狸擬きの回想
塩狸
第1話
その気配は唐突で、
「?」
気付いたのは、木登りに勤しんでいた時。
隣の、青い熊たちが徘徊する山の中に「何か」が現れた。
「……」
どこかからやってきた気配もなく、ふと、気づいたらそこに存在していた。
「……?」
鼻先を蠢かすと、小さい生き物の気配。
自分と同じくらいに感じるけれど、歩くその足音は2本。
仄かな戸惑いも感じられる。
空からでも、落とされたのだろうか。
葉の生い茂る空を見上げても、小さな鳥がふわりと飛んで行くだけ。
じっと気配を探るも「それ」には戸惑いこそあれど、恐怖も、怯えもない。
あるのは、続く小さな喜びだけ。
何に対してだろう。
随分あとから、喜びは、
「川の水の綺麗さのため」
だと知ったけれど。
「それ」は、山にあっさりと馴染み、ほんの数日後に対峙した青い熊を、一瞬で亡き者にした。
離れていても、血と肉と内臓の臭いが、川を辿りこちらまで届いて気付く。
長年、この山に大きな大きな縄張りを張り、自分こそがここらの主だと仲間同士で争い、獲物を襲う時だけは結託する青い熊たちが、
徐々に数を減らしていった。
理由は「それ」のいる川にまで降りて「それ」に挑んでは、威嚇する間も無く、そもそも勝負にもならないらしく、死の気配が流れてきたことで気付いた。
「それ」には、どうやら知能があるらしく、青い熊を引き摺り、ごく稀に通る人間たちの通り道にまで運び、処理を任せていた。
長らくこの辺りの山々の絶対王者だった青い熊たちが、数を減らし、無謀な戦いを挑むものたちがいなくなると、青い熊の中でも、弱い個体や、子を持つ親熊は、「それ」を避けるか、遠く遠くの別の山へ、新しい住み処を求めて姿を消した。
そして2つの季節が変わる頃には「それ」はあっさりと、山の主になっていた。
山の主となった「それ」は、山の主の自覚もなく、山を徘徊することもなく、気紛れで散歩はしているようだけれど、ただそれだけ。
雨の日は他の獣同様、洞窟でじっと動かず、晴れた日はたまに水浴びをしてるのは伝わってきた。
やがて隣の山に「それ」がいることも当たり前になり、雪が降りだす頃、この身体は雪解けまでは長い眠りに就き、たまに目が覚めても「それ」はどうやら冬眠はしないらしく、度々、変わらずに川で何かをしていた。
山に現れた時からしていた、不可思議な行動。
何か言葉を発しながら。
「♪」
短い歌のようなものを歌いながら。
「それ」は春夏秋冬、飽きることなく。
それをしていた。
自分は森の主として、何の変化はなくとも、縄張りを、たまには大がかりな巡回をしなくてはならない。
最近は特に、こちらには人が来るようになったため、身体の自由が増した。
遠くの小さな崖で、小さな土砂崩れがあったと小耳に挟み、それの確認へ行くことにした。
急ぐ必要もないため、のんびりと歩き進み、目新しさで数日は土砂崩れのあった土地を徘徊し、小雨の中、見慣れた森の一角に戻ると。
「……」
寝床としている小さな洞穴に。
「それ」が、いた。
「それ」は、人の子を模していた。
しかし、上手く模しきれてはおらず、漆黒のまっすぐな髪など、この世界には存在しないし、白い袖の長い妙な羽織りも、鮮やかな赤い腰巻きも、靴とすら言えない足の爪先に突っ掛けた木の添え物。
それに、伏せても尚目を惹く、
「赤い瞳」
の「それ」は、外見こそ人の子を模した「何か」だった。
その「何か」はまだこちらには気付かず、手許に視線を向けている。
微かに頭が上下し、どうやら何かを食べているらしい。
鼻を蠢かすと、まず香りよりも、とんと口にしたことのない、湯気の立つ温かさが鼻先に留まる。
「……?」
安易に近付いてはならないと、相手が認識できない距離にいたのに、
「……」
気がつけば。
「のの?」
その得体の知れない、小さな山を型どったような温かい食べ物に釣られて、ふらふらと「何か」の目の前に立っていた。
こちらに気付くと、その外見に相応しくはある、幼く可憐な声色。
敵意などはなく、ただこちらの視線に気付くと、小首を傾げた後、
「……」
そのまだ湯気の立つ食べ物を、譲ってくれた。
そのまま食んでも良かったけれど、相手に、それにいくばかの敬意を払い模し、その場に座り、前足で温かいそれを齧ってみれば。
(……?)
ねちりとし、少し歯に舌に纏わりつくものの、絡み付くほどではなく、ほどけ、一粒一粒が束になっていたのかと知る。
味は薄く、仄かな甘味。
それに豆のほこりとした香りと食感。
何より、ぬくい。
腹まで温まる。
「それ」は、自分が食べるのをじっと眺めていたけれど、ふと何かに気付いたように顔を上げ、
「ここはお主の寝床か」
と、箱のような物を包んだ布と、ザルを手にすると、
「申し訳ない」
と立ち上がった。
どうやら、人の形しているだけあり、思った以上に知性と、そして礼儀もあるらしい。
青い熊を淡々と屠る化け物のイメージが、少し変わる。
そしてこちらは、人の形を模しているだけとはいえ、この見た目だけは人の幼子を、小雨の中で放り出す程、薄情なつもりはなく。
その場に留めると、それは大人しく穴蔵の中に座り直す。
人の形を模した「それ」はちゃんと体温もあり温かく、
「ここに来てから、初めて山から出て、村へ行ってみたのの」
その可憐な声で、話を聞かせてくれる。
水が綺麗で嬉しいこと。
人の持つ魔法が欲しいこと。
そのために、この山から離れ、旅に出ようとしていること。
「……」
山の主の自覚は、そもそも持ち合わせていないらしい。
「長い雨が止んだらの、出発の」
「……」
うっすらとした雨が一時やんだ後、縄張りまで見送ると、別れ際に葉に包んでいた、不思議なあの食べ物をくれた。
「……」
(「雨がやんだらの、出発の」)
何度も反芻し、朝が来て夜が始まりを何度か繰り返した、ある日の早朝。
「……」
縄張りから「あれ」のいる山へ向かって歩き出す。
小高い崖の、自分の寝床より、ほんの少しだけ高さのある洞窟を「あれ」は寝床にしていた。
降りた目の前には川。
この川を伝って、ここから「あれ」の気配は日々、色々伝わってきていた。
「ぬ?」
顔を覗かせると、少し驚かれたけれど「それ」は元々、喜怒哀楽が希薄。
尻尾を小さく振ってみせると、力の強大な「それ」は、自分1匹くらいのおまけが付いてきても、やはり何とも思わないらしい。
早朝からの出発故に、食事をしていない。
あれが食べたいと訴えてみると、
「では、お主は何をしてくれる?」
冷めた視線を向けてきた。
そう、対価を差し出せと。
「……」
自分に出来ること。
「……」
自分がいれば、寝る時にお互い温かい、とその場で横たわって見せると「それ」は目を見開いた後、目を三日月にし、
「仕方ないの」
と小さくて笑い、愉快そうに歩き出す。
(あぁ……)
山の主だと勝手に縛られていたのは自分で、本当はいつだって、隣を歩く「それ」の様に、どこへでも行くことが出来たのだと、思わされる。
靡く黒髪、艶やかな唇、仕立てのいい布に、半分は隠れたしなやな手足。
山を下りながらも、圧倒的な存在の、幼子を模した「それ」。
「それ」を狸は、自分の中で、
「主様」
と呼び変えることにする。
そう。
「我が主」
である。
名を呼ばすとも、主様は、
「?」
と振り返り、その赤い瞳で見つめてくる。
「フーン」
鼻を鳴らしてみれば。
「おにぎりは山を降りてからの」
ぽんっと跳ねて、山を器用に下っていく。
主様は、どこから来たのか。
主様は「何」なのか。
何も分からないけれど。
「のの?」
ただ、ひたすら、
「主様は、圧倒的に強い」
ことだけは、旅をして行く上で、隣に寄り添うだけでも、嫌でも思い知らされることになる。
それでも。
いつか聞いてみた。
主様は何者かと。
「我は、小豆洗いの」
小豆洗い。
「小豆は、この豆のことの」
あずき。
「そう、我は小豆を洗う者の」
聞いてみても、何も解らなかった。
狸擬きの回想 塩狸 @momonotalutogasuki
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