第一の獣 僕の転生前夜
@doniraka
死の影
17歳の冬、夕暮れ。
僕は腕の擦り傷に消毒液を塗りたくりながら、同時にビニール袋に入れた氷で目の横の打撲跡を冷やしていた。
母親からの性暴力とその彼氏からの殴られ役からやっと脱出して始めた学生寮での一人暮らし。しかし逃げた先にもいじめという暴力が待ち構えていた。
今日は一際、あのクソ野郎どもの機嫌が悪かったようで、手ひどく殴られた。こんなにひどいものは何回目だろうか、多分20回はこえているだろうと思う。
だが意外なほどに僕の心は平穏を保っていた。いつものことだ、耐えていればいずれ終わる。今まで見て楽しかった漫画や映画のシーンを殴られている間にも回想していた。
クソ野郎どもの気が済むと僕は解放され、片足を引きずりながらも自室へ帰ってきた。これまたいつも通り、全身が痛い。
一息つくとベッドの横にある棚に目をやる。そこには数百円で売りに出されていた古い映画のディスクパッケージが並べられている。
お金に余裕が出たらこの手の映画ディスクを買っていた。最新作を映画館に見に行ったり、ディスク版を買うのは僕にとっては高くて、とてもじゃないが手が出ない。いや、正確には最新作も買えるのだが、その数千円が食費何日分になるかと計算すると僕の心は途端に映画欲を失った。
そんな感じで時々、僕は安い物品が並ぶ中古店に立ち寄るのだが先日は新しい映画ディスクを見つけた。いや、作品自体は古いものだけど僕が見たことないって意味で”新しい”映画ディスクだった。
後で見ようと棚に置いてそのままだったことを思い出した。僕はそのディスクを手に取り、それから小さい画面の付いたディスクプレーヤーを引っ張り出した。これは2000円ぐらいだったと思う。
ディスクをプレーヤーに入れて映画を再生する。ベッドに寝っ転がりながら見た。
それはオオカミ男が暴れまわるというホラー映画だった。ただ昔ながらのチープな表現で現代を生きる僕にとっては全く怖くなかった。それどころかオオカミ男がやたら暴れまわり、いけすかない登場人物達を殺して回るので爽快感さえあった。どちらかというとスプラッター映画に近かった。
僕はそれほどグロテスクな表現が得意ではない。無理という訳ではないが、好んで見たいとも思わない。この手の作品は楽しさよりも気持ち悪さの方が上回ってしまい、途中で見るのを止めるのだが、今回はどうにもとまらない。
僕は映画を見ているようで見ていなかった。頭の中では僕自身が気に入らない奴を無惨に殺していく妄想が広がっていた。
僕を”元夫の代わり”にする母親、その母親の持ってる金と体だけに興味がある他所の男、僕をいじめるクソ野郎ども、それを見てみぬふりをする教師と同級生。
妄想の中でこれら”いけすかない登場人物”を僕は殺していく。自分の牙で喉を噛みちぎり、爪で肉を裂いて異常な筋力で骨を折る。まさに映画の中のオオカミ男そのものになりきっていた。
しかしこの妄想も映画と共に終わりを迎える。ラストシーンにてオオカミ男が殺されると同時に僕は現実世界に引き戻された。
僕は大きくため息を付いた。現実の僕はトラウマを背負わされ、ボコボコにされ、自分の部屋に閉じこもっては現実逃避をするしょうもない奴だった。僕はオオカミ男ではなく、むしろ狩られる側だった。
映画が見終わったころにはもう夜だった。窓から差し込んできたオレンジ色の光はもうない。
食欲もなく、体中が痛くて動きたくなかった。
寝っ転がりながら部屋を見回す。脱ぎ捨てた服やカップ麺や惣菜の入れ物で散らかった部屋、コンセントや棚の上に溜まるホコリ、薄くカビが浮かび上がった壁、物置と化した小さなキッチン。
風呂に入る気も起きない。僕はそのままベッドで眠りについた。
こういうひどい一日の後には決まってあの夢を見る。暗闇の中で遠くに一つだけ光がある夢だ。その光は暖かく僕を優しく包んでくれる。反対に暗闇は冷たくて、すぐさまにでもここから逃げ出したくなる。
僕は光の方へ向かおうとするが、あの化け物が僕の肩を掴んで止める。これもいつものパターンだ。
化け物は身長が2メートルほどのやせ細った長身の男だ。肌は暗い灰色で、上半身は裸、薄汚れた白色の長い腰巻きを撒いており下半身は見えない。その体はあまりにも痩せているので肋骨が浮き上がっていて、それを覆い隠すかのように白髪の髪が腰まで伸びている。目元はなにか黒い粘液がへばり付いており、顔は鼻と口しか見えなかった。
その化け物は決まって言う。「あれは罠だ」と。
そしてこれもお決まりのパターンだが、僕はその化け物の警告を無視して光のほうへ走っていく。しかし化け物が瞬間移動して僕の前に立ちふさがり、首や腕を掴む。化け物はその細い体からは想像も出来ないほど物凄い力で押さえつけると「まだ早い」と小さく呟いて暗闇の中へ僕を引きずっていく。そして目が覚める。
眠りについた僕は今回もその夢をみた。いつもの光景、いつもの化け物、僕は無視して光へ走る。
だが今回は様子が違った。化け物が止めに入らない。僕は後ろを振り返る。あの化け物はただ立っているだけだった。
「今回は止めないのか?」
僕は化け物に聞いた。化け物は何も言わず、ただ立っているだけだった。僕はなんだか怖くなって、光に背を向けた。それから化け物のいる暗闇に向かって走り出した。いや、光から逃げ出したと言ったほうが良いかもしれない。
しかし化け物がいつもの瞬間移動で僕の前に立ちふさがる。いつもとは逆だった。化け物の側をすり抜けようとするが案の定、腕を掴まれ、それ以上進めなかった。
それから化け物は僕の首を掴むと自分の体を折り曲げて、その顔を近づけてきた。それから優しく、僕だけに聞こえるように囁いた。
「死の影よ。むごたらしく何度も死んで、それから存分に殺すとよい」
それから化け物は僕の体を突き飛ばした。吸い寄せられるように光のほうへ投げ出された。
それから僕は目を覚ました。体中から汗が吹き出しており、ベッドはぐっしょり濡れていた。あれは何だったんだろうと何度も思考を巡らせたが、ただただ疲れるだけだった。
ふと焦げ臭さが鼻をつく。それから視界の違和感に気づいた。電気も付けずにそのまま寝たはずなのに部屋が妙に明るい。僕は体を飛び起き上がらせて周りを見た。
そこには自分を取り囲む炎と煙があった。
第一の獣 僕の転生前夜 @doniraka
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