもらった」

「で…では、そこに…お…置いといて…下さい…」

「それは困る。寒空の下に置いておけば悪くなってしまう。受け取りに来てくれ」

「で…でも…今風邪…引いてて」

「いいから早く来てくれ。一瞬だから大丈夫だ」


 すぐに返事はない。

 ヨグドスが出方を考えているのだろう。

 生きている人間を使い応対させる事によって不信感を抱かせない。

 ガーゴイルのような溢れている雑魚とは違いやはり知能が高い。

 だがそれなら、その半端な知能の高さを利用するだけだ。


「聞いているのか」


 ディアンは苛立った様に急かす。

 するとインターホン越しに少年の声が再度聞こえる。


「わ…分かりました。い…行きます」

「あぁ、頼む」


 遂に対面する。このまま襲ってくるのか、それとも少年が出てくるのか。

 静かすぎるこの時間は音が響く。

 家の中の足音が聞こえる。そして外に何かが潜んでいる音はない。

 ゆっくりと扉が開くとそこから…。


「あ…あの…」


 少年が出てきた。

 少年の背後には何もいない。

 ディアンはすぐさま少年の腕を掴むと家から引き摺り出し玄関から距離を取る。


「大丈夫か」


 少年は怯えきっている。

 死臭とヨグドスの臭いを染み付かせているのだ。年端もいかない子どもが耐えられる筈もない。

 だがそれでも少年は言葉を振り絞る。


「お…お姉ちゃんが…」


 生きているというのか。

 事を急ぎすぎた。少年が生きているのだからナツキだって生かされている可能性もあったのに。そこに至る考えを持てていなかった。


「少し待てるな」


 少年の衣服には血がこびりついている。それは即ち地獄を見ていると言うこと。

 そんな子どもを恐怖のまま置いておく事など誰が許すだろうか。

 だが今は、少しの時間だけ耐えてもらうしかない。


「この子を頼む。後、警察を呼んでくれ。殺人だ」


 戸惑う隣家に少年を預けるとディアンはナツキ宅へ再度向かう。

 少年を奪われたのだ警戒している筈だ。

 だから今度は真っ向から出向かない。奇襲だ。

 アリスと契約をしてから少し力が戻っている。

 ディアンは翼を生やすと天井へと降り立つ。

 少年を預ける前にヨグドスの位置を聞いていた。

 2階の東側。ナツキの部屋。そこが現在のヨグドス達の住処すみか だ。

 窓は閉めきられている。だが微かに漏れ出す臭いにディアンの怒りを募らせる。

 姉を助けてほしいと言われた。

 だが自分の勝手な行動でナツキの命は更に危険に晒され、生きている可能性はゼロに近いだろう。

 もしかすれば人質として生かされているかもしれないが、それでも状況によっては助けられないかもしれない。

 故にディアンは少年に返事が出来なかった。


「最善を尽くせ」


 言い聞かせる様に呟くとディアンは飛び上がり、窓を蹴破って突入した。

 暗い部屋に月明かりに照らされたガラスの破片が反射する。

 それにより照らされた居室内には5体の生物の姿があった。

 大型犬程の大きさに、猿のような骨格。しかし、毛皮がなく骨は浮き出ている。そして小さいながらも鋭利な鉤爪を左右の手に一本ずつ携えた奇妙な姿。

 それはこの世界のどの生物にも当てはまらない生物。ヨグドスであった。

 部屋にナツキの姿はない。

 ディアンは部屋に足を付けるとすぐに床を蹴り、一体のヨグドスに向かう。

 ナツキがいれば救出。いなければ即殲滅。

 一人で多数を相手にするのだ。相手が混乱している一瞬で方を付ける他ない。

 事前に傷を付けた掌に刃を作り出すと、ヨグドスの首を裂く。

 敵に強度はない。細い首はいとも簡単に跳ね飛んでいく。


「一体目!」


 続けて近くのヨグドスに斬りかかる。

 だが踏み込みが甘かった。首を跳ねる事は出来ず肩に刃が食い込む。

 それにより一瞬動きが止まる。しかしそれはコンマ何秒にも満たない時間。

 ディアンは力を込めて胴体を斬り裂く。

 三体目。そう思ったが残ったヨグドスがディアンの右腹に噛みつく。

 体勢が崩れる。ディアンは倒れまいと床を踏みしめ、噛みついたヨグドスの脳天に刃を突き刺す。

 だがガッツリと食い込んだ牙は簡単には離れない。

 その一瞬をついて、残りの二体がディアンに襲いかかる。

 一体は背後から、一体は左から。それぞれの牙が鉤爪がディアンに突き刺さる。

 苦痛の声を漏らすディアン。だが敵は手を緩めはしない。

 爪はより深く、牙は肉を抉りにくる。


「があああぁぁぁぁぁ邪魔だぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 ディアンは刃を消すと、それぞれの噛まれた箇所から流れる血を棘に変え、ヨグドスを串刺しにした。

 ヨグドスは全て片付いた。

 だがディアンの傷は小さいものではなかった。

 背後から刺された時、何とか心臓は避けたが肺に傷がいっていたのだ。

 血を吐き出すディアン。しかし、まだ休むことは出来ない。

 ナツキの安否を確認しなければならない。


「ナツキ!いるなら返事をしろ!」


 部屋にはいる気配はない。

 ディアンは別の部屋を確認しに行こうと扉に手を触れようとしたその時、反対側から勝手に扉が開いた。

 そしてそこにはナツキが立っていた。


「生きていたか」


 歩み寄るディアン。

 だがその時違和感が芽生えた。

 綺麗な制服姿。そして弟とは違い恐怖に染まっていない顔。

 なにより何故一人出歩く事を許され部屋に来たのか。


「い、いイ生きテ」


 迷ってしまった。それだけはないと無意識に端から否定に入っていた。

 だから隙が出来てしまった。

 ナツキの胸から人の頭程もある拳が突き破って来ると、ディアンは殴り飛ばされた。


「テメェ…」


 ナツキの体を突き破り、その体には納まらないであろう程の巨躯きょくが姿を現す。

 ガーゴイル以外のヨグドスは姿形、生態、能力に謎が多い。

 このヨグドスは人間に寄生するタイプなのだ。そして恐らくコイツがボス個体だろう。

 ナツキが学校に来ていた時から寄生していたのかは分からないが、そうだとすれば危険すぎる存在だ。

 人に入ることで容易く移動し、活動範囲を増やしていく。

 少年が生かされていたのはナツキの体が使えなくなった時の為の代わりだったのかもしれない。


「何してるか分かってんだろうな」


 壁を背に立ち上がるディアンの言葉に、ヨグドスは大きく口を開けて笑う。


「ヤ、止めテ。コ、こコ殺サなイデ」


 それは殺した人間の真似か、それとも生きて騙す為の知恵か。

 そんな事はどうでもいい。今のディアンの抑えつけていた怒りを爆発させるには足りて余る程の言葉だった。


「殺す」


 ディアンは流れる血を大きな棘に変えて飛ばす。

 無造作に放たれた棘は狭い部屋の中では逃げ道を無くす。

 だがヨグドスは唯一の逃げ道であった廊下へと逃げ、棘を躱す。

 巨躯に見合わない俊敏さ。

 それだけではない。その巨体が人間の中に入るのだ、体をある程度限界を超えて自由に動かせている。

 つまり体を伸縮させて避けたのだ。


「逃がすかよ!」


 ディアンはすぐさま追いかける。

 床に倒れているナツキの中は空っぽだ。寄生に伴い捨てられたか食い荒らされたのだろう。

 ディアンはただその死が辛く苦しいものでない事を願うしかなか出来なかった。

 そして、必ずやヨグドスを討ち取ると誓い駆けて行った。

 階段を降りるヨグドスに向かって血の棘を飛ばすと一本だけ突き刺さる。

 悲鳴をあげるヨグドスはダイニングに逃げ込む。

 追いかけるとそこにはナツキの母と思われる遺体があった。


「なるほど。人間の習性をよく理解してやがる」


 遺体を掴み盾のように扱う。

 非道だが実に理に叶った行動だ。

 これで無闇に棘は飛ばせない。


「だが残念。不正解だ」


 ディアンはヨグドスに向けて右手で銃の形を作り向ける。


「オレは吸血鬼ヴァンパイアだ」


 次の瞬間、紅い一筋の線が見えたかと思うとヨグドスの頭部を貫いた。

 ヨグドスを貫いたのは血の銃弾だった。

 ディアンは指先を傷付け、血を圧縮し放った。

 それはただ血を棘に変え放つよりも、速度は速く貫通力も高い。

 ただ難点として血を圧縮するのに少し時間がかかってしまう。


「安らかに」


 鳴り響くサイレンを後にディアンは闇夜の空に消えていくのだった。

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