第4話 あるいはヒロインは運命の夢を見るか?

■緑川勇二


 付き人藤田に、富田医師が尋ねる。

「ところで藤田さん、緑川勇二という名前をご存じですか」

「緑川勇二?ああ、緑川勇二は役の名前ですよ」

「役の名前?」

「山口さんが有名になった『愛のヨコハマ』っていうドラマの主人公です」

「なるほど」

「それがどうかしたんですか」

「先日彼の診察をした時に、そういう名前を名乗ったものですから」

「自分を緑川勇二だと?」

「ええ。その名前で特に変わったことはなかったですか」

「やはり山口さんの出世作ですから、思い入れもあったんじゃないでしょうか。世間でも、山口政治という名前より、『愛のヨコハマ』の緑川勇二として彼の顔を覚えている人は多かったですから」

 モニターの中の山口は、有名俳優山口政治でも、メロドラマの主人公緑川勇二でもなく、ただ岩を動かしたい一人の男。



 行きつけのスナック、アン・ルイスの『六本木心中』が流れる店のカウンターで、山口と藤田が飲んでいる。また、「俺につき合え」が出たものと思われる。相変わらず山口は、藤田にからむようにしゃべりまくっている。

「俺はねえ、昔シェークスピアやってたんだよ。ハムレットとかロミオとジュリエットとか、脇のしもべ役だったけどさ。それが今はどうだい。だいたい最初にあんなメロドラマ出たのがいけなかったんだよな。いや、そもそも深夜劇場に入ったのが間違いだったのかも知れない」

 ひとりの若い女がやって来る。長い髪に流行りのボディコンスーツを着て、さっきまで店の隅でひとりで飲んでいた女である。

「すみません、失礼ですけど・・・」

 カウンターの二人がふり返る。山口も藤田も、首を上下にスキャンするように、女の全身を見る。

「山口政治さんでしょ。ファンなんですけど、サインしていただけます?」

 女がノートを差し出す。山口、ノートと女の顔を交互に見る。女がニッコリとすると、山口ポケットからペンを取り出す。

「いいよ」

 ノートを取り、サインを始めようとする山口。女がすかさず言う。

「あの、すみません・・・」

「えっ?」と顔を上げる山口。

「緑川勇二って書いてもらえます?わたし、『愛のヨコハマ』大好きだったんです」

 手を止めたまま女の顔を見る山口。みるみる顔がこわばるのが分かる。

「俺は山口政治だぜ」

「ええ、でも」

「ふざけるんじゃねえ!」

 山口、ペンとノートを女に投げつける。藤田が拾おうとするが、先に女が手を伸ばし、立ち上がる。

「緑川勇二って、もっと優しいんだけど」

「うるさい!とっとと消えろ」

 女、イーッという顔をすると、バッグを肩にして店を出て行く。

 山口、椅子をけ飛ばすような勢いで、怒りをあらわにする。

「ちくしょう、馬鹿にしやがって。マスター、ここの店変な子が多いね」

 カウンター内のマスター、肩をすくめて見せる。曲はハードな『六本木心中』から、メロウな安全地帯『恋の予感』に変わる。

 藤田が山口の肩に手を乗せて、まあまあと慰める。山口は、肩を揺らせてその手を払いのける。かなりカッカとした様子である。

「出るぞ。藤田、勘定よろしく」



 スナックの外、山口と藤田が出て来る。

 先ほどの女が店の前に立っている。

 山口、女に気付き、「このやろお」という顔で向かって行く。

「まだ人をおちょくりたいのか」

 女、ニッコリと笑って言う。

「私、死のうと思ってたの・・・」

「なに?」

「さっき、ここであなたと出会うまでは・・・」

 女、長い髪を片手で払いながら、もの欲しげな顔で山口を見上げる。

「私の20年は今日のこの時のためにあったのかも知れない・・・」

 山口、ふと言葉につまる。女の胸元に目をやる。さっきは気付かなかったが、赤い唇が妙になまめかしく、口元で微笑んで怪しげに誘っている。身動き出来なくなった山口に、女は近づいて行き、手を山口の腰に置く。

 山口と女、見つめ合う。藤田、何が起こっているのかわからない。山口、おもむろに藤田をふり返る。

「藤田、お前先に帰っていい」

「あ、はい、わかりました。明日は10時ですから」

「早いよ。11時にしろ」

「はい。じゃあ迎えに行きます。おつかれさまです」

 藤田、やれやれという顔で、山口たちを横目に去って行く。

 山口、女の瞳を見つめて、手はすでにタイトスカートの尻の方に回っている。

「『愛のヨコハマ』の台詞、覚えてるんだな」

 女、また微笑む。山口、女を引き寄せ、口づける。

 ♪BGM『恋の予感』のサビが、二人の後ろ姿にかぶせるように盛り上がる。




■南 知子


 女が住むアパートの一室。蛍光灯が灯り、女と山口が入って来る。

「きれいな部屋だね」

 山口のマンションと比べると、ずいぶんと狭くて古びた部屋。一般的な一人暮らしのOLの部屋といったところか。

 山口、入口を入るとすぐに女を抱き寄せキスをする。

「君、名前は?」

 女、離した唇を斜めに上げて微笑む。

「南 知子」

「『愛のヨコハマ』はもういいよ。真面目に答えろよ」

「ほんとよ。私は南 知子。あなたは緑川勇二。いい?私といる間はずっと緑川勇二でいてほしいの」

 山口、女のからだを手放す。女、歩きながらイヤリングやネックレスを外す。

「冗談だろ」

「冗談じゃないの。面白いでしょ、お互い自分とは別の人間を演じるの」

「本気か」

「でなきゃ、帰ってもらうわ。私、山口政治よりも緑川勇二に興味があるの」

 ジャケットを脱ぎ、タイトスカートのホックを外す女。スリップを足元に落とすと、真紅のブラジャーとショーツ姿になる。

「髪型も洋服も、下着まで南 知子か?」

 ドラマで、ヒロインが初めて抱かれる時着けていたのと同じ赤い下着。

「いい?緑川勇二はね、ニヒルで翳があって、それでいて甘くて優しいの。これと決めた女は命をかけて愛せる男なのよ。わかってる?」

「わかったよ、監督さん」

「私は知子よ」

 南 知子と名乗った女、山口に近づくと自分から口づける。山口も応える。激しく唇をむさぼり合う二人、奥の寝室へと向かう。



 『愛のヨコハマ』のヒロイン南 知子とは、資産家の一人娘として産まれながら、父親との確執により20歳の時に家を飛び出し、名前を変えて質素な生活をしている女。

 その美貌を武器に男を踏み台に必死に生きながら、父親とその会社への復讐を企むが、偶然知り合った男・緑川勇二に純粋な愛情を覚える。しかし勇二は、父親の会社の幹部であり、社長の命により娘を捜索していたのだった。

 互いの素性を知った二人は、自分の目的を果たすのか、それとも運命に逆らって愛を貫くのか。

 南 知子の、庶民的生活に溶け込みながら、金持ちの気品と高慢さを滲ませた言動と、それを演じた女優と台詞のわざとらしい臭さが、多くの視聴者から異様な人気を得たのである。



 一夜が明ける。

 アパートの洗面台で、下着姿のまま顔を洗う山口。

 知子は、和室の布団の中から顔だけ出して、山口を見ている。

「ゆうべ私は緑川勇二と寝たのね。夢かと思ってたけど、夢じゃないのね」

 知子、枕を愛おしそうに抱き締める。肩は裸で、昨夜の赤い下着は着けていない。

 山口、知子の言葉を聞くでもなく顔を拭くと、洋服を着始める。

「もう帰るの?」

「うん、仕事があるから」

 知子、タオルケットをからだに巻き付けてから起き上がる。

「そうじゃない。初めての夜が明けた時に勇二が言うでしょ」

 山口、「えーと」と言ってから、眉間にしわを寄せて思い切り渋い顔をする。

「君に出会った瞬間に、俺は直感したんだ」

「え、何て?」

「こいつは俺が一生かけて愛する女だって」

「ひと目会っただけで、どうしてわかるの?」

「俺の心がそう言ったんだ。この女こそ運命だって。絶対に離しちゃいけないって」

 知子、嬉しくてたまらないような表情で、枕を抱いたまま真横に倒れる。

「うーん、たまんない~」

 山口、知子のそばに戻り、あごに手を添えるとキスをする。

「ゆうべは良かったよ」

「そんなこと、緑川勇二は言わないよ」

「じゃ、何て言うんだ」

 知子、布団から起き上がると、胸を張るようにして、男声で渋く台詞を口にする。

「ゆうべは人生最高の夜だったぜ」

「そんなこと言う男いるかよ」

「あなた、そう言ってたじゃない。ねえ、言って」

 山口、仕方なく知子を真似る。

「ゆうべは人生最高の夜だったぜ」

「渋がり過ぎだわ」

「注文が多いな」

 山口、煙草をテーブルから取ると、サングラスをかける。

「じゃ、帰る」

「そんなこと言わないわ。黙って出ていけばいいのよ」

「はいはい」

 出口に向かう山口に、後ろから知子が声をかける。

「いいわ、その歩き方。そのままのポーズで出て行って。外に出てからもよ。窓からずっと見てるから」

 山口、わかったという風に手を上げて、扉を開けると部屋を出る。

 知子、それを見送ると、髪をかき上げニヤニヤと笑う。

 部屋を出た山口は、一つため息をつき、しかしそのまま苦味走った顔で、ポケットに手を突っ込んで歩き出す。




■精神病棟


 モニターに映る個室では、山口がまたパントマイムをしている。

 今度は、シャベルのようなものを持って、土を掘っている様子。掘っても掘っても、目的の物が見つからないといった動作をする。何か違う物が出て来ては、これじゃないといって放り投げたりしている。

「何を探してるんでしょうね」

 西村刑事の声に、富田医師が答える。

「動かない物を必死に動かそうとしたり、何かを掘って探したり、壁に突き当たって困っていることもあります。たいてい彼のパントマイムは、目的を果たせなくて延々と続くんですよ。達成して喜ぶような動作は見たことがありません」

「そういう壁か、ストレスのようなものが、彼をこのようにさせたと」

「わかりません。これだけを見て、そう決めつけるつもりはありません」

 モニターの山口、掘るのに疲れて、やれやれと腰を下ろす。うなだれて、大きなため息をつく。

 西村と富田、それを見ている。

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