ミリオンクエスト ~100万MPで異世界攻略~

糠酵太

第1話 クエストスタート

 目が覚めたら地獄だった。


 いや、本当に地獄かは分からない。誰かがそう言ったわけでも、看板にそう書かれているわけでもない。

 ただ目を覚ました少年、星野裕真ほしのゆうまの少ない語彙では、目の前の光景をそうとしか表現できなかったのだ。


 赤茶けた大地は所々に亀裂が入り、青白い火柱が噴き出している。

 遠方には針のように鋭い山が無数に立ち並んでいる。

 鉛色の空にはハゲタカに似た不気味な怪鳥が飛び回り、耳障りな鳴き声を上げている。


 極めつけは青白い巨人だ。

 目算で20m……いや30mはあるだろうか? 全身が死体のように青白く、頭髪や眉毛が無い。彫りの深い独特の顔立ちは若者のようにも年寄りのようにも見える……。

 そんな化け物が、その巨体に見合う巨大な鎖で縛られ……やはり巨大な三角木馬に跨っているのだ。


 あまりに非現実的な光景……

 夢か? 夢なのか?


 だが夢にしては肌に感じる不快な熱気と、鼻を突く硫黄の香りはリアリティがありすぎた。


「貴様が来るのを待っていた」


 急に不気味な声が聞こえ、心臓が飛び出るほど驚いた。

 しかもその声は耳元から……いや、もっと近く……頭の内側から直接響いている!

 誰の声だ!? まさか目の前の巨人!?

 慌てて巨人の方を見ると、目が合ってしまった。

 青白い死人のような肌とは対照的に、その目は爛々と輝き生気に満ちていた。

 その目で睨まれた裕真は、言いようがない恐怖に駆られ、一心不乱に逃げ出した。少しでも巨人から離れようと無我夢中で疾走する。


 だが逃げられなかった。


 いつの間にか不気味な軍勢――動く骸骨の群れに包囲されたからだ。

 骸骨達は鈍く輝く黒い槍と古代ローマを思わせる意匠の鎧で武装していた。

 その数はざっと見ただけで数百体。裕真に抵抗する術はなく、骸骨兵士に両脇を抑えられ巨人の前に連れ戻された。


「我が恐ろしいか? 怯えるのは分かるが、落ち着け」


 また脳内に声が響いた。どうやらあの巨人のもので間違いないようだ。

 先程よりも若干声のトーンが柔らかくなっている。自分を怯えさせないための配慮なのだろうか?


「まず自己紹介しよう 我は『ボイド』、この世界『カンヴァス』にて死の領域を司る『冥王』である」


 ボイド、カンヴァス、冥王……。聞きなれない単語の羅列に軽く眩暈がした。

 それにしても冥王……王だって? ボロ切れを纏い三角木馬に跨る姿はどう見ても囚人、罰を受ける側の姿だ。

 疑問点は次々に浮かぶが、恐怖に震える裕真に質問をする余裕は無く、『冥王』とやらの話を黙って聞くしかできなかった。


「我は貴様に危害を加えない。それどころか逆に救ったのだぞ」


 裕真は呆気に取られ「はぁ?」と唸った。

 こんな地獄のような場所に連れてきて何を救ったというのだろうか?


「単刀直入に言おう。お前は死んだ、生き返りたくば我が命に従え」


 巨人の言葉に裕真は目を剥いた。


「俺が死んだ!? んなアホな! こうして二本足で立ってるじゃないか!」


 と言ったところで、急に立てなくなった。

 二本の足があらぬ方向に折れ曲がったからだ。

 異変があったのは足だけではない。腕も曲がってはいけない角度に曲がり、全身に激しい痛みが走り、額と口からドロリと赤黒い血が止め止めなく流れ落ちる。

 これはまるで……何か巨大な力で全身を打ち据えられたかのような……


「それがお前の本当の姿だ」


 冥王のその一言で裕真の記憶……ここに来る直前の記憶が蘇った。

 

 それは何の変哲もない平日の朝。

 いつものように学校へ向かう通学路。

 そこで凶暴なカラスに遭遇し、襲われたのだ。


 カラスは裕真の頭ぐらいの大きさしかなかったが、いかんせん野生動物に襲われるなど初めての体験で、パニックに陥ってしまった。 

 野生の迫力に気圧され、車道に飛び出してしまい、更に悪い事に大型トラックが……


 そう、トラックに撥ねられて……死んだのだ!


「そのままの姿では会話するにも支障が出る。故にわれが五体満足の姿にしていたのだ」


 巨人の言葉に、戦慄し青ざめた。

 それは逆に言うと、いつでも元の状態に……轢死した姿に戻せるということだ。

 他人に生殺与奪を握られているのが、こんなに恐ろしいとは……。


 「わ…分かった……分かりました。俺は死んで、貴方が神様で……死んだ俺をここに呼んだわけですね……?」


 全身の痛みに耐えながら、なんとか声を絞り出した。完全に納得できたわけではないが、今は飲み込むことにする。

 巨人は「うむ」と唸り、再び指を鳴らす。

 すると裕真の身体は瞬く間に健康な状態に戻り、また立ち上がれるようになった。死にそうなほどの痛みも無くなり、精神面も若干安定する。

 多少の余裕が出来た裕真は冥王に質問を試みた。分からない事、知りたい事が山ほどあるのだ。

  

「あの…… なんで縛り付けられているんです?」

「かつて罪を犯した。それ故、刑に服している」

「……神様なのに?」

「神であろうと罪を犯せば罰を受ける。それがカンヴァスの掟だ」

「へ……へぇ……公平な世界なんですね。それで何の罪を?」


 冥王は暫し黙した。気まずい空気が流れた後、重々しく口を開く。


「貴様には関わりない話だ。……というか、そんな話で時間を費やしてよいのか? 我はご覧の通り受刑中の身ゆえ、あまり長話は出来んぞ」

 

 本当に時間が無いのか、単に話したくないだけなのか……。

 どちらにしても、これ以上この件について訊ねても無駄だろう。

 ならばと裕真は質問を代えた。

 

「それじゃ俺にいったい何の用なんです? 死んだ俺をわざわざ地球から呼び寄せて、何をやらせるつもりです??」


 冥王は「うむ」と軽く唸ると、勿体つけるように一呼吸おいてから、うやうやしく語った。


「我が世界、『カンヴァス』にて、古の邪神が目覚めようとしている。それを貴様に討伐して貰いたい」

「……は?」

 

 それを聞いた裕真、聞き間違いかと思い、問い返した。


「邪神……ですか? それを俺に?」

「うむ」


 聞き間違いじゃなかった! 正気か!?

 驚きのあまり、声を荒げて叫んだ。


「いやいやいや! 無理! 無理です!! 俺、カラスにも負ける程度なのに、邪神とやらに勝てるわけないですよ!!」

「無論そんなことは分かっている、だから貴様に“力”を与えた」


 力を与えた? 何のことだろう?

 裕真は自分の手をしばし見つめ、握ったり開いたりしてみた。

 特に変わった様子はなく、いつも通りだ。見た目では分からない何かだろうか?


「あの……俺に与えた力って、なんです?」

「100万MPだ」

「は……? ひゃくまん……えむぴー?」


 裕真は首を傾げた。今度こそ聞き間違いかと思い、もう一度訊ねる。


「MPってあれですか? ゲームとかで魔法を使う時に消費するやつ?」

「そうだ、魔法を使う為のMPを100万だ」


 今度も聞き間違いじゃなかったようだ。


「MPって……そんなゲームみたいな……あ、もしかしてカンヴァスってゲームの中の世界なんですか?」

「失礼な。紛れもなく現実の世界だ。……まぁ魔法が無い世界の者からしたら、そう考えるのも無理はないが」

 

 なるほど、カンヴァスという世界では魔法が実在していて、それを使う為に必要な力を『MP』と呼んでいるのか……地球のファンタジーRPGのように。 

 なんとも奇妙な一致だが、そういうものだと一旦置いておき、質問を続ける。


「あの……100万MPで何をしろって言うんです? 俺、魔法なんて使えませんよ?」


 まさか、これから魔法の勉強をしろというのだろうか?

 正直言って裕真は、あまり勉強が好きではない。それをこの陰気な冥界でやるのだとしたら拷問に等しい。

 

「その心配はいらん。カンヴァスには魔法を習得してなくても魔法を使う手段がある」


 そう言うと冥王は手下の骸骨兵に目配せした。

 合図を受けた彼らは、豪華な装飾が施された箱を裕真の目の前に運ぶ。その中にはまるで悪魔の角のように捻じくれた禍々しい形状の杖が入っていた。


「それは我が財宝のひとつ、《暗黒星の杖》だ」


 暗黒星……デザインだけでなく名称も禍々しかった。 


「カンヴァスには魔法の力が込められたアイテム、『魔道具』というものが存在する。それを使えば魔法を一切学んだことがない者でも魔法が使えるという訳だ」

「魔道具……マジックアイテムですか。へぇ、そんな物が本当にあるのか……」


 こんな状況なのに、RPGみたいな物が出てきたことにワクワクしてしまう。

 裕真はゲーム……特にRPGが大好きだった。


「……それで、どうやって使えば良いんですか?」

「まず、その杖を握れ」


 冥王に言われるまま杖を握る。その時思わず「あっ」と小さく声をあげてしまった。

 今まで感じたことのない奇妙な手触り……杖と自分の神経がカチリと接続されたかのような感触を味わったからだ。

 未知の体験に戸惑い、これはいったい何なのか尋ねようとしたが、声を上げるより早く冥王の話が続く。


「あそこに山が一つあるだろう?」


 そう言いながら視線を向けた先には、巨大で険しい灰色の山があった。

 正確な大きさは分からないが、裕真の目算では家族旅行で登った筑波山(標高922m)ぐらいあるように見える。


「あの山に『魔法』を打ち込んでみよ。やり方は簡単だ、その杖をあの山に向け『MP100万 ダークノヴァ・ストライク』と唱えれば良い」

「……はい? ダークノ……」

「待て! 迂闊に唱えるな! 所持者の声が発動の引き金になっているのだ!! ……使用する時はしかと対象に杖を向けよ」

「あっ……はい、すいません」


 そんな簡単なことで魔法が使えるのか? 訝しみつつも、言われた通り杖の先端を山に向け呪文を唱えた。


「……MP100万、《ダークノヴァ・ストライク》」


 なんか、ごっこ遊びみたいで恥ずかしい…… 

 などと思った矢先、杖の先端から黒く禍々しいエネルギーの塊が放たれた!

 

 暗黒の塊は標的の山に命中するとみるみる肥大化、山全体を飲み込む。

 そして数秒後、暗黒の塊が胡散。その後には何も残されて無かった……

 先程まで存在していた山が丸ごと無くなったのである。標高900mぐらいあった山が。


「ひ……ひぇぇ……」


 そのとんでもない威力に腰を抜かした。核兵器を使ったとしても、山ひとつを跡形も無く消し去るなんて不可能……なはずだ。


「その杖には闇属性の最上位攻撃魔法ダークノヴァ・ストライクが付呪されている。全てを飲み込み破壊する力を持つ『闇』の塊を放出する魔法だ。それを100万MPで打ち出すとこうなる」


 と言いながら、いまだ腰を抜かしたままの裕真に顔を向けた。

 ちゃんと話を聞いているかを確認した後、更に説明を続ける。


「魔法の威力はどれだけのMPを注ぎ込んだかで決まる。魔法を『炎』、MPを『燃料』と例えれば分かりやすいか?」

「……なるほど、たくさん注ぎ込めばそれだけ大きな炎……魔法になると。知力や魔力みたいなステータスではなく、消費MPで威力が決まるシステムですか」


 裕真は『魔法』という未知の力を、ゲームシステムに例えることで理解を試みた。


「どうだ? これなら貴様でも邪神を倒せそうだろ?」

「そ……そうですね……、邪神というのがどんな奴か知らないけど、これを喰らって生きてる奴なんて想像が――」


 と言った矢先、裕真の脳裏に新たな疑問が浮かんだ。


「待って下さい! なぜ異世界人の俺に? これだけの力、俺に渡すより『カンヴァス』の人に渡せれば良いじゃないですか!? そう、わざわざ異世界人に任せる理由が分からない! 現地の住人に任せた方が説明の手間も省けるし、神の言うことなら素直に従うんじゃ?」


「ほう、そこに気付いたか」


 冥王は感心したと言わんばかりに軽く唸った。裕真は小馬鹿にされた気になり眉をひそめる。 


「まず第一に、我ら神々はカンヴァスの民に対し公平でなければならぬ。そしてカンヴァスの民と一口に言っても、多種多様な種族、国家が存在しており、残念なことにそれらは、お互い仲良し……ではない」


 冥王はため息をつき、眉間に皺を寄せながら言葉を続けた。

 

「その中から特定の個人を選び力を授けたら、その者が属している種族、国家を贔屓してるかのように思われ、争いの種になりかねん。だからこの世界と関わりない異世界人を召喚し、力を授け、任務にあたらせるのだ」

「……つまり大衆への公平アピールのために? そんな理由で!?」


 裕真はあきれた。神様なのに人間の顔色を窺わなきゃいけないなんて。

 まぁ人間の意見を無視する独裁体制よりはマシかもしれない。だがそれになぜ自分が付き合わなければ……


 ……いや、付き合う理由は十分あった。


「えーと……分かりました、やりますよ。こっちは命を助けられた訳ですし」


 自分が生かしてもらってる立場なのを思い出した。断ればまた手足が捻じ曲がった轢死体に逆戻りだ。

 素直に“死”という運命を受け入れるのなら従う必要はないが、裕真はまだそこまで人生に満足していない。この世にやり残したこと、やりたいことが山ほどあるのだ。


「ほう、物分かりが良くて何よりだ」

「そりゃあもう。つーか断ったら元に戻る……つまり死ぬんでしょ?」

「まぁ、それはな」

 

 冥王は先程までの渋面から打って変わり、ハハハと朗らかな笑顔を見せた。

 それとは対照的に、裕真の顔は曇る一方である。

 見知らぬ世界に行って、邪神などという得体の知れない怪物を倒せというのだ。その過程で待ち受ける苦労は計り知れない。想像しただけで気が滅入る。


「そんな顔をするな、ちゃんと褒美も用意してある。命を助けたのだからタダ働きをしろ、なんてケチなことは言わん」

「褒美……ですか?」


 冥王はまた骸骨達に目配せをする。

 それを受けて今度は宝箱ではなく、銀色の箱を運んできた。

 それはドラマや映画で見た現金輸送用のアタッシュケースにそっくりで……

 

 いや! そっくりどころじゃない! まさか本物!? 地球の物なのか!?

 

 疑問を口にする前に骸骨兵はケースを開き、中身を見せつけた。

 中には札束が……日本国の1万円札の束がギッシリ詰まっている!!

 しかもケースは一つだけではない。骸骨達が次々に運んできて、裕真の目の前にドカドカと積み上げた。

 その数は100個。このケースは確か1箱で1億円ほど入るやつだから……

 

「貴様の国の通貨、イチマンエンサツを100万枚ほど用意した。邪神討伐の暁にはこれをやろう」


 イチマンエツサツ……1万円札を100万枚……? それってつまり……

 1 0 0 億 円 ! ?


「こここ……こんな大金本当に貰っても……いやいや! そのお金どうやって用意したんですか!?」

「我も闇雲に地球人を召喚しているわけではない。確と地球の文化、風習を勉強している。たとえば何を与えれば喜ぶのか……とかな。貴金属や宝石を与えたとしても換金するのは手間であろう? だからすぐに使える現金を用意したのだ」

「いやいやいや! 冥王様! その現金をどうやって調達したのかって聞いてるんです!! イヤですよ! 使ったら警察に捕まるようなお金は!!」


 興奮し若干無礼な物言いをする少年を、冥王は咎めることなく宥めるよう静かに語った。


「説明すると長くなる。どうしても知りたいなら邪神討伐を終えた後に聞かせてやる。ただ一つ言っておくと、貴様がこの金のせいで不利益を被ることは無い。警察に出処を聞かれたり、税務署に詰められたりな」

 

 裕真は絶句した。

 詳しい……この冥王、地球に詳しすぎる! 想像以上に地球の事を勉強している!

 今まで不気味としか感じなかった三角木馬の巨人が、途端に頼もしく、神々しく感じられた。……まぁ本当に神なのだが。

 

「もちろん非課税だ。この金は全額、何の気兼ねもなく自由に使えるぞ。それを含めた上での報酬だ」

「おおおおおお……」


 税金まで!? 万全のアフターケア! まさに神対応! ……本物の神だけに。


 先ほどまで肩に圧し掛かっていた重圧が嘘のように消えていた。逆に浮き上がりそうなほど気分が高揚する。


 自分は勉強や運動が出来るわけでもない。絵とか音楽とか秀でた才能があるでもない。平凡な成績で卒業して、平凡な会社に就職して、平凡な収入で慎ましい生活を送るものだと思っていた。


 だが、そんな自分に思いがけぬチャンス!


 100億円! 一生遊んで暮らせる金! 豪邸! 美食! 海外旅行! あとなんかカッコイイ車!


 沸々と湧いて出る欲望が裕真のモチベーションを後押しする。


「やります! オレ、邪神を倒します!!」

「おお、やる気になってくれたか。頼もしい」


 我が意を得たりと満面の笑みを浮かべる冥王。


「安心せい。全て我の指示通りにすれば上手くいく。貴様は万事我の言う通りにすればよい」


 なにか若干引っ掛かる物言いだったが、すぐに忘れてしまった。

 それより100億円の使い道で頭がいっぱいだったからだ。


 こうして普通の高校生だった星野裕真の、夢と希望と物欲の異世界攻略が始まった。


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