一月二日

「 ○浅草仲店界隈元旦の空爆で焼けたる由。

 ○矢崎徳光『不滅の科学者』を読む。」(12頁)


 二日の項はこれだけの短いものです。日によってあっさりと書き流している時もあれば、何ページにもわたって延々と書きつけている時もあるのは、日記のつねですね。


 三十一日〜一日の夜の空爆の被害が次第に伝わってきています。


『不滅の科学者』は教育学者・矢川徳光の著作で、潮文閣から1943年に出版された『不滅の科学者 ケプラー,ガリレオ,ニュートン』のことで、矢崎は矢川の誤記だと思われます。これは三科学者の事績を追った伝記本です。


 のちのち見ていくように、誠也が読んでいる本は小説や詩、文学関係が多い一方で、学校で学んでいる医学の参考書や『不滅の科学者』のようなサイエンスものまで多岐にわたります。


 小説家・山田風太郎の出世作『甲賀忍法帖』は、荒唐無稽な忍術に、もっともらしい”科学的”な理屈をつけたのが画期的だったと言われることがあります。


 たとえば、朱絹あけぎぬという女忍者は全身から血の霧を噴出することで敵の目をくらます能力の持ち主ですが、それを風太郎はこのように解説してみせます。


「 ――古来、人間の皮膚に生ずるウンドマーレーと呼ぶ怪出血現象がある。なんの傷もないのに、目、頭、胸、四肢からふいに血をながすものであって、ある種の精神感動が血管壁の透過性を昂進こうしんさせ、血球や血漿けっしょうが血管壁から漏出ろうしゅつするのだ。思うに、この朱絹は、この怪出血現象を意志的にみずから肉体に起こすことを可能とした女であったに相違ない。」(山田風太郎『甲賀忍法帖』1959年、光文社刊。引用は1998年刊の講談社文庫版、65頁より)


 ウンドマーレーなる現象が存在する事実と、それを自在にあやつる能力者の実在性との間にはもちろん大きなギャップがあるのですが、専門用語を巧みにあやつることで読者にその懸隔を飛び越えさせてしまう。これが(特に初期の忍法帖にみられる)風太郎流忍法なのです。


 こうした”科学的”レトリックは現代の漫画やライトノベルの「能力バトル」でもしばしば使われますが、山田風太郎作品に特徴的なのは、人体を機械のような機能的存在に見立てているところだと思います。その背景には生理学や解剖などの医学を学んだ経験があるのはまちがいないでしょう。


 医学校で受けた教育と雑多な読書の体験が、のちの「忍法帖」にもつながっているのではと思います。

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