蘇芳社の蛇神
針機狼
蘇芳社の蛇神
静寂が支配する森の中、一人の少女が箒で枯れ葉をまとめていた。
「はぁ、さむいさむい。今日も冷え込むなぁ」
箒の柄を脇に挟みかじかむ両手を重ねて擦り合わせた彼女は、ほぉっと少しズレた羽織を戻し、彼女はまとめた枯れ葉にそっと火を付ける。
「ほぁぁ、あったかい」
ぼうぼうと燃える火に両手をかざして出た言葉がそれだった。
彼女はその火が燃え尽きるまでそれを眺め、遠くで無く鴉の鳴く声を聞き終えてから立ち上がり、両頬をぺちぺちと叩いて立ち上がる。
「よし、今日も一日頑張ろう!」
それがひと月前から続く彼女にとっての一日の始りだった。
ドタドタと足音が響き渡り、寝室に続くふすまが大きく開かれる。
「おーはようございます。神様」
最高の笑顔が開け放たれたふすまの間から日差しと共に差し込み、目線の先にあるソレに注がれたのだが。
「うーー。眠い、後五ねぇん」
帰ってきた言葉は気だるそうな睡眠続行の言葉だった。
「五年も寝たら身体にカビが生えますよ神様。ほら、早く起きて下さい。神様ぁぁ」
被っている布団を彼女が引っぺがすと、たゆんと揺れる大きな双峰が目の前に現れる。
それを目にした彼女は自分のそれと比べ、静かに湧いた黒い感情をぶつけるように足元に伸びる目の前のソレの白き尾を思いっきり掴み引っ張った。
「ぎにゃぁぁぁぁっぁぁぁっぁ。起きる、起きるから引っ張らないでぇ、巫女ぉぉ」
涙を溜めた蛇目を向けて来るソレの様子を見て、彼女はパッと手を放す。
「分かれば良いんです。ほら、神様。朝ごはん出来てますから早く服を着て下さい」
「えぇぇ。やだ、あれ面倒だもん」
「き て く だ さ い」
一言ずつ語気を強める彼女にソレは萎縮した様子で、「はい」と一言返すのだった。
「おぉ、今日も巫女の料理は美味じゃな。これなら小料理屋を営むこともできるんじゃないかのう」
「えぇ、むかしはそんなモノを目指していたこともありましたからね」
「う、すまぬな。そんなつもりでは」
「いいですよ、いちいち気にしなくても。もう終わったことですから、それに今の私には神様のお世話という立派な仕事もありますからね」
「べつに世話などなくてもよいのじゃがなぁ」
「なに言ってるんですか神様。私が来るまで掃除も炊事も洗濯も碌にしてなかったくせに」
「たしかに助かってはいるのじゃが、そもそも我にそのようなものは必要ないと言うはなしでって、ちょ、フシャシャシャシャシャ。やめろくすぐったいじゃろう」
「動かないで下さい。もうすぐで取れますから、んんん。はい、取れましたよ」
そう言って彼女はソレの下腹部から伸びる白き尾の鱗にある隙間から器用に汚れを堕としてゆく。
「ほら、こんなに穢れがたくさん。これを自分で堕とすのは難しいでしょう」
「うぅ、手が届かん場所もあるから助かりはするがくすぐったいのだけは何とかならんものじゃろうか」
「ちょっと我慢すれば良いだけじゃないですか。神様は気合が足りないんです気合が」
「これじゃから体育会系は、気合でどうこうなるものじゃないのじゃぞ。どれ、それを証明してやろう」
朝食を食べ終えて食器を置いたソレは不敵な笑みを浮かべて両手をわきわきとさせだした。
「か、神様? その手は……」
「言わなくてもわかるじゃろう。ほれ、こちょこちょこちょっと」
「ふ、ふふふ。か、神様くすぐったいです」
ソレの反撃に耐え兼ねて、難を逃れようとする彼女だったが、ひんやりとした感触が足を包みその行動を妨げる。
「か、神様!! それは反則、ひゃ」
ソレから伸びる白き尾は蛇が獲物を捕らえたかのようにゆっくりと、しかし締め上げないように優しく彼女の身体を這いまわる。
しっかりと足をからめとられた彼女は最早身動きを取ることが出来きず、成す術もないままにやられたい放題だった。
「ヒヒー、ヒュー、ヒュー。もうダメぇ」
なさけなく倒れ崩れる彼女を前に妙に肌つやを良くしたソレが満足した笑みで立ち尽くす。
「うむうむ、やはり不摂生を正すよりも美少女を接種するのが健康の秘訣じゃな」
満面の笑みで倒れた彼女から流れた汗を一掬いしたそれは、食後のデザートを食べるかのようにそっと舐め取りゆっくりと味わうように喉を鳴らす。
「さて、戯れもここまでとしようかのう。そろそろ眷属達が集う時間じゃ」
「ひゃ、ひゃいぃぃぃ」
声を上げるのもやっとの様子の彼女を見て流石にやり過ぎたかと反省したソレは優しく抱き起こして介抱しながら仕事場に向かう。
現代文明からは切り離されたかのような古風な木造の社の本殿。
その中でソレは、普通御神体が在る筈のそこに堂々と居座っていた。
白と黒が織り交ざる長く端正な髪と陽彩の蛇の目が神秘性を醸し出す人の上半身を持つ一方で、下腹部からは見る者によっては卒倒するような白く長い尾を生やしたソレは、この蘇芳と呼ばれる地を納める土地神である。
「では、眷属達よ。本日の定例会を始めよ」
神の威光を思わせるその声が静まり返る社の中を支配する。
すると眷属と呼ばれたソレの目の前に並ぶ彼らが表を上げて次々と声を発っしてゆくのだが、それを横に並び立つ巫女と呼ばれている彼女は何時もながら、なんなんだろうこの光景はと思いながら見ていた。
彼女から見たこの定例会と呼ばれるそれはまさしく蛇の集会場に他ならない。
神である存在が半人判蛇である以上は想像の付く光景ではあるのだが、やはり人の身である彼女にとっては異様な光景にしか移らない。
しかし、そんな光景もひと月立てば見慣れたもので。かつ、定例会と呼ばれるこの集会で行われる会話を耳にすれば警戒心も自然と薄れると言うもの。
「そうかそうか。隣の山さんが腰を痛めてしまったか。じゃから歳なのに無理するなとあれ程言ったのにのう」
「なに、今年発売予定だったあのシリーズが延期じゃと。くぅぅ、続きが早く気になると言うのに。この流行る気持ちをどうすればよいと言うのじゃ」
「ほう、今年はあの熊が早めに冬眠に入ったと、寒い寒いとは思っておったが、よもやあの食い意地の張るあやつが早々に見切りを付けるとは、今年の実りは相当悪かったと見える」
眷属の蛇達はしゃーしゃーと音を鳴らすだけなので彼女には何を言っているのか分からないのだが、返答する言葉を聞くに大抵が世間話のようなものばかりなのだ。
蛇がこんなに集まってどんなことを言うのかと身構えていた初日の彼女はその日に一気に緊張が解けてしまったというもの。
そんな光景を眺めていると一匹の蛇が彼女の前までゆっくりとやって来た。
そして、もじもじとするかのように身体を左右にくねらせて、しゃーしゃーと鳴く。
「そうじゃのう。そうじゃのう。巫女は我が認める美少女じゃ。しかし、巫女は我のモノじゃからな、手を出そうなどと考えてはならんぞ」
何を言われているのかと困惑していた彼女に内容を理解しやすいように返事を返す神様。
「蛇に口説かれる私っていったい?」
近くにあった鏡の中の自分と口説いて来た蛇を見比べる。
姿形の違いの壁は分厚く、流石に蛇相手は無理だなぁなんて彼女が思っていると定例会は終わったようで集まった蛇達は解散しているところだった。
現代文明の欠片も見当たらない木造の小屋、その中で現代文明の象徴みたいな装置を手に慣れた手付きでブログの更新をする神様。
「なんと言いますか。相変わらず不釣り合いですよね神様」
「そうか? 巫女は気にし過ぎじゃと思うぞ。伝統は大切じゃが時代の波を泳ぐのも長生きのこつじゃぞぉ」
トントントンと小気味よい包丁の音を立てて夕食の準備をする巫女は、片目で神様の操る装置を眺める。
自分が切り離したモノ。自分を切り離したモノ。自分が今此処にいる切っ掛け。
複雑な気持ちで眺めるが、未練が無いとも言い切れない。
現代社会でネットの海を泳いだモノにとってはそれは人が生きる為、無意識に呼吸をするのと同様にどうしても習慣として身に染みてしまっている。
今のトレンドがどうだとか、どの選手が活躍しただとか、話題のドラマがどうのだとか。
「気に成るなら巫女もやるか?」
恐らく、気をつかってそう言ってくれている神様。
「大丈夫ですよ。私はもう大丈夫です。神様が傍に居てくれるだけで十分ですから」
神様のそういった細かな気づかいのおかげで本心からこう言えるようになった。
それがやっぱり嬉しくて、すこしだけ料理に精を出す。
こんな日常がいつまでもいつまでも続けば良いのにそう巫女は胸の内で願った。
夜、寝室へと足を運ぶ。
神様はいつも就寝時は服を脱ぎ捨てていたのだが、今日はなぜか脱がないでいた。
「あれ、珍しいですね。神様が服を着たまま寝るなんて、もしかしてようやく私の言うことを聞いてくれるようになったんですか?」
「なに、今日はそういう気分と言うだけじゃよ」
「? そうですか」
「ほれ、そんなことより早くねるぞぉ」
神様は器用に身体をくねらせて下腹部から生える白き尾を折り畳み布団の中へと潜り込む。
そして、人一人分のスペースだけを開けて、ポンポンと手で布団を叩く。
この小屋には布団が一つしかない。最初こそ居候のみでと巫女が遠慮したが、神様が強引なもので必然的に二人で同じ布団を使うことになったのだけど、その仕草はどうにも子供扱いされているようですこしだけ恥ずかしい。
そういえば神様って今何歳なんだろう。布団に潜りそんなことを考えた瞬間に、まるで心の声を読まれたかのように、ツッコミが入る。
「これ、目上の者を前に歳のことなんぞ考えるもんじゃないぞ」
「はーい」
軽くこずかれた頭をさすりながら生返事を返すとすぐに眠気がやって来る。
ひんやりとした表面とほんのりとした暖かさを同時に感じる不思議な神様の感覚に包まれるといつもこうだ。
きっと泣き止まない赤子だって簡単にあやせてしまえる。そんな心地に包まれながら巫女は夢心地のまま眠りの世界へと入る。
「おやすみなさぁい」
「あぁ、おやすみじゃ。巫女よ」
びゅうびゅうと風のうるさい音が耳に入り巫女は目を覚ます。
「あれ、此処は」
巫女は頭の中にある記憶を辿る。たしか、今夜は珍しく服を着たままの神様と一緒に布団で寝ていたはず。
「なのに、なんで私こんなところに……」
一面真っ白の雪の上、冷たい風が肌を斬るように容赦なく吹き荒ぶ。
まるで魂までもが凍ってしまうかのような冷たい場所。
見覚えがあった。此処はひと月前、彼女が神様に拾われたばしょ。
現実も仮想の居場所も失って唯ひたすらに逃げて行き着いた先。
そして、神様に出会わなければきっと此処が自分の人生最後の場所であったろう所。
「あぁ、そうか夢か」
ふと、疑問の答えを口にする。口にしてしまった。
「あっ。あ あ あぁ」
ポロポロと涙がこぼれる。夢と希望を失くしたから此処に来たのに、最後の最後に良い夢をみてしまった。
幸福で平穏で寂しさとは無縁のひと月の夢。
あんな夢みなければこんな気持ちにならなかったのに。なんて気持ちと、あの夢を見たからこんな気持ちを最後に思い出せたという気持ちが同時に沸き起こる。
「いや。いやだ。いやだよぉ」
温もりを求めて倒れていた雪を掻きむしる。だが、指先から伝わる感触は温もりとは無縁のものしか手にできない。
自分の中から何か特別なものが、失ってはいけない何かが消えてゆく感覚がする。
「いやだ。もう寂しいのはいや。独りになりたくないよぉ。神様ぁ」
祈るように両手を組み掲げて天を見上げる。すると間もなくして、目の前に一つの影が浮かび上がる。
都会から離れた山奥だからこそ良く見える星の明かりが照らすその影は上半身は人のモノ、そして下腹部から先はどう見ても蛇のモノ。
「あっ」
声が漏れる。今までため込んでいた全てが昇華するかのようなたった一つの声が辺りに響く。それが自分のモノだと気付くのに時間が掛かった。
だって、目の前に待ち焦がれた存在が現れたのだから。
現れたその影は声が漏れたと同時にハッキリと姿をみせて、驚いた表情を浮かべる。
「なんじゃ。どうした。巫女よ。なにかあったのか?」
慌てて近くにやって来た神様はそっと巫女の涙を拭って落ち着かせるように背中をさする。
「め、目が覚めたら。そ、とにいて、かみ さまが居なかったから ぜんぶ ゆめ じゃないかって それで それで」
「すまぬな。それ程長い間傍を離れるつもりでは無かったのじゃが。こんなに不安にさせてしまったとは」
「こわかった。怖かったよぉ。かみさまぁぁ」
「よしよし。もう怖いものなんて無いぞ。何せ我が傍にいるのじゃからな。よしよしよし」
「ひっぐ、かみさまぁ。もう驚かせないでよぉぉ」
暫く神様に抱きついていた巫女は落ち着きを取り戻すと同時に顔を上げる。
「それで、神様は私をこんな所まで連れ出して何処へいってたの」
「あぁ、そうじゃった。ほれ、これじゃよ」
そう言って神様は後ろから大きな土鍋と酒瓶を取り出して見せる。
「鍋ぇ? なんでそんなのぉ」
「なんでって、そうじゃのう。お、丁度よいタイミングじゃな」
まるで分かり切っていることのはずじゃろうなんて口調で戸惑う神様は、何かに気が付いた様子で巫女にもその先を見るように目線で合図を出す。
なにがなんだか分からない様子で巫女が背後へと視線を移すと突如、無明の暗闇に一筋の光明が差す。
「あ。…………」
その光を見ると巫女は言葉を失ったかのように声を出すことすら忘れる。
「ほれ、今日は元旦。年の始まりにして最初の日の出、いわゆる初日の出というやつじゃな。前から初日の出は二人で観ようと決めておったではないか」
神様のその言葉を聞いてようやく冷静な頭で過去の記憶を遡ると確かにそんな会話をした記憶が存在した。
「あ、えっと。その」
そのことを思い出すと同時に突然頬が熱くなる。さっきまでの自分の醜態ぶりに別の意味で泣きたくなってしまった。
「でもなんで鍋なの。神様」
「めでたき日には祝うのは当然じゃろう。そして祝うと言うなら鍋じゃよ。鍋」
羞恥心を端に置くように別の話題を巫女が振ると、神様は当たり前のことを聞くなとでも言わんかのようにそんな事を言い切る。
相変わらず神様の考えは分からないと思う巫女は、神様の手元を見て在ることに気が付く。
「あれ、神様。鍋だけ持ってきたんですか? 食材は?」
「あ゛、忘れてた」
「もう、相変わらずですね。ふふ、神様には私が居ないと本当にダメなんですから」
さっきまでの泣いていたのが嘘かのように微笑を浮かべ、心の中で『ありがとうと』神様にお礼を言いながらそう口にした。
都会から離れたある山中で十代半ばの女性の凍死体が発見されたというニュースが流れた。
死体は比較的綺麗な状態であり、その周囲には死体を護るかのように無数の蛇が居たという。
また、近くには生活していた痕跡が残った廃神社も発見され死体との関係性なども調ているそうだ。
蘇芳社の蛇神 針機狼 @Raido309lupus
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