#2
穏やかな休日の朝——。
侍女の作った遅めの朝食を終え、食後の中国茶を頂いておった時のこと。
「たたた、大変じゃ大変じゃ大変じゃァアアアア⁉」
そんな奇声が部屋の外、廊下の先から近付いてくるではないか。
無粋な悲鳴のお陰で満腹感から来る眠気は一気にどこぞへと吹き飛んだ。
いいや、それだけではない。
何の前触れもなく挙げられた奇声に、思わず飲み掛けの茶を噴き出した儂は、年甲斐もなく盛大に服とテーブルクロスを汚してしまう始末。
更に被害は傍に侍る一人の侍女にまで。
彼女はおそらく儂が噴き出した茶を淹れた者であろう。わなわなと震え始めたかと思えば、膝から崩れ落ち、あまつさえ懐から取り出した小刀を己の腹へと……。
えぇい、止めんか‼ お主は一体どこの「サムライ」か‼︎
日本では「ハラキリ」が流行っておると聞くが安心せよ。ここは中国ぞ。
……と言うか、もしかしてお主らは全員懐に自害用の小刀を隠し持っておるのか? むしろ、その事実が一番恐ろしいわ。
まあ、何はともあれ、あまつさえ自害者すらも出し兼ねん波乱を呼んだ悲鳴の主……ドタバタと慌ただしい足音といい、しわがれたダミ声といい、間違いあるまい。
犯人はあの男を置いて他に考えられん。
『四千年の歴史』と謳われるここ、中国にて大陸を四分割する勢力……その一つ、虎の王《白帝》に古くから仕える右大臣に決まっておる。
あっ、ちなみにその《白帝》と言うのが
皆に白帝と称される儂。果たして本名を知る者がどれ程おることやら。何だか無性に悲しくなってきた。
「たたた、大変ですじゃ、白帝様ァアアアア⁉」
言って食堂の扉を吹き飛ばし、室内に乱入してきた右大臣。……どうでもよいが、扉の修理代は今月のお主の給料から差っ引かせてもらうぞ、右大臣よ。
「騒々しいぞ、何事か」
人並みに(人ではないが)心の中ではいろいろと思うところのある儂だが、そこはそれ。一国一城の主ともあろう者が軽々しく騒ぎ立てるものではない。
あくまで平静を装い、威厳漂う清涼とした振る舞いで右大臣を見据える。
「そそそ、それが⁉ それが姫様が⁉
「はぁ……またか。あ奴にも困ったものよ……」
世界征服——。
物騒極まりないそんな単語にも、儂はただただ溜息を漏らすばかり。侍女達も互いに顔を見合わせ、呆れたような困ったような苦笑いを浮かべることしかできぬらしい。
無理もあるまい。
メイ……
目に入れても痛くないとはまさにこのこと。その愛くるしさと言ったら、世界中の
ともあれ、そんな我が娘、メイはちと困った性格をしておる。それが俗に言う「中二病」……自分を特別な存在として見ておるらしい。「終末の堕天使」なぞと訳の分からん名乗りを上げるようになったのはいつの頃からか。
だが、そんな姿もこれまた愛おしいので問題なし‼︎ ノープロブレム‼︎ ……いいや、ここは中国語で
「して、次はどこの町を侵略すると? 南部地方か? それとも西部であるか?」
「いいえ、にに、日本……人間界ですじゃ‼」
「っっ⁉ な、何ぃい⁉ 人間界じゃと⁉」
……ま、まずいことになった。よりにもよって人間界とは。
その情報に驚きを隠せぬのはどうやら儂だけではないらしい。右大臣が提示した場所は室内を一瞬でざわめき立たせる程の意味を有していた。
人間界……それは儂ら神族が統べる神界と次元を同じくし、隣り合うように存在する三つの世界の一つ。非力な人間が我が物顔で統治する安き権力に満ちた地よ。神界は元より、数多の悪魔や妖怪が跋扈する魔界と比べてもあまりに力及ばぬ世界と言わざるを得まい。
だが……いいや、だからこそ、と言うべきか。だからこそ、まずいことになった。
「う、う~む……今までは適当に儂の配下に相手させてきたが、よもや人間界とは……。あ奴とて仮にも四神、白虎の血を引く者。相手が人間ともなれば……」
一つ二つの国ならば容易く征服してみせ兼ねん。
今の三界は互いに不干渉と言うことで、一応の安寧を保っておる。儂ら神族や魔界の連中とて別に人間界に領土拡大を求めておるわけではないのだ。だからこそ、あ奴の軽はずみな行動には三界を戦乱の渦に巻き込み兼ねん危うさがあった。
「クックックッ……そう案ずることはありんせん、泰然よ」
「む、むぅ……
妖艶な笑みを含んだように浮かべながら、右大臣の背後から食堂に現れた一人の女、名を
腰まであろうかという艶やかな黒髪と口元の黒子が艶やかさを演出し、黒いチャイナドレスが一層華やかに見せていた。相も変わらず二児の母とは思えぬ美貌の持ち主よ。
「案ずることはない、とはどういう意味ですかな、奥方殿?」
「何、そのままの意味だえ。メイに彼の地に赴くよう言うたのは他でもない。このわちきでありんす」
「なっ⁉ ば、馬鹿な⁉ お、お主、何故そのような真似を⁉」
「あ奴に尋ねられての。次はどこを征服してくれようか、と」
「そ、それで人間界と答えたのか⁉」
「然り……運も行先も風任せ。止むを得まい? アンティを払わずしてカードは配られぬぞえ?」
二つの賽子を手の中で弄びつつ、凛風は微塵も悪びれる様子なく返した。
大方、その賽子でたまたま人間界に決まったのであろう。自分の享楽で世界の安寧を掻き乱すとは……我が妻ながら何と恐ろしい女か。
「クックックッ……さりとて、オーラスで役満狙わば単騎待ちもまた一興、か。よりにもよってあ奴らの下へ送り出すとはのう」
「あ、あ奴らじゃと? 一体誰のことを言うておる?」
「おんしもよう存じておろう、泰然? 何しろおんしが最も寵愛し、我らが地位を盤石なものへとせしめし十二人の強者共……否、今はわちきを除いて十一か」
「ば、馬鹿な⁉ よ、よもや⁉ よもや、「あ奴ら」の下へ向かわせたのか、マイスイートエンジェル・メイちゃんを⁉」
十二人の強者共……それはかつて儂に仕えた最強の武人のことと考えて相違あるまい。
遡ること七百年ばかり前——神界の中国を統べる四人の皇帝の間で起こった戦乱、通称『四神大戦』。
当時の我が一族は四皇帝の中でも領土は最小、『最弱の皇帝』と侮蔑され、欲しいままに侵略の限りを尽くされてきた。しかし、戦乱が終わってみれば結果は大勝利……三割増しの領土を手に入れることができたのだ。
これもひとえに儂に仕えた十二人の強者共の功績よ。後世まで語り継がれることとなる彼の者達の数々の偉業……民衆の間では恐怖と畏敬の対象として、いつの頃からかこう称されるように……。
《白騎士十二神将》と——。
誰もが認める頼もしき存在であることは間違いあるまい。
しかし……しかしだ。奴らはある種の暴れ馬。全員が全員、個性を明後日の方向に暴発させたような連中ばかりで儂ですら手綱を握るのに苦心させられた程よ。
その一人、《妖花将軍》と謳われし九尾狐の妖怪、我が妻凛風……旧姓、
独特な言い回しが示す通り、大の博打好きで行動の多くを賽の目に求める刹那主義にして享楽主義。こ奴のこういう面は昔からまったく変わることはなかった。
お陰で我が一族の財政は火の車……かと思えば莫大な富を築き、気が付けば再び火の車。一体、これを何度繰り返してきたことか。少しは改めてほしいところだが、残念なことに本人にその気はないらしい。
ましてやか弱く繊細で臆病なメイちゃんぞ。あ奴らに何をされるか知れたものではない。
ああっ、今頃一人慣れぬ人間界の地にて泣いておるやもしれぬ。パパに会いたいよぉ、と……。今すぐ行って抱き締めてやりたいところよ。
「う、う~む……ますます不安になってきおったわ」
「クックックッ……
無責任にも凛風は妖艶な笑みを深めるばかり。
「はぁ……まったくお主らと来たら……」
そんな我が妻子に儂の心労は堪りに堪っていくばかりだった。
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