妖精

 剣に姿を変えているイヴを携えて、クロノスは大樹の根本にある穴に潜り込んだ。


 細い根っこや落ち葉がまとわりついて不快だったが、中は滑り台のようになめらかな傾斜が続いており、特に苦労することはなかった。だが、体を大きく設定したキャラクターでは入るのが困難そうだ。ひょっとしたら他にも道があるのかもしれない。


 何十秒ものあいだ、抵抗せずに滑り続けていると徐々に坂は平坦になってくる。習字でいう最後の払いの部分を書くような安定感のある地形でクロノスは静止した。


 立ち上がって服を軽くはたく。顔を上げると、辺りはより一層緑だった。


『ここが、森の聖域よ。いわゆる、IDインスタンスダンジョン。ボスはいないから安心して』


「インダンか……ソロでも入れるのか」


 大樹の中なのに、壁面は茶色ではなく緑色だった。木目もないように見える、と思ったが目を凝らすと苔や雑草が生い茂っているだけだと気付く。


 所々に、見たこともない花も咲いており、光を宿す蛍のような虫もゆらゆらと飛んでいた。足元も草木だらけで、歩くたびに柔らかい感触が伝わってくる。


「……何にもないな。ボスがいなくても、何かレア素材やアイテムとかあるんじゃないのか?」


「そんなものないわよ」

 

 なぜここを目指したのか理由を知らないので訊ねたのだが、何ともつっけんどんな返答だった。だとしたらなぜここに来たのだろう。


 不意に、高い位置にある草木がざわざわと動き出した。

 音に気が付いて、クロノスは剣を構えて上を見据える。どの辺りが動いたのか分からずに目を細めていると、突然『何か』が顔を出した。


「冒険者さん……?」


 『何か』が高い声を出して、クロノスを見下ろしている。かと思うと、物凄い速さで飛び出してきた。

 まるでロケット花火のようにクロノスに近付くと、顔の前で急停止する。あまりのことに驚いて、反射的に後ずさる。足元の根っこに躓いて、尻餅をついた。


「いたたた……」


 クロノスの臀部の痛みなどかえりみず、『何か』は興奮気味に飛び回っている。


「あなた、冒険者さんよね!?」


『全く、頼りないわね。それにしても何故ここに彼女たちがいるのかしら』


 ただでさえ驚いて頭の整理が追い付かないクロノスの脳に言葉が浮かび上がる。反駁はんばくしようとしたが声が上手くでなかった。


 イヴの言葉を無視して目の前に飛んできた『何か』をしげしげと見つめる。それはファンタジー世界ではお決まりになりつつある『妖精』だった。


 妖精は手のひらに丁度収まるようなミニチュアサイズで、水色の髪をツインテールに結んでいた。髪と同色のドレスのようなものを着ており、スカートにはフリルもついている。ファッションに疎いクロノスは、何となく昔妹が見ていた女児アニメに出てきそうだと思った。


「ねぇ、冒険者さんじゃないの?」


 妖精は高い位置からクロノスを見下ろしている。敵意はないと感じて、緩慢な動きで立ち上がる。


「俺は冒険者だ。えーっと、君は?」


「あたしは水の妖精ミア! あれ?」

 ミアが振り返る。

「おーい、リム! 冒険者さんだから怖がる必要ないよ!」


 ミアの後方にあった大きな花の影から、もう一人の妖精がおずおずと顔を出した。イヴが彼女と言っていた意味をクロノスは理解する。


 もう一人の妖精はミアとは対照的に、こちらを警戒するようにゆっくりと飛んできた。それを見かねて、ミアが飛んでいき手を引く。


「ほら、しっかりしてよ。リム」


「ミアお姉ちゃん、本当にこの人冒険者さんなの?」


「だってこの人が自分で冒険者って言ってたよ」


「嘘かもしれないよ! ああ、怖い怖い……」


「もうリムったら……。どれだけあの時の事がトラウマになってるのよ。あたしがいるんだから大丈夫だって」


「でも、用心するに越したことはないよ」


「気にしすぎよ、だってこの人冒険者っていっても弱そうだし」


「で、でも、あの剣はすごい強そうだよ」


「……確かにそうねぇ。売ったら大金になりそう」


 何やら馬鹿にされているような気がするが、蚊帳の外になってしまったクロノスは新しく来た妖精リムを観察する。


 顔立ちは双子のようにそっくりで、服装も似通っている。ただ髪型はサイドテールで、よく見ると姉が少しつり目なのに対して若干たれ目だった。


 活発な姉のミア。そして弱気な妹のリム。二人の水色はまだ議論を続けている。埒が明かないので、クロノスが割って入った。


「あの……話し中に悪いけど、なんで水の妖精が森の聖域にいるわけ?」


 クロノスの声に驚いて、妹のリムはすぐに姉の影に隠れる。随分と嫌われたものだ。


「うーん、何から説明しようかしら……。あたしとリムはね、北の方にある地底湖の奥で暮らしていたのよ」


「地底湖?」


「そう。冒険者さんは、始まりの村から来ただろうから知らないのも当然だわ。とにかくあたしとリムは、その地底湖にいたの」


 ミアの後ろで、妹のリムが隠れながらうんうんと頷いている。すぐに脳内で、イヴの補足が入った。


『地底湖付近で、三人の消息が途絶えたのよ。その頃には私、ログイン直前だったからその後のことについては知らないわ』


「なるほどな」


「それでね」

 ツインテールのミアが話し続ける。

「地底湖に得体の知れないモンスターが棲みついちゃって、あたしとリムは避難してきたわけ」


「モンスターって、どんなのだ?」


「よくは見ていないよ。けど長くて、蛇みたいなやつだった」


 地底湖に棲みつく蛇。これもイヴには心当たりがあるんだろうか、と言葉を待ったが得に何も補足はされなかった。


「それでね、避難したときに見たの!」

 隠れていた妹のリムが身を乗り出す。

「外の湖には物凄い数のミノタウロスがいて、おっきな盾を持っているやつもいたの。そいつがリーダーみたいにみんなを従わせていたよ。ね、ミアお姉ちゃん」


 同意を求めるように見つめるリムの眼差しを受けて、ミアが頷く。その動きでツインテールが鼻先を掠め、むず痒かったのかリムがくしゃみをした。


「地底湖に棲む蛇に、大量のミノタウロスか……。イヴ、どう思う?」


『……地底湖のモンスターは聞いていたわ。でも、ミノタウロスはあり得ないわね。そんなモンスターはリストにないはず。いや、それがあり得るのがこの世界なのかしら』


 珍しく歯切れの悪い言い方で、イヴも少なからず動揺しているというのが見てとれた。


「森の妖精とかはいないのか?」


『まだ製作段階だからいないわ。最初のメインクエストには関わらないから。そもそもここを通るっていうのも、近道するためであって妖精に会うためじゃないのよ』


 イヴがあの子は配置していない、などと一人で呟いていたのを思い出す。とはいえ、水の妖精は地底湖に配置されていた。彼女たちはメインクエストに関係するということだろう。そう考えると偶然にもここで会えて幸運だったといえる。


 クエスト進行のキーになる人物が所定の位置にいなければ、きっと攻略するのにもっと時間を有しただろう。


「ねぇねぇ、冒険者さん」


 気付くとミアが近くまで飛んできていた。水色のツインテールが遅れてなびいている。


「ところで何をしにここまで来たの?」


「そうだそうだ。えっと、ミアとリムだっけ。二人は俺以外に冒険者を見なかったか?」


「冒険者さん以外の冒険者さん? どんな見た目の?」


「一人は体のデカいマッチョで、もう一人はひょろっとした短髪。それと髪の長い女の子だ。オーブを持っていたと思う」


「あたしは見てないわ。リムは?」


 ミアが振り向くと、所在なさげに飛んでいたリムが首を横に振った。


「手がかりゼロか、まぁ仕方ない」


 そこでふと一抹の不安を覚えた。


 想定外のモンスターの出現によって、アンナたちが死亡したとしたら始まりの村で再リスポーンするのでは、ということだった。


 そうなると、いくら急いで進んだとしてもすれ違うのではないだろうか。


「イヴ、アンナたちが再リスポーンしたとしたら、それに気付いたりとか、出来るのか?」


『…………』


「気付かず進んでいって、ミノタウロスの群れなんかに遭遇したらこっちがやられかねない。そうだろ?」


『……リスポーンはしないから問題ないわ』


「は?」


『ヒットポイントがゼロになったら、ゲームオーバーなの』


「ゲームオーバーって……、あ、ああ、そういうことか。蘇生魔法とか、復活の書みたいなアイテムを使わないと村まで戻らないってことか?」


『いいえ、そんなものはないわ。ゲームオーバーは文字通りゲームがそこで終了、ということ』


「つまり……死んだら終わりって、ログアウトするってことか?」


 質問しておいて、そんなことはないかと頭の片隅で思う。ログアウト出来るのならば、クロノスやイヴが後からログインする意味がないからだ。


『……ある意味ではそうね、ログアウトしているのかもしれないし、そうでないかもしれない』


「まどろっこしい言い方するなよ、お前らしくない。もっと分かりやすく言ってくれ」


「この世界でヒットポイントがゼロになったら、向こうの世界でも死ぬってことよ」


 何とも単純明快で、理解を拒絶していたクロノスでも、理解せざるを得なかった。




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