第3話 玉藻と依頼

 ブロンドの長い髪をしたその美女の頭には狐耳が生えていた。

 服装は白いオーバーサイズのTシャツに、群青色のジーンズとラフなものだ。

 靴も平凡な白いスニーカー、 ありきたりな装いの中に一点だけ特異点のように違和感があるのは、異様に大きく盛り上がった胸だけだ。

 胸に引っ張られているのか、Tシャツが引き上げられてヘソが見えている。


「玉藻、陰陽寮の総代がこんな地方に何の用だ? お前も忙しいだろうに」

「無明。お主こそ、こんなところで何をしておる?」

「無論、日銭稼ぎだ」

「おかしいのう。お主が言うと、こちには違う意味に聞こえるのじゃ」


 多くのはぐれが顔を青ざめさせている中、ちらほらと胸に好色な視線を向ける者も見受けられた。

 愚かな、と思った時には「あっちい!?」と叫ぶ悲鳴と共に、玉藻の胸に好色な視線を送っていた何人かの頭が燃えていた。


「のう無明。ここ最近、旅のはぐれが訪れた地方都市の陰陽寮で喧嘩騒動を起こしては、喧嘩相手から財布をスリ取る事件が多発している」

「なんと、物騒な世の中になったものだな」

「その者は、なんと元朝廷陰陽師だそうだ」

 

 皆の視線が一斉にオレに集まった。


「これも多様化の時代か。朝廷陰陽師からはぐれになる者も多いのだなあ」


 感慨深く呟いたら、玉藻の目が細まった。

 ジーンズの腰から出ている尻尾が、ひょこひょこと大きく揺れ動いている。


「なるほどのう……ところで、その左手に持った財布はどいつのじゃ?」

「オレのだ」

「拙僧のだ!?」

 

 いつの間にか起き上がっていた忌憚坊が、勢いよくオレの手から財布を取っていく。


「い、いつの間にスリやがったんだ……くそっ」

「坊主、お主が殴りかかった時じゃ。全く、そんなことも気づかんのかえ?」

「た、玉藻様……」


 でかい図体の忌憚坊が、己の腹位置程度の背丈の玉藻に縮こまっている。

 陰陽寮の総代、玉藻御前はこの国の頂点である天帝にも側付きを許された唯一無二の女傑だ。

 血の気の多いはぐれも彼女の前では随分とおとなしい。

 忌憚坊も例に漏れないようだ。


「なんだ、最初から見ていたのか。全く、やはり現れたか女狐め」

「ちょ、おま、言葉……玉藻様だぞ!?」

「で、やはり学校の件か?」

「なんじゃ、予測して負ったのか。小生意気な」


 牙を見せるように笑う玉藻は最初からこの事件をオレに振る気だったのだろう。

 だが遺体が一つ出たくらいでわざわざこんな地方に来るほど玉藻も暇ではないはず。

 きっと、もっと厄介な裏があるに違いない。


「なんと驚け、ミイラ遺体が別の場所でも発見された」

「ふむ……」

「殺されたのは聖騎士。干からびて、心臓を抜かれた状態でのう。昼間の学校の遺体と一緒じゃな」

「聖騎士……海外の退魔師がなぜこの日ノ本に? フリーの傭兵か?」

「外交官の護衛だったのじゃが、殺されよった。同盟国のグレトニアはカンカンじゃよ」

「──で、その犯人をオレに?」

「いかにも」

「断る」

「ほう。よいうのかのう? 日銭稼ぎの無明とやら」


 妖しく笑う玉藻に、逃げ道を塞がれたような気がしたが、おそらくこの直感は間違いない。

 元より妖狐族は非常に狡猾で知恵の働く種族だ。

 その頂点、天帝と共に長くこの日ノ本を治めてきた玉藻に知恵比べで勝とうというのは無理な話だろう。


「お主、伊勢を目指して旅しているようじゃが、路銀はあるのかのう?」

「うっ」


 そこを突かれると弱い。

 朝廷を追い出された時、野暮用でそれまでの財産はすべて使用してしまった。

 無一文から始めた旅だ、ハルを飢えさせずに続けるには金がない。


「のうハル! 久しいのう。お主も甲斐性無しの男など見限ってコチと一緒に大和に来んか?」

「ねえね、おっきい。うぶぶぶ……」


 玉藻に抱きつかれ、ハルがその豊満な胸に埋もれる。


「しかもこの信濃に寄ったということは、次の目的地は奥秋寒じゃろう? 千年紅葉の琥珀結晶が目的だとすれば、金が無いと意味がないんじゃ無いのか?」

「ったく、すべてお見通しか」


 今、オレの霊力は乏しい。

 全盛期の頃と比べれば、十分の一もないだろう。

 そんな霊力を回復させるために次の目的地に向かうつもりだったのだ。

 この信濃から続く街道の先には常秋の地、奥秋寒おくしゅうかんという場所がある。

 霊脈から直に汲み上げた霊泉の湯と、霊樹千年紅葉せんねんこうようから稀に獲れる琥珀結晶は失った霊力の回復と代用に心強い。

 ちなみに温泉に入るにも、琥珀結晶を買おうにもどちらも今の所持金以上の金がかかる。


「そんなお主に朗報なのじゃが、この件は来たる神授降誕祭に向けて早く事件を解決したいと信濃の県知事も急いでいてのう」

「なるほど、だからそなたが出てきたのか」


 この日ノ本の成り立ち、天帝が虚神うつろがみからこの国の統治を任された神話に基づく建国祭に、かげりがあってはならないと考えているのだろう。

 天帝は別れた虚神から託されたこの国を、未だ健気に守り抜いているという。

 ──まあ、僅かでもオレの働きがのためになるのなら、協力するのはやぶさかではない。


「三百万でどうだ」

「話が早い。だが報酬は二百万じゃな」

「おい、オレに振るなら望む額でいいだろう? そう破格でもあるまい」


 彼女のためとはいえ、オレも背に腹は変えられん。

 貰えるものはしっかりといただいておかないとな。


「お主だけならそれも適正価格じゃろうが、朝廷陰陽師を巻き込むなら話は別じゃ」

「……玉藻」


 こいつ、本当にオレのことなどお見通しだな。

 当然、強力な妖怪と正面きっての戦いなど御免被る。

 だが朝廷陰陽師と共闘できるなら、手堅くこの件を解決できるだろう。

 朝廷としても外交官が関わってくるのなら、こちらの提案を無碍にはしないずだ。

 現にはぐれ嫌いの撫子が、わざわざ陰陽寮までオレに着いてきたのは情報を集めるだろうしな。


「撫子、それでいいか?」


 一応確認を取ると、優雅に林檎酒を飲み干してホッと一息吐き出した。


「はぐれと共闘なんて嫌だけど……玉藻様が関わっているなら仕方ないわ」


 丁寧に腰をおり玉藻に礼をする撫子だが、油断なく美亜を視界から外さないようにしていた。

 先ほどからくつろいでいるふりをしながら、美亜を観察していたようだ。

 撫子の視線に気づいた玉藻も、美亜を見る。


「ほえ?」


 当の本人は驚いているが、学校での会話は覚えている。

 あのミイラの遺体を用意したような口ぶり、美亜は間違いなく何かを知っている。


「あ、あの……」


 あの遺体と同じブレザー姿に、おさげ髪の美亜は至って平凡な子供という印象だが。


「さあ、美亜。昼のミイラの件、知っていることを話してもらおうか」


 オレたち三人の視線を集めた美亜は、体を硬直させ汗を流していた。





『そんなことより、アンタいつ私にお金返すのよ?』

 

 あ、忘れてた。


「なあ、玉藻。学校の花子事件の依頼料を……」

「あのな、無明。あれだけ校舎を破壊して一万円で足りると?」


 解せぬ。破壊したのはオレではなく花子だろうに。


「言っておくが、此度の依頼料から引いた分は学校の弁済に回すからの? 借金を負わぬだけありがたいと思え」

「ぬう……」


 オレがごねたらこの手札を切るつもりだったのだろう。

 どうやら最初からこの件から逃れる術はなかったようだ。

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