生きがい中毒

知脳りむ

▶ 再生する

 どうやら私はメンヘラ女とか言うらしいのです。ええ、確かに言われてみればその自覚はありましたよ。


 私の彼への執着は並大抵のものではありません。それはわかっていました。


 でも最初に告白してきたのは彼の方でした。私は信じられなくてもう夢かと思ったほどです。


 奇跡が起きたと思いました。私を好きになってくれる男の人がいるとは思っていなかったから。


 だって、幼い頃から散々除け者にされてきたし、なんとなく鼻つまみ者というか、今後一生社会の隅で他人から漏れ出た幸せの排気ガスを吸って暮らすものだと思っていました。


 そんな私を、彼は愛してくれると言うのだから、信じられなかった。


 信じられないけれど、彼は確かに傍にいてくれて私に幸せを与えてくれていたから、手放したいはずもなかった。


 でもきっと、私よりずっと魅力的な女の人が現れれば、彼はすぐに私のことなんか捨てる。


 そのことが怖くて仕方がないんです。いつかきっと私は捨てられる。じゃあ捨てられた私はどうなるの?


 きっと、元より酷いことになるでしょう。野生動物に餌を与えてはいけないと言われるのは何故だかご存知でしょうか?


 一度餌を与えられる状態を体験すると、自分で餌をとれなくなるからです。


 つまり、私はもう依存してるんです。彼を失ってはいけないんです。


 彼と外出するたびに自然と彼の視線の先を探ってしまいます。別の女性を見ていないだろうか。私より魅力的に映っているのではないだろうか。


 ああきっとそうだ。やっぱりダメなんだ。


 街中で泣いたことが何度あるでしょう。


 不安で眠れなくて、彼のスマホを覗いてしまったあの日は? いつもと違う香水の匂いがしたあの日は?


 散々怒鳴って散々泣きました。彼は「君が好きな匂いだって言ってた香水に合わせただけなのに」と言いました。


 本当にそうでしょうか? 正直、その匂いを好きと言ったかなんて覚えてません。


 別の女性がいるのでしょう。暫く私と身体目当ての関係を続けて、捨てる魂胆なのでしょう。


 困ります。私はあなたに依存しているのに。あなたがいなくなったら私は餌が無くなって飢え死にします。見捨てないで。置いていかないで。


 だから私は考えたんです。依存から抜け出す方法はないかって。


 それで、私は気づきました。彼が居てくれるのは幸せなことなのに、それに依存していることはとても苦しい。


 なら、依存から抜け出せばいいって。


 しかし、依存を治療することなんて意味がない程に、私は身も心もボロボロでした。


 それに大体、どうやって治療なんてするんですか。


 治療は無理。


 それで他の方法を考えた末に、私は依存状態から抜け出すもう一つの方法を思いつきました。


 依存から脱し、唯一の完璧な安寧を得られる唯一の方法。それは中毒を起こすことです。


 考えてみればそうです。禁煙して何年経った人でもタバコが吸いたくなる時はあるのだといいます。


 違法薬物だってそう。フラッシュバックだとか、一生後遺症に苦しめられて生きていかなくてはならぬのなら、そもそも治療の意味があるでしょうか。


 中毒起こせばいいんです。彼を愛することが毒だった。愛おしい存在から投薬された毒。それじゃあ、そもそも解毒するべきじゃない。


 何を反抗することがあったのでしょう。最初から大人しく蝕まれていれば良かったのに。


 私みたいな人間が、そもそもなんの代償も無しに人を愛せると思っていたことが間違いだったんでしょう。


 私が人を愛すのは、毒を飲むのと一緒。それで、私を愛してくれる人は一緒に毒を飲んでくれている。


 はあ……なんて害悪な人間なの。最悪。


 ……違います。こんなことを言うつもりじゃありませんでした。


 まあとにかく、もういいんです。安心してください。自覚してるので。もう居なくなるので。


 ……でも、こんな時にくらい最後のわがままは許してくれるよね? これを見てくれているだろうから。


 ……うひっ、うへへ。


 ねえ、私さ、あなたに忘れて欲しくなくて。最後のわがままだから、いいよね?


 実は私ね、合鍵使ってあなたの部屋入ったの。それでね、今はお風呂場にいる。


 裸になって浴槽に浸かって……今、すごいお風呂のお湯赤いよ。手首切ったんだ。あと、足らへんもちょっと。これで毒みたいにじわじわ死ぬの。


 そしたらさ、この血は頑固な汚れになってくれるかな? あなたが掃除するのにどれくらい手間がかかるかな?


 それと、お風呂入る前に坊主にしたんだ。綺麗って言ってくれてたけど切っちゃった。長かった髪、排水溝に詰まっちゃってさ。


 これ、ちゃんとあなたが掃除してよね。 


 そしたら、少しくらい忘れないでいてくれるでしょ?


 ……まあそれでも、あなたの記憶に一生残り続けるか不安だったから、この声録音してるんだけどね。


 これを死ぬ前にあなたとあなたの親御さんとか友人に送るつもりなんだ。ごめん、スマホ覗いた時に連絡先全部メモしてたからなんだけど。


 優しいあなたなら、これを聞いてくれてるはずっていうのはわかってる。でも念の為、あなたの身の回りの人の記憶にも残しておくことにしたんだ。


 そしたらあなたは絶対私のことを忘れないでいてくれると思ったから。


 あなたがこのボイスメッセージを聞いて、家に帰ったら多分、私の死体があるだろうから、ちゃんと目に焼き付けてね。


 それから、新しい恋を見つけて幸せになってくれれば私はそれでいいから。


 ……それじゃあ、そろそろ切るけどその前に。


 今から死ぬっていうのにさ、私あんまり辛くないんだ。なんでだろう。むしろ安らかな気分。


 あなたが現れるまで私死んだも同然だったからかなあ。


 あなたが現れてからはあなたの存在が私の生きがいだったし、私の存在価値だったからかもしれない。


 その生きがいに依存してさ、中毒起こして死ぬなんて最高じゃん。


 だからさ、私幸せに死ぬから。安心してよ。あと、今まで迷惑かけてごめん。


 それじゃあね――――




 再生終了 00:07:52

 

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