第三部 クロノスとイヴ――≪覚醒≫

大樹

 巨大な緑の木々が、視界を覆っている。縦横無尽に生い茂っているせいで、日光さえも遮るほどだった。そのせいなのか、気温が低く感じられる。

 もうかれこれ一時間弱は歩いていて、来た道を戻ることすら難しいように感じた。それぐらい、どこもかしこも似たような景色である。


「なぁ、森の聖域ってどこにあるんだ? 一面緑なのに、分かるのか?」


「多分、こっちでいいわ」


「多分って……」


 不安を口にすると、イヴが歩きながら話題を振ってきた。


「貴方、村長と話をしたでしょう? 村の中に畑を作るというのは聞いたかしら」


「ああ、川の水を引けっていったんだろ?」


「そう。でも、そういったコンテンツはまだ未実装なのよ」


「どういうことだ?」


「ゆくゆくは実装予定だけれど、まだ出来ないはずなの。それでも、あの村のNPCたちはそれがやれると言わんばかりだった。本当にできるとしたら、もうそれほどこのゲームが自動でアップデートされているということかもしれないわ」


「全部、アイリスが一人でやってるっていうのか?」


「そう……彼女にはそれができる」


 イヴが確信を持って言い切った。ますます先行きが不安になってくる。


「まるで神様だな」


 村の人たちが祈りを捧げていた姿を思い出す。願いは、祈りは、本当に通じるのかもしれない。


「アイリスはメインシステムであるが故にこの世界の何にでもなれるわ。神にだって、なれるでしょうね」


「何にでも……?」


「ええ」


 イヴは少し開けた場所で立ち止まった。行く道を定めているようにも思えるが、クロノスはこの森の景色に違いを見出すことは出来なかった。


「アイリスはそういう風に出来ているの。なんせ、私が作ったんですから。半身……妹みたいなものね」


 クロノスは妹、という単語に敏感に反応した。アンナは大丈夫だろうかと途端に心配になる。


「何にでもなれる、か……」


「もう着くわよ」

 イヴは小径とは離れた方向を指さす。

「行きましょう」


「ちょっと待て、お前は本当にイヴなのか?」


 誰何すいかすると、イヴは動かしたばかりの足を止めた。草木を踏みしめる音が止み、しんと静まり返る。


 イヴはアイリスが何にでもなれるといったが、プレイヤーは無理だろう。あくまでプレイヤーは外からきた者だ。この世界の住人ではない。


 それに、このゲーム世界のサーバーに接続できる人間は四人。最初にログインした三人はメインクエストを遂行するまではログアウトできない。そして、クエストは完遂していない。クロノスを加えると四人ログインしていることになる。サーバーは満員だ。


 彼女はゲームマスターのアカウントでログインしていると言っていたが、果たして可能なのだろうか。それにまだ実装していないサポートフェアリーシステム。冒険の手助けをする武器を兼ねた存在は、本当に存在しているんだろうか。アイリスがでっち上げている可能性だって、無きにしも非ずだろう。


「なかなか、プリミティブな発想ね」


「え? 何だって?」


「私がアイリスなら、とっくに貴方を殺しているわ。わざわざ助けたりすると思う?」


「それは……」


 クロノスは必死に頭を働かせるが、車がエンストしたかのようにぴたりと思考が止まってしまった。


「何か裏があるんだろう」


「率直に言うわ。貴方を生かす価値は、アイリスにはないわよ」


 クロノスは危うく転ぶところだった。なんとも不躾な一言である。


「あのなぁ、いや……まぁいいや。お前に常識を求めるのが、非常識ってもんだ」


 そんな皮肉も意に介さぬ様子で、イヴは再び歩き始める。太い木の根を大股で跨ぎながら、後を追った。


 しばらく無言で歩いていたが、突然またイヴが話し出した。


「ところで、貴方の本当の名前は?」


「名前?」


「そう、覚えている?」


「ああ、玄野くろのあさひだよ。玄人の玄に、野原の野。旭は数字の九に曜日の日。本当はクロって名前が良かったんだけどな、あるオンラインゲームで使われていてそっからクロノスになったんだ。名前なんて、誰もが安直につけるもんだろう?」


「くろの……あさひ。ふぅん、まだちゃんと覚えているのね」


「まだって、どういうことだ?」


「さぁ」

 イヴはひと際大きな木の前で立ち止まった。

「着いたわ」


 もう話題に飽きたかのように囁く仕草で、この会話はピリオドとなった。


 イヴが指差した場所にあったのは、本当に立派な大樹だった。

 どの木よりも太く、がっしりとしていて、根本には人が一人入り込めそうな穴が開いていた。どこまでも伸びる枝は無数に分かれ、葉を宿している。この下にいれば、きっと雨が降っても全く濡れないだろう。


「もしかして、ここに入るのか?」


 根本の穴を指さして半信半疑で訊くと、イヴは当たり前だと頷いた。


「中にいけば、すぐ聖域に着くわ」


 イヴはそれだけ言うと、体から光を発して剣になろうとする。


「ちょ、おい! まさか一人だけ剣になって楽するつもりじゃないだろうな!」


「そのつもりよ。もちろん、優しく運んでくれるわよね?」


 クロノスは静かな森には全くといっていいほど不釣り合いな大きい溜め息を吐いた。冒険をサポートするためのシステムだというのに、どっちがサポートなんだか、と悲しくなってくる。


 結局クロノスは、仕方なく剣を腰にぶら下げて、注意深く大樹の根本を確認した。目を凝らして観察していると、不意に近くから草木を分ける音が聞こえてきた。


『伏せて』


 イヴの声が脳内に直接届く。当然のように起こるこの現象が、クロノスはどうにも慣れることが出来ず、少し不快だった。


 身を屈めて、極力呼吸の音も小さくした。やがて、低い濁声が耳に届く。


「村までいったやつら、戻ってきたか?」


「なんだおめぇ、知らねーのか? 殺されたんだよ」


「えっ!? 誰にだよ」


「何でも、冒険者がいたらしいぜ」


「マジかよ!」


 驚いているほうが笑いを零した。声の低さと会話の内容からして、ドランド族だということが分かる。


「随分と前にも、我らが王の父上に当たる人が、冒険者と会ったことがあるらしい」


「冒険者ってのはそんな何人もいるもんなのか?」


「詳しくはしらねぇが、最初の三人と、今回その村にいたとかいうやつしか俺はきいたことねぇなぁ。それによぉ、聞いた話じゃ一人は喰われて、もう一人は生き埋めにされてたらしいぜ」


「ひゅーっ! 流石怪力自慢なやつらだけあるな。俺たちも真似して、村にいるとかいうやつを埋めてやろうぜ」


「バーカ、お前じゃ雑魚すぎて役に立たねぇよ! 品位が下がるから、あの村には近付くなよ」


「へいへーい、ったく、兄貴は用心深いっすなぁ」


 声は次第に遠ざかっていく。


 やはり、アンナたち三人が来てからかなりの時間が経っていることが分かる。それに、生き埋めとはなんだろう。


 イヴはどう思っているだろうかと気になったが、頭に言葉が浮かぶことはなかった。

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