希望を呼ぶ達磨

黒蓬

希望を呼ぶ達磨

享保十六年(1731年)、日本中が厳しい冬に包まれる中、江戸の町にも新年が訪れようとしていた。夜空には星が瞬き、町中の家々からは正月を迎える準備の香りが漂う。浅草の一角にある小さな長屋、その一室で、十七歳の若者・新太郎は手を真っ赤にしながら米を搗いていた。


「これが終われば、ようやく正月が迎えられるな。」


新太郎は一人つぶやきながら、隣に座る母・お滝に目を向けた。お滝は痩せた体を布団に包みながら、息子の姿を静かに見つめている。かつてはこの家にも賑やかな日々があったが、父を亡くし、弟を疫病で失って以来、生活は苦しいものとなっていた。


「新太郎、無理をするでないよ。」


お滝のかすれた声が新太郎の耳に届く。彼は振り返り、母に向かって優しく微笑んだ。


「大丈夫さ、母さん。父さんも弟もいないけど、俺たちにはこの家がある。それだけで十分だ。」


彼の言葉には不思議な力があった。それは母親に安心感を与えるだけでなく、自分自身にも希望を灯すものだった。

元旦の朝、新太郎は日の出とともに起きた。長屋の周囲はしんと静まり返っており、空気は冷たく澄んでいた。彼は昨晩搗いた餅を神棚に供え、今年一年の無事を祈る。


「どうか、この家が平穏でありますように。」


その祈りを胸に、新太郎は母の朝食を用意した。簡素なものだったが、正月の朝に欠かせない餅と味噌汁は、二人にとって特別な一品だった。


「新太郎、これだけで十分ごちそうだよ。」


お滝の目には涙が浮かんでいた。その涙を見て、新太郎は少しだけ胸が痛んだが、すぐに笑顔を見せた。


「今年はもっといい年にするさ。俺がもっと働いて、母さんに楽をさせる。」


そんな会話を交わしながら、新太郎はふと窓の外を見た。遠くから聞こえる太鼓や笛の音が、町に新しい年の訪れを告げている。彼は立ち上がり、母の許しを得て近くの浅草寺へ初詣に向かった。

浅草寺の境内は多くの人々で賑わっていた。新太郎は人混みを掻き分けながら進み、神前で手を合わせた。


「どうか、今年は母が健康でいられますように。」


その祈りを終えたとき、背後から声がかかった。


「新太郎か?」


振り向くと、そこには幼馴染の友吉が立っていた。友吉は新太郎よりも少し年上で、町の大工として働いている。


「おう、友吉。久しぶりだな。」


「お前、最近どうしてる?聞いたところじゃ、だいぶ大変らしいな。」


新太郎は一瞬言葉を詰まらせたが、すぐに笑顔で答えた。


「まあな。でも、俺たちには俺たちなりのやり方があるさ。」


友吉は新太郎の肩を叩きながら、何かを考え込むような表情を見せた。


「よし、お前にこれをやる。」


そう言って友吉が差し出したのは、小さな木箱だった。中を開けると、そこには金色に輝く小さな達磨だるまが入っていた。


「これを持っておけ。大工仲間からもらったものだが、俺よりお前のほうが必要だろう。」


新太郎は驚きつつも、その達磨をしっかりと受け取った。


「ありがとう、友吉。大事にするよ。」


友吉は微笑みながら言葉を続けた。


「ところで、新太郎。元日はもともと農耕儀礼から始まったのを知ってるか?昔は正月に年神様を迎え入れるため、家に松飾りや鏡餅を供えるのが大事だったんだ。その達磨も、年神様への願いが込められている。」


新太郎はその話に驚きながらも、深く頷いた。


「なるほど。そういう意味があるのか。なら、なおさら大切に扱わないとな。」


新太郎が長屋に戻ると、母は窓辺で空を見上げていた。彼は友吉から貰った達磨を見せながら、母に語りかけた。


「母さん、これを見てくれ。これがあれば、きっといい年になるさ。」


お滝は達磨を手に取り、その細かな彫刻と金色の輝きに目を細めた。


「本当にきれいだね。新太郎、これを神棚に置こう。」


二人は達磨を神棚にそっと飾り、改めて新しい年の始まりを祈った。その小さな達磨は、二人にとって希望の象徴となった。


その後、新太郎は友吉と共に仕事をするようになり、生活は少しずつ安定していった。彼の家には再び笑顔が戻り、長屋の中で新太郎の名前は「希望を呼ぶ男」として知られるようになった。


そして翌年の元旦、新太郎は再び浅草寺を訪れた。彼の胸には、前よりも強い決意と感謝の念が満ちていた。母の笑顔を思い浮かべながら、彼は空に向かって静かに祈った。


「今年も、どうか平穏な一年でありますように。」


冷たい冬の風が彼の頬を撫でる中、朝日が町を明るく照らし始めた。それは、新太郎にとって新たな希望の光でもあった。



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余談:

達磨と聞くと赤色をイメージする人が多いと思いますが、実は昭和以降には色んな意味や願いが込められた達磨が作られているらしいです。


赤色:家内安全・開運吉祥・魔除け

青色:学業向上・才能向上

緑色:身体健勝・才能開花

橙色:子宝成就・災難除け

桃色:恋愛成就・愛情運UP

紫色:健康長寿・品格向上

金色(黄色):金運向上・幸運

銀色:自己実現・安産吉祥

黒色:商売繁盛・事業繁栄

白色:受験合格・目標達成

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希望を呼ぶ達磨 黒蓬 @akagami11

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