彼女(フィアンセ)はくノ一

上条 樹

第1話

それは、空手の部活練習を終えて帰宅した夜の事であった。


玄関に見慣れない履物…、草履が綺麗に揃えて置いてあった。


母さんの知り合いでも訪ねてきたのかなと思いながら、自分の部屋に荷物を起き、とりあえずシャワーを浴びた。


今日は、特別な出来事があった。

以前から憧れていた一つ上の綾瀬真夏先輩に、告白し快諾を得た。そして、次の日曜日にはデートの約束まで取り付けたのだ。天にも昇る気持ちとは、まさにこういう事だろう。ニヤニヤが止まらない。


「おい、京介!お客様だ。コッチに来てご挨拶しろ」俺は新しい下着と部屋着に着替えで部屋に戻ろうとすると、父さんから呼ばれた。

俺は返事もせずに、タオルで頭を拭きながらリビングに顔を出す。


「どうも…、こんばんは…」俺の目は一瞬、彼女に釘付けになった。

美しい着物に、美しい顔立ち、透けるような白い肌、後ろに束ねた髪も綺麗だ。多分、歳は俺とも同じくらいかと思う。

こんなに綺麗な和装姿の同年代の女の子は初めて見た。


「間宮凛子と申します。ずっとお慕いもうしておりました。ふつつか者ですが宜しくお願いいたします。」リビングルームの床に三つ指を突いて彼女は首を垂れる。


間宮凛子。

俺と同じ高校二年生、17歳だそうだ。


「京介!喜べ!こんな綺麗な娘さんが、お前のフィアンセになってくれるそうだ!」笑ってっているが、何故か擬古ちない笑顔。


唐突だか、彼女は俺のフィアンセだと自己紹介を始めた。俺はその言葉の意味をしばらくは理解出来ずに呆然として口を開けていた。


「フィアンセって、婚約者の事か?」俺は少し動揺しながらゆっくり両親の顔を見る。父さんが目を閉じながらコクリと首を縦に振った。


「あれは…、もう、20年も前になるが、父さんと母さんが二人で登山旅行をしていると、道端に行き倒れの男がいてね」親父が話し始める。


「それ、なんの話?」


「まあ、聞け。その男、間宮凛太朗君はどうも何日も飲まず食わずで死にそうになっていたようなので、父さんが持っていた弁当を食わせてやると、すこぶる元気になってな。『このご恩は、忘れない!お主に何か恩返しがしたい!』と言い出して…」


「それって、もしかして」俺は間宮凛子の顔を見る。少し頬を染めて下を向いている。


「ああ、凛子さんを、父さんの嫁にと言うことだったんだが、あいにく父さんには…」隣の母さんの顔を見る。


「あいにく…」母さんの眉間に少しシワが現れた。


「いやいや、父さんには愛する妻がいると断ったんだが、そしたら子供同士って話になって」額に汗をかきながら、少し申し訳なさそうに呟く。


「大昔の話じゃあるまいし、そんな話無かった事にすればいいじゃないか!」俺は余りの突然の話に動揺が止まらない。


「父さんも断ったんだが、その時はまだお前も生まれて無かったから、その場しのぎで了承したんだが、お前が生まれてすぐに凛太朗君にも女の子が生まれたって手紙が届いたんだ。しかし、まさか凛子さんが来るまで、本気とは思って無かったんだ。それで凛太朗君と連絡が取れなくってなってな」


「えっ」自然と間宮凛子に俺の目が向く。


「父は、間者の仕事に出ましたら、しばらく連絡は取れません」凛とした声で彼女は告げる。


「かんじゃ?仕事って、出張かなにか?」俺は意味が解らず首を傾げる。


「彼は凛子さんに携帯番号も住所も告げずに出て行ったらしい。ただ、この家に行くように言い残して…」


「そんな!無責任な!!」俺は怒りで頭が少し混乱している。


「京介様はそんなに、私の事が…、嫌なのですか?」間宮凛子は少し目を潤ませて、真っ直ぐに俺の目を見る。その美しい顔に、少しキュンとする。


「いや、嫌とかって問題ではなくて…、で、様ってなに?」


「では、私と夫婦に!」突然、俺の両手を掴み胸元に寄せた。俺はすぐさまそれを払いのけた。


「めおと!?なんで一足飛びにそうなるの!」


「やはり、私では…、嫌ですか?」また、潤んだ瞳。


「いや、だから間宮さんが嫌とかではなくて、こんな話、おかしいじゃないか!?」俺は普通の事を言ったつもりだ。


「おかしくは無いです。私は物心ついたときから、ずっと京介様の立派な妻になるように教えられてきました。色々と…」頬を赤らめる。何を教えられて来たの?


「そして、やっと、その日が来たのです。」間宮凛子は、自分の顔を俺の顔に近づけてきた。あまりの事に、俺は後ろにのけ反る。


「いいじゃない、あんたこんな可愛い娘さんと結婚出来るなんて、断るのもったいないわよ」脳天気な母さんが口を挟む。


「じゃかましい!!いやいや、俺の気持ちは無視かよ!俺には先輩…、とにかく俺は認めないからな!明日は朝から部活で早いから、俺はもう寝る!」そう言い残して、俺は自分の部屋に飛び込んだ。

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