夢縁仏崩れまで
スピリタス
プロローグ:夢縁仏
無縁仏─(むえんぼとけ)─
祀ってくれる者(供養してくれる者)のいない仏のこと。
──仏教民俗学会『仏教民俗辞典』より抜粋
真っ暗な夜の山道を、一台のワンボックスが通っている。
舗装されていない道のせいで、車内はガタガタと上下左右に揺れていた。
振動が響くたびに、ヒビの入ったバックミラーから鏡がパラパラと下に落ちる。
運転席の斜め後ろの席で、僕は窓の外に視線を向けた。
窓には、血と泥の混ぜられた液体で付けられた手形が所狭しと並んでいる。
戦ったわけではない。僕は寝て起きて逃げただけである。
車内に落ちる沈黙に耐え兼ねて、僕は口を開いた。
「お化けとか、妖怪とか、幽霊とか……今は『怪異』って呼ばれてるそいつらって、人のことを脅かさないと存在していないのと一緒じゃないですか」
返事は無い。
車を運転してくれている
「そう考えると、夢に出てきてまで驚かそうとするのって、彼らなりのSOSだと思うんですよね、僕……」
「さぁどうかね、夢に出てきているのは
バリトンボイスが車内に響く。
1時間ほど前には黒いヘドロを吐き出していたのに、こうして話にまで乗ってくれるのは本当にタフだ。
僕は軽く肩をすくめて、口を開いた。
「そこらへんは分かりませんが……供養してくれる人がいない彼らって、それこそ無縁仏みたいなものじゃないですか?」
言っておきながら、自分でも疑問符を頭に浮かべてしまう。
無縁仏はきちんと供養をして、鎮めるなりご利益を貰うなりするものだ。
この世にはギブアンドテイクでは測れないものがあって、今回僕が襲われたのもそちらに当たる。
それに、供養なぞできる筈もない。だからこそ、怪しく異なるもので、怪異なのだ。
何か違うような気がするも、うまい言葉が思い浮かばず、首を傾げる。
それに対して教授は、くっくっ、と小さく含み笑いを漏らして、言った。
「すると大宮くんは何かね、彼ら怪異にとっては仏かね?」
「あぁいや、わざわざ夢を通じて驚かされてる自分が、怪異を救ってるって言いたいわけじゃないですよ」
身の丈に合わない仏という響きを、両手を振って否定する。
そう、夢。今回も、元をたどれば結局、僕の夢が発端だった。
僕が夢を通じて怪異に触れるのか、怪異が夢を通じて僕を見つけるのかは分からない。
「仮に仏門に入ったとしても、仏にはきっとなれません。仏崩れです」
無に等しい、夢だけの縁。夢縁仏崩れ。
なれたとしても、それが限界だ。
「あ、日付変わりました」
「おぉ、誕生日おめでとう。生きて迎えられたな」
薬師教授が、半笑いの声を漏らす。
僕は軽くお礼を言うと、目を閉じて自分の姿を思い浮かべた。
僕は大宮アキ、19歳改め20歳。
人に言える程度の個性は3つ。
1つ目は、指が前後に90度曲がること。
2つ目は、文系だけど数学の方が得意であること。
3つ目は、夢を通じて怪異とつながってしまうこと。
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