#2
銀河の隙を突いて監視下を逃れた私は、隣に建つ佳賀里の自宅、その裏庭へと忍び込んだ。
そこはどこか歴史ある名家を思わせる純和風の佇まいの立派な屋敷だ。裏庭にはまるまると太った鯉が泳ぐ池や、芸術的に敷き詰められた砂利が心落ち着かせる美を演出していた。
隣の金剛院家の自宅と比べると、大きさは同じくらいでもこちらは和風らしい。
「うむ……なるほど、ここを我が第二拠点とするも悪くはないか。まさか、第一拠点と第二拠点が隣通しに存在するなぞ「奴ら」とて思うまい」
……ちなみに今の「奴ら」はただの雰囲気だ。特定の誰かを指してるわけじゃない。
「おうおうおう、なんだぁ、嬢ちゃん? どっから迷い込んで来やがった、てめぇ?」
と、脅迫するようなドスの利いた声が聞こえてきたのは、背後、屋敷の方から。押し殺した中にも僅かな怒りが滲む声音に、恐る恐る振り返った私の目に飛び込んできたのは、
「ここがどういう場所か、分かって勝手してくれてんだよなぁ、嬢ちゃんよぉ?」
……は、はい、今分かりました。ヤクザのお屋敷ですよね、きっと?
十人近くはいようか。全員が全員、体のどこかに刺青を入れた屈強な男達。ずかずかと距離を詰めてきたかと思いきや、あっという間に周囲を取り囲まれてしまった。
「あ、い、いえ、あの~……わ、悪気はなかったと言いますか……ま、迷い込んでしまっただけと言いますか~……」
「ほ~う……迷い込んだ、と? そりゃおかしいなぁ。門には番立たせてあるし、裏口は鍵が掛けてある……。周囲は高い塀に囲まれてるってのに、どうやったらそんな場所に迷い込めるってんだ、ええっ、おい? 頭の悪い俺らに一つ伝授しちゃくれやせんかねぇ?」
鞘からすらりと抜き滑らされた日本刀が、問答無用で私の首先に突き付けられる。
なるほど、これは完全に不法侵入と勘違いされたパターンか。……いやまあ、不法侵入だが。
ここでいつものように堂々と征服宣言するのは止めておいた方がいいな。後が怖いし。
「っっ⁉ ……そ、そうか」
いや、待て……待つんだ、私‼
むしろ、ここは敢えて征服宣言した方がいいのでは?
何故かって?
ここはヤクザの屋敷である前に、佳賀里の自宅……つまりは佳賀里か銀河さえ現れてくれれば、この状況は脱することができるかもしれない。
だが、普通の女の子らしく大声で助けを求めるのは私のポリシーが許さない。
どんな時でも格好よく——それが私のポリシーだ。
「く、ク~ッフッフッフ~ッ……哀れなり、人の子共よ‼」
「あぁん?」
「っっ……⁉」
……と、大声で高笑いを上げたところで気が付いてしまった。
わずかにでも動けば首に刀が食い込む。そんな状況で征服宣言するのが物凄く怖いことに。
むしろ、何故そんな簡単なことにも気が付かなかった、私‼
すでに高笑いしちゃったし、今更、「冗談でした」なんて言って見逃してもらえるか? た、多分無理だろうなぁ……。
「やァアアアアかましいわァアアアア‼ 朝っぱらから何を騒いどるんじゃ、おどれらはァアアアア‼」
「っっ⁉ お、親父……」
思わぬ助け船は、張りのある怒声と共に現れた。
声の主に言ってやりたい。一番やかましいのはあなたです、と。
だけど、そんなこと言えるわけもなかった。何故ならそこに現れたのは……、
「いつも言うとろうが、アホンダラァア‼ 何を堅気の者に手ぇ出しとるんじゃ、おどれら‼」
「「「「すすす、すいやせん、親父⁉」」」」
彼の到来と同時に、進路を譲るように左右に分かれて頭を垂れる屈強な男達。その姿はさながら、ムショ帰りの親分を手厚く出迎える子分の如く、従順その物だった。
何だか懐かしいこの光景……間違えるわけがない。この人もまた《将軍》の地位を戴いた十二人の内の一人、
「おう、家の者がすまんかったのう、嬢ちゃん? 怪我ぁあらへんか?」
「は、はい……ありがとうございます、
《任侠将軍》……それが眼前のこの人、焔城寺火燕斎さんに与えられた二つ名だ。
右の額から左の頬へと横断する縫い傷に黒い短髪。平気で数十人は殺していそうな凶悪な目つき。そりゃ苦手にもなるだろ、だって純粋に怖すぎるんだもん、見た目のインパクトが。
まあ、強面なのは鉄仙さんも同じだが、あの人の場合、常に豪快に笑い飛ばしてるおかげで印象も大分和らぐ。
だが、この人の場合は違った。
「それはそうと、や。刀次郎から連絡は受け取るで、メイの嬢ちゃん? 世界征服やったか? なんやおどれ、随分とまあ大層なことほざいてくれとるらしいのう」
「あっ、い、いえあの……そのえっと……」
私の気持ちなど知る由もなく、ずんずんと歩み寄る火燕斎さんは、
「嬢ちゃんがどないな生き方選ぼうが儂は知ったこっちゃない。周りにどない言われようが一本筋通して生きとんのやったら褒められたもんや」
私の肩に親し気にポンと手を置いてきたかと思いきや、意外にも意外過ぎる言葉を掛けてくれた。
……のも束の間。万力のような馬鹿力で、ぎりぎりと手に力を籠め始める始末。
「……せやけど、よう覚えときや? うちの島でもしも堅気の者に手ぇ出してみい。そん時は全力で儂ら焔組が相手んなったるわ。儂の目ぇの黒い内は不義理は許さへんぞ、おどれ。分かったかァア‼」
「はは、ひゃいぃいい⁉ 承知致しましたァアアアア‼」
ビシッと背筋を張って、見事なまでの敬礼を決める私。正直言って、日本刀携えた十数人のヤクザなんかより、この人一人の方がよっぽど怖いんだが。
「お、お父様……」
「おう、なんや、佳賀里……と金剛院の次男坊か」
「ど、どうも……ご無沙汰してます、火燕斎さん」
今更ながらに、正面玄関の方から角を曲がって姿を現した銀河と佳賀里。
うん、正直言って想像はしてた。「焔城寺」と言う珍しい苗字に、金剛院家との家族ぐるみの付き合い……何となく佳賀里の父親なんじゃないかって気はしてた。
だけど、気のせいであってほしかった。全力で気のせいであれと願ったのにひどすぎるぞ、神様⁉
……神獣である私が神様に祈るのもどうかと思うが。
「す、すみません、お父様。め、メイの馬鹿がご迷惑を~……」
「……ほ、ほら、さっさと行くぞ。し、失礼しました~」
そう言って、私の背中を押した銀河と佳賀里は、気まずげにそそくさとその場を去って行く。
だが、どうやらこの人の前で逃げの一手は許されないらしい。
「……待たんかい、おどれら」
「「っっ⁉」」
静かながらも有無を言わせぬ口調に、銀河達は大きく背筋を強張らせるばかり。
そんな二人を私はそっと火燕斎さんの前へと押し出してやった。
「今までどこで何しとったんじゃ、おどれらは? 嬢ちゃん放り出して、何を油売っとった? 嬢ちゃんが勝手せぇへんようおどれらに監視させる言うてたで、刀次郎は?」
「あっ、え、えと……そ、それは~ですね……」
「べ、別に放り出してたんじゃないんですよ、お父様? た、ただ、何て言うか、メイが……」
しどろもどろしながらも、必死に言い訳を考える銀河達。
そんな彼らがこの場を言い逃れる名案を思い付くより早く、火燕斎さんはカッと大きく目を見開く。
「やかましいわ‼ おどれらが何しとったんかは知らんが、事実は事実や‼ つべこべ言い訳しとらんで漢らしゅう反省せんかい、アホンダラァア‼」
「「ひゃ、はいィイイイイ⁉ すすす、すみませんでしたァアアアア‼」」
……どうでもいいが、佳賀里は女だと思うが。もっとも、この人の前でそんな正論吐こうものなら、怒りは数倍に膨れ上がること間違いなし。
ネチネチと長ったらしく説教してくる童子さんも苦手だが、迫力だけで言うならこの人の方がよっぽど上だった。それはもう鬼も見事な土下座決め込みそうな程に迫力満点だ。
どうやら、それは実の娘が相手でも変わらないらしい。
「あらあらまあまあ、そない怖い顔しはって。あきまへんえ、子供らが怖い怖い言うて震えてるやないの?」
「ふえっ……?」
優し気な女性の声音と共に、突如として頭に押し当てられた二つの巨大な膨らみ……。
くるりと私の体を反転させたその人は、愛おし気に抱き締めつつ頭を撫でてくる。
「ええ子ええ子……ほんまかいらしわぁ、メイちゃんは? 元気そうで安心しましたえ、ママ?」
「……ま、《舞雪将軍》?」
「《舞雪将軍》やなんて……そない他人行儀に呼ぶことあらしまへん。昔みたいにママ言うてお呼びやす」
銀色の艶やかな髪と透き通るような白い肌、優し気な笑顔。大人の女性特有の何とも言えない色気が、爽やかで安心感を与える女性だ。
雪女の妖怪、
自称「みんなのママ」である彼女は、子供好きで穏やかな性格の持ち主。私にとっても特別な存在で、この人(と刀次郎おじ様)に対してだけは苦手意識なく接することができる。
「えっ……ま、《舞雪将軍》って……ママも《白騎士十二神将》だったの⁉」
「せやねぇ……まあ、昔の話どす。そないなことよりほら……こっちおこしやす、佳賀里ちゃんも?」
言った吹雪ママは、佳賀里のことを胸に抱き寄せる。
「よしよし、怖かったやろ、うちの人が。でも、もう大丈夫どすえ? ママが守ってあげまひょなぁ」
「ま、ママ……もう、子ども扱いして……」
私の隣に並んで頭を撫でられる佳賀里は、どこか気恥ずかし気に頬を赤らめる。それでも拒むつもりはないらしく、安心したように吹雪ママに身を任せた。
次いで、その包容力は銀河へと向かう。
「ほら、あんさんも来よし? 遠慮はいりまへんえ、銀河ちゃん?」
優しい笑顔で手招きする吹雪ママだが、そこはそれ。銀河も年頃の男子だ。流石に母親(しかも他人の)に甘えるのは気が引けるのだろう。
「い、いや……俺は大丈夫っす」
「若い子が何言うてんの? 童子はそない甘やかせてくれへんやろ? あん子は厳しいさかいなぁ。ほんまのママや思てうちに甘えてくれてかまへんねんで?」
「……い、いえ……佳賀里の視線が怖いので」
えっ……佳賀里の視線?
……あ、ああっ、なるほど、確かにこれは怖いな。
まるで獲物を狙う鷹か蛇のような、犯行に及ぶ直前の殺人鬼のような……兎にも角にも視線で人が殺せるんなら、銀河はすでにお陀仏だろう、間違いなく。
「あらあらまあまあ、初心やねぇ、銀河ちゃんは? せやけど、そないなところもかいらしわぁ……うふふっ」
そう言って穏やかに微笑む姿は……うん、実によく絵になる。まさに女神のような人だ、吹雪ママは。少しは母上や童子さんにも見習ってほしいものだな。
だが、そんな態度を許さない人がここに一人いた。
「アホンダラァ‼ 何を甘やかせとるんじゃ、おどれはぁあ‼」
ずかずかと大股で歩み寄った火燕斎さんが、佳賀里と吹雪ママを強制的に引き剝がす。
「おどれがそない甘えたこと抜かすから、若い衆がいつまで経っても成長せぇへんのとちゃうんか、吹雪‼」
「そう言うあんたが厳し過ぎるんどす‼ 厳しいだけが躾とちゃいますえ‼ もうちいと優しゅう物を言えまへんの?」
「やかましいわ‼ 確かに厳しいだけが躾とちゃう‼ 甘さも必要なんもよう分かっとるわ‼ せやけど、限度っちゅうもんがあるやろうが、限度っちゅうもんが‼ おどれのそれは度ぉ越しとるんちゃうんか、ええっ⁉」
「度ぉ越してんのはあんたの厳しさやないの‼ 子供はのびのび育てた方がええんどす‼ 厳しゅう叱り付けるんは、ええことと悪いこと教える時だけで十分や‼ それをあんたは普段からことあるごとに頭ごなしに怒鳴り散らして……」
……どうでもいいが、この二人が夫婦なのは正直かなり意外だ。
普段は穏やかで人当たりもいい吹雪ママだが、何故か昔から火燕斎さんとの相性だけはすこぶる悪かった。顔を合わせる度に口喧嘩に発展するのはいつものこと。
そして、両者の悪い癖は未だに治っていないらしい。
「だいたい、おどれはやなぁ‼」
「そう言うあんさんこそ‼」
「あ、熱っ⁉ あちちっ⁉ おお、落ち着いてください、火燕斎さん⁉」
「う、う~~~ぅ⁉ ままま、ママも⁉ ママも少し冷静に……クシュン」
火燕斎さんの周囲を渦巻く炎と、吹雪ママの周囲に吹き荒ぶ氷。それは上空高くまでを侵略し尽くし、互いに一歩も譲らずせめぎ合っていた。
無論、紫電のような『放電体質』……強大な力を持つ半面、未熟故に感情の昂り(主に怒り)で放電してしまう、などと言う可愛い理由ではない。
この夫婦の場合は自ら能力を制御してぶつけ合っているんだから始末に悪い。
つまるところ、そんな二人がくっ付けばどうなるか……、
「「「だだだ、誰かこの夫婦を止めてくれ~~~⁉」」」
そう、世界一傍迷惑な夫婦の誕生である。
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