第1話-2
「…………?」
振り返ると、ダボダボのローブをすっぽりと着込んだ小柄な人物が立っていた。フードも深くかぶっており、顔はよく見えない。
いつの間に……⁉
まるで魔法を使ったかのごとく突然背後に現れた。
驚き、警戒する。
雨に紛れて近づいてきたのかもしれないが、街道そのものの見通しはいい。いくら無気力状態に陥っていたとしても気づかないとは思えなかった。
「確認する。貴様、勇者だな?」
その質問にも虚を突かれる。
『勇者』。
そう呼ばれるのは、いつ以来だろうか。
確かに彼はかつてそう呼ばれていた。
そして、今は誰も呼んでくれない。
「重ねて尋ねる。貴様は勇者アストレインか?」
戸惑うしかない男――アストレインに対し、フードの人物がやや苛立ちを込めて問い直してきた。
「……ああ、そうだ。俺が勇者アストレインだ」
嘘や誤魔化しは一切許さないとフードの奥から無言の圧力が発せられる気がして、アストレインは素直に首肯した。
すると、フードの人物はその返答に満足したように体を揺らし、雨が降り続けているにもかかわらず、身にまとっているローブをバサリと勢いよく脱ぎ捨てた。
「ずいぶんと探したぞ、勇者アストレイン!」
「女……?」
露わになった姿を見てまた驚く。
ローブの中身は、長い黒髪の少女だった。年は十五、六。アストレインとは一回りは違うだろう。強気そうな瞳に隠そうともしない闘志を宿しているが、王族や貴族の娘にも引けを取らない美貌を有している。
しかし、アストレインが驚いたのは、彼女の美しさではない。
彼女の漆黒の髪の隙間から、黒曜石よりも黒い角が二本、顔を覗かせている。
角を有しているのは、人ではない。
魔族を象徴する特徴だ。
この少女は、何百年にも及ぶ人魔戦争の相手、魔族なのだ。
突如現れた魔族を前にして、アストレインはフリーズしてしまった。
アストレインは勇者である。
それはまごうことなき真実だ。
幼い頃に勇者としての資質を見出され、徹底的に勇者としての生き方、行動、思考を叩き込まれた。それに従うならば、目の前の少女は駆逐しなくてはならない存在だ。
頭脳が自動的に彼女を殺害する方法を何パターンも提案してくる。理性という手綱をグッと握っていなければ体は勝手に彼女を殺しかねない。
だがその一方で、アストレインは失格の烙印を押された勇者だ。もはや誰も勇者とは認めてくれない。アストレイン自身も己を勇者だとは思っていない。
勇者の成れの果てとしては、今さら魔族の数を一体減らすために命を削るなんてバカバカしいにも程がある。
叩き込まれた勇者としての本質と、その本質を崩壊させたボロボロな数年。
相反する要素がアストレインの胸中でグルグルと渦巻き、彼を凍り付かせてしまった。
どうすべきか決断できないアストレインに対し、魔族の少女はさらに驚愕してしまうことを告げてきた。
「自己紹介をさせてもらおう。私の名はエスカリーテ。当代の魔王である」
「魔王……⁉」
思わず目を剥いてしまう。
魔王とは、魔王城の奥の玉座にふんぞり返っているものだ。こんな辺鄙な街道に出現していいものではない。
「は、ハッタリもいい加減にしろ」
教え込まれた常識が、ほとんど反射的に否定の言葉を吐かせる。
すると自称魔王の少女は薄く笑った。
「そう言いたくなるのも無理はない。就任したばかりだし、魔王としての威厳がないのは認めよう。だが、私が魔王というのは紛れもなく真実だ」
「そうだとしても、なんだってこんなところに魔王がいやがる⁉」
「わからないか?」
「わからないから聞いている!」
「いつまで待っても勇者がやってこないから、こちらから出向いてやったのだ」
「な……⁉」
絶句するアストレインの前で、魔族の少女はゆっくりと構えを取った。
その構えは熟練した武闘家のように美しく、一分の隙もない見事なものだった。
そして、構えを取ると同時に魔力が膨れ上がり始める。並の魔族が百人集まっても練ることはできないほど莫大な魔力だ。
その尋常ではない魔力を収縮させ、己のエネルギーに変換させていく。
ウソじゃ、ない……!
否定したくても、この魔力を肌で感じてしまえば、認めざるを得なかった。
この小柄な少女は魔王だ。
「魔王になった時からずっとこの時を待っていたのだ。魔王は勇者と戦ってこそ、その意義がある。勇者アストレイン、いざ尋常に勝負!」
そう宣言するや否や、ぬかるんだ地面を蹴り、一気に距離を詰めてきた。
置いてけぼりを食らった泥が爆発したかのように大きく跳ね上がった。
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