ふたりで

@rabao

第1話 ふたりで

あの日、僕は彼女と共に、微笑みをたたえる神父の前で厳かな誓いを立てた。



夫婦の絆は一週間も経たずに他人よりも遠いものになった。

そして、室内で飼っていた愛犬は外で飼うことになった。


あれから何年たったのだろうか。

毎日の工場勤めと、じめっぽい家との往復がつづく。

金属の溶解した煙を吸い続けて家に帰れば、真っ暗な中でそっと部屋まで物音を立てないように歩いていく。

部屋が明るい時には、僕の気持ちは反対に暗く沈んでいく。

わざわざ起きているぐらいなので、何かしら不満を口汚く罵りたいのだろう。

愛犬をひとなでして心を落ち着かせてから玄関の鍵を開ける。


ある日、工場に暗闇で青白く光る粉の入った容器が入荷した。

他国で使用禁止になったものであるらしいが、この国ではまだ禁止になっていないため、今のうちに文字盤の文字が輝く時計を製造するようだ。

暗闇でも見えるので、非常によく売れるらしい。

潰れかけていた町工場は時計の増産のためにわかに活気づいた。


僕は日々の業務の合間に、その容器の一つをこっそりと袖の中にしまった。

夜遅くに帰宅すると、愛犬が鳴きもせず尻尾を振って出迎えてくれる。

健気な気持ちがフワッと暖かい。

もう寒くなり始めた夜なのに、本当に気の毒に思う。

ポケットから光る容器を取り出すと、青白い優しい光が僕と愛犬を優しく照らし出す。

僕が神に約束などしなければ、愛犬もこんなに寒い思いはしなかっただろう。


僕は愛犬の首輪の裏に光る粉を薄く塗って戻した。

指に残った青白く光る粉は、愛犬がペロペロと舐め取ってくれた。


数日後に痛がる愛犬の首輪を外してみると、首輪の接していた部分にひどい火傷が出来ていた。

数人しか行っていない会社のレクチャー通りだった。


「だから早く売り切るのだ!」

あの時の社長の激が頭に浮かんだ。


時計も他のグッズも飛ぶように売れた。

『光り輝くお肌になれる入浴剤』

『食べるだけで美しくなれるパン、バター』

『飲めば永遠の輝きを得られるお水、牛乳』

『シミもシワも消してくれるクリーム』

そして、一番売れたのは粉をまぶした塗料だった。


世間は商品に群がり買い漁った。

妻も世間の例外でなく商品を求め、夜中に部屋の灯りをともして待ち受けるにいたった。

ひと撫でする愛犬に元気がない。尻尾は弱々しく地面の上で揺れていた。

いつも通り不機嫌な妻が、こっちを向くわけでもなく座っている。

何かを言えば、そこから文句を言い始める事は分かっているがとりあえず声をかける。

案の定、例のグッズが欲しいのだ。


「もう時期、君の誕生日だから、その時渡したかったんだけど」

部屋からいくつものリボンの付いた箱を持ってきて妻にわたす。

「入浴剤とクリームが多いんだけど、この大きいのが人気の時計だよ。」

「食品や牛乳は賞味期限があるから、これを市販の物にほんの少し混ぜればいいよ。」

あの青白く輝く容器をそのまま彼女にわたす。

「くれぐれも少しだけ混ぜるんだからね。多くすると強すぎて逆に調子が悪くなっちゃうんだよ」


妻の顔がパッと明るくなる。

「まぁ、凄いわね!」

「大学生のアルバイト程度しかお給料がないのにどうしたの?」

「ボーナスを前借りしたんだよ。」

「へぇ~。いくら?」

「じゃあ、お小遣いは再来年の夏までなしね!」

「うふふ。」


上機嫌で自室に戻っていく妻を見送る。

日に日に胸の痛みが、激しいものになってくるのが分かる。

また、このめまい。

僕にはもうあまり時間は残されていないのであろう。


ある日、会社のシャッターは閉じられたままで張り紙が貼られていた。

銀行には先日までの給料と何ヶ月分かの給料が振り込まれていた。

全員解雇になってしまいましたが、思いがけずにまとまった額が振り込まれていたので一部を除いて文句も上がらなかった。

再雇用先についても、ここ以外にも同じ仕事があっという間に各地に広がったので、まるで困ることはなかった。

健康的に何か言っている人はいなかったが、軽い目眩のある人が何人かいたように記憶している。

僕は、あの粉をどれだけ吸い込んだかも分からない程だったので、程度の問題なのかもしれないが、あの国のように後で進行するのかもしれない。


珍しく機嫌の良い彼女と朝食をともにすると、あの粉を何にでもふりかけている。

「そんなに大丈夫なのかい?」

「大丈夫よ。このぐらいが一番元気になれる気がするわ。」


ミルク缶の58リットルにはスプーン1杯程度で販売していましたが、彼女はティースプーンだったが、コップ1杯にそれだけの量を入れて美味しそうに飲んでいた。


「あなたも飲んでみる?」

珍しく優しい言葉をかけてもらえました。

「じゃあ、いただこうか。」

同じようにスプーンに盛った粉をかき混ぜると、傾きによって青と白のコントラストが透明なコップの中で渦を描いて踊りだします。


「あぁ。うまいね。」

妻の気分を害さぬように、舌に残ったザラつきを袖でこっそりと拭き取った。



暖かな日差しの中で、愛犬が雑草の中で静かに倒れた。

草むらの中で、草がしなびているところに愛犬のフンが転がっている。

僕はフンを手でつかんで片隅に放り投げた。


『僕より先に逝ってしまった・・・。』

遥かに少量しか混ぜていないのに、こうもあっさりと死んでしまった。


『僕も時期に・・・、少しだけ待っていてね。』


妻が不調になるのに日数はかからなかった。

痙攣と吐血と下血・・・。

部屋中に、彼女のし尿と血液が絶え間なくあふれ続けていた。

彼女の爪は剥がれ、皮膚はただれ、黒髪は白く抜け落ち、落ち窪んだ目は白く濁っている。

しかし、まだ美意識は残っているのか、眩しいと言って人目をさけるように部屋のカーテンを閉めさせる。


「これは、毒なの!!」

妻は奇声をあげて僕を問い詰めてくる。


「毒かもしれないし、違うかもしれない。まだ国に入っていない薬なんだよ。」


「でも、おまえは知っていた!!」

僕に掴みかかろうとベッドから立ち上がろうとしたが、そのままつんのめって床に這いつくばる。

妻は白濁した目で床の上から僕を見据えながらカメのようにもがいている。


僕は妻に手を貸し、起きるのを手伝う。

肩につかまり僕の首に手を回すが、間接が曲がらないのかその手には力がない。

歯を食いしばる妻の死体のような目から、どのような感情からか涙が溢れている。


「あの粉は世間では毒かもしれないけど、僕たちにとっては道を踏み外さない為の薬なんだよ。」

「だってそうだろ。あの時教会で誓ったじゃないか。」


~お互いの死が二人を分かつまで、いついかなる時もお互いを慈しみ、助け合う~


「今までは、本当にそれが出来なかった。」

「戒律に逆らう僕であることが、僕には許せなかった。」

「今では二人でなければ君は立つ事もできない。」

「残りの人生は支え合って生きていくしかないんだよ。」


「食事の用意をするよ。もちろんあの薬は使わないし捨てちゃうよ。」

「君と一緒に生きていくんだからね。」

「あと、愛犬をいれてあげてもいいかな。」

「もう随分前に死んじゃってるんだけど、君はあの犬の名前を知っていた?」


妻は自室で横になり、自分でデザインした日暮れとともに青白く光る天井を見つめて一言も発することはなかった。



「どちらかが死んだら、この契約は終了になるから、僕は愛犬と一緒に元のように暮らすよ。」

「君は今度は、ちゃんと相手を見たほうが良いよ。」

「ほら、僕の給料は大学生のアルバイトとおんなじぐらいだから、馬鹿な仕事も引き受けて損ばっかりしてるだろ。」



「見てごらん」

カーテンを開けた暗い庭には、キラキラとした星が輝いています。

「拾ってるつもりなんだけどね。愛犬のうんち。夜のほうが探しやすいんだよ。」

「でも、きれいだろ。」

「だから、また明日でいいやって思っちゃうんだ。」


愛犬をあぐらの上に乗せて撫でるのは本当に久しぶりだ。

今は硬い愛犬も僕が逝けば柔らかく迎えてくれるだろう。



『死が二人を分かつまで・・・』

お互いを求めて支え合って、夫婦で生活を助け合っていく。



もう少しだけ待っていてね。

ギュッと抱きしめた愛犬と似た香りが僕らからも漂っています。



また遊ぼうね、ふたりで。

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