水底からの目覚め/あの日の約束
黒川亜季
1. 出会いを待つ日々(1)
元寇時代の沈没船 引き上げへ
――市沖で当時の状態をほぼ保って発見された元寇時代の沈没船について、市の教育委員会は引き上げ作業を1日から開始することを明らかにした。この海域ではこれまでに元寇時代の軍船が何隻も発見されてきたが、今回発見された船は保存状態が良好で、また技術的な目処も立ったとして引き上げが決まった。関係者によれば船体は切断せず、鉄製の檻で周囲を囲む方式で引き上げる見通しで、海況を見極めながら大型クレーン船による作業に入る予定。12年前にはクラウドファンディングを活用して大碇の引き上げにも成功しており、成功すれば「元寇の島」の新たな観光資源として注目を集めそうだ。
1
地方紙の小さなベタ記事だったが、いつも通り血の巡りの悪い朝を迎えていた
口に持っていきかけていたパンを、取り落としそうになる。まるでマンガの中の登場人物みたいにわたわたと明日菜はパンを受け止めた。
「明日菜、どうしたの? 行儀悪いわよ」
「ごめんごめん、ちょっと驚いちゃって」
母親の
「なあに、知ってる人でも、新聞に出てたの?」
「ううん、そうじゃない。ほら、これ。元寇船を引き上げるんだって、今度」
「ああ、港の方で騒ぎになってるやつね。昨日、郵便局で
歴史や地理にはまったく興味のない峰子が知っているくらいだ。記事の大きさ以上に、身近で起こったイベントのインパクトは大きい。
船の話はそこそこに、話題が寺上さんをめぐる人間関係の方にそれて行く母親の言葉を適当に聞き流しながら、明日菜は心の奥にじんわりと湧き上がってくる熱いものを少しずつ感じ始めていた。
あれから12年、もうすぐ12年だ。
しみじみと記事を見返す明日菜の様子に、峰子が気付いたらしい。先生なのに人の話を聞かなくていいの? などと小さな嫌みを挟みながら、感心した様子で明日菜に話しかけた。
「あんた、中学も高校もこういうの、歴史? 考古学? なんかそんなの好きだったものねえ。国語の先生になったのに、今でも好きなの?」
「うん、ずっと好きだったし、今も好きだよ」
「博物館だっけ? 一度、婦人会で見学に行ったわよ。この新聞の船も、あそこに飾られるのかしら」
「多分ね」
「なんか狭いところだった気がするけどね……。あそこに入るくらいの大きさなのかしらね」
「ゴメン、そろそろ行く」
好きなことの話題を、本当はものすごくたくさん語りたいことがある話題を、それほど興味を持っていない人と共有するのは難しい。特に峰子は話題がすぐに脱線するところがあるから、胸の中に湧き上がってきているこの思いを伝えきれる自信がない。――それで、ついこんな乾いた対応になってしまう。
「はいはい。ま、こんな何もない島にもたまには賑わいってね。お仕事、遅刻しないようにね。気をつけて行ってらっしゃい」
腕時計を見る。「そろそろ行く」は話を打ち切る言い訳だったが、意外にいい時間だ。明日菜は慌てて目の前のパンを片付けると、食卓から立ち上がった。
開け放した窓からは、春の暖かく爽やかな空気が流れ込んできている。今日はいい天気になりそうだ。
この天気が、週末まで続きますように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます